表現の自由にともなう「責任」について

私的まとめ。「悪影響」にはここで言われていること以外にも、単に「不快感を与えた」というようなのもあるのでしょうが・・・
34
鳥山仁@コミケ三日目 西け36a @toriyamazine
「表現の自由と責任」について典拠を探しているのだが、全く見つからない(政治関係者の電波発言なら大量にある)。例によって、政治関係者によくいる精神病患者の妄想である可能性が出てきてイライラしている。前から思っていたのだが「自由に対する責任」という馬鹿言説の法律的な根拠はどこなんだ?
wagu @wagu108
責任……「ある行為の結果として負わなくてはならない責めや償い」(明鏡国語辞典より)
wagu @wagu108
自由には責任がともなうとよく言われるけれども、常識的には個人が主体的に自由に選択した行動について、その帰結について責任を負う、ということなんだろう。全財産を宝くじにつぎ込んで、一文無しになったが、誰も助けてはくれないので自分で何とかしなきゃいけないというように。
wagu @wagu108
自由というのが、法律を犯す自由というように考えられた場合には、自分の行動が処罰される行動であることを了解してそれをなした場合は、当然に処罰される。自分の主体的な行動の帰結に対する法的な責めを負うわけだ。これもまた自由に伴う責任だと思われる。
wagu @wagu108
表現の自由に対する責任というのは、どう考えるべきなんだろう。自分の自由な表現の帰結。差別的な発現をしたらブログが炎上したとか、個人を誹謗中傷したら訴えられたとか、これもまた自由な表現の帰結であって、その責任は負うしかない。
wagu @wagu108
あるいは、近親相姦を扱った漫画を描いたら、道徳的でないという意見が殺到した場合、彼はその意見を見てこれからどういう漫画を書くか思案するだろうが、それもまた彼の表現の帰結に対する責任の取り方である。
wagu @wagu108
しかし、表現規制の関連で、「表現には責任がともなう」という言説が訴えているのは、自己の表現の直接的な帰結とは、また別の責任であるようだ。それは行った表現が社会にもたらす影響。その影響を自分の行為の帰結として責任を取れ、と言っているのだと思われる。
wagu @wagu108
極端な話、性犯罪的な行為を描いた漫画を読んだ人物が性犯罪を起こした。それについて責任を取れ、ということである。この場合には性犯罪を起こした人物は無罪であり、すべての責任は漫画にあるということになるが、こんな主張は聞いたことがない。じゃあ、何を言っているのだろう?
wagu @wagu108
実際に聞かれるのは「性犯罪的な行為を描いた漫画が、性犯罪を引き起こすような風潮を助長する」というような言い回しだ。しかし、漫画は本当に性犯罪を誘発したのか。表現の帰結として、表現が責任を取るべき結果が生じたのか。
wagu @wagu108
性犯罪者が、××という漫画を見て、ついやりたくなってやってしまった、という場合、彼自身の行動に対する責任は、いくらかでも免除され、その免除された分が漫画に対して降りかかってくるのだろうか。表現の自由に対する責任というのは、そういうことを言っていると思うのだが、説得力はあるのか?
wagu @wagu108
この意味での表現に対する責任が説得力を持つためには、明確な因果関係の立証が必要になると思う。そもそも、被害者が納得しないような気がするが。
wagu @wagu108
表現が社会に対して何らかの影響を与えるのは確かであるとしても、それがどのような影響を与えるのか…悪影響があるにしても、良い影響だってあるのだろう…それらを読み切って表現するのは無理難題である。
wagu @wagu108
そして、何か悪影響が見られ、誰かが犯罪行為に及んだとしても、その責任を表現に負わせるのは、その者の主体性を軽視した発想で、例えば「悪いのは漫画でぼくじゃない」と言ったら彼は無罪かと言う話だ。
wagu @wagu108
一般的には「表現の自由には責任がともなう」というのはそこまでのことは言っておらず、もっと曖昧模糊なことを主張しているのだと思われるのが、しかし、そんな曖昧なもののために表現が規制されたり、萎縮したりするのは、理不尽なように思う。
wagu @wagu108
