- toshi3636_1
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落語家さんで誰が好きかというと、いろいろな考え方があるだろうけれども、モーツァルトのような天才のイメージがあるのは志ん生かと思う。志ん朝もまた、名人であり、二代