もちろん、この見解は、「完全には否定することはできない表現の悪影響(ないことの証明はできないので)」を、上回るに違いない効用が表現の自由にはあるのだ、という主張が前提になるのだが。
wagu @wagu108
表現の有害性は受け手の主体性への信頼との兼ね合いになるのだけど、受け手の主体性を期待することができない「ポケモンショック」のような事態に法規制が入らないのは、逆に不思議な気がする。もちろん、自主規制できていればいいのだけれど。
wagu @wagu108
イメージとしては、表現のために「性認識が歪む」という言い回しは、光の点滅が「ポケモンショック」を与えるかのように、不可避的にどうしようもなく青少年を非行に走らせる見たいな印象を与えるのだけど、実際には性教育でどうにかすべき話ではないかと。
wagu @wagu108
「性認識の歪み」なのか「性知識の欠如」なのか、後者であれば教育の不足だという話だし、漫画は漫画でフィクションだから真に受けてはいけないと言うのも含めて、教育の問題なのだと思う。
wagu @wagu108
@clow 常識的に、そういうことですよね。>酒を飲んで酔った人物が暴力を振るった場合、その酒を打った人間や醸造元には責任はありません。
wagu @wagu108
「影響を受ける」というのはしかし、具体的には何を意味しているのか。スラムダンク読んでバスケはじめるにしても、エロ漫画読んで犯罪犯すにしても、そこには主体的な選択というのがあるはずだ。メディアが催眠術をかけたかのような扱い方はどうかと思うな。
wagu @wagu108
法律というのは基本的に人の自由を前提としているように思っていて、罪刑法定主義も、やれば罪を問われると知っていて、なおかつそれをする、そこに自由な決断があるから、それが重要視されるんだろう。
wagu @wagu108
表現が催眠術のように人に悪事を行わせると認識するなら、悪事を働いた者は罪に問うことができない。彼は自由でないからだ。その場合の責任は表現者が負うのが素朴な発想。だから催眠術のように悪事を行わせるような表現を規制する、という発想は筋が通っている。
wagu @wagu108
もし、ルルーシュのギアスみたいに、なんでも言うことを従わせる表現方法が開発されたならその表現は厳しく制限されなければならない。受け手の主体性を失わせる表現だからだ。表現者の責任を問うしかなくなるわけだ。
wagu @wagu108
また、表現を受けたものが何でも無条件に表現の影響を受けてしまう、と観念された場合にも、表現の制限は理由がある。受け手の主体性・判断力が不十分である場合などで、青少年への販売規制を行う有害図書規制はこうした発想である。
wagu @wagu108
しかし、現状において一般的な表現が受け手の主体性を破壊して行為を強要するような作用があるのか、また青少年が表現を見て催眠術をかけられたかのように非行に走るのか、というのは、十分に検証されないと、説得力がないな。
残りを読む(20)

コメント

wagu @wagu108 2011年5月28日
いくつかのつぶやきを追加しました。
wagu @wagu108 2011年5月28日
一部訂正しました。
のっちょ @y_nocho 2011年5月28日
日本人には自由の「できる」という性質のみが注目される。しかし表現の自由などは自由権であり権利である。権利は英語でrightという。「正しい」の意を併せ持つ。これはドイツ語などでも同じ。権利を行使するものは正しく行使しなければならない、広く何でもできるという意味ではないとされている。したがって正しくない、正義に反する権利の行使に対しては責任が生じうる。こんな話を大学の講義で昔聞いた。おぼろげだが、この思想は古代ローマからずっと流れているものだったような。起源はともかく根拠は歴史の結論なのだろう。
どんべえ @kimurasaki 2011年5月28日
「政治関係者によくいる精神病患者の妄想」?
wagu @wagu108 2011年5月28日
いくつかのツイートを追加しました(最後の5つ)
wagu @wagu108 2011年6月25日
いくつかのつぶやきを追加しました。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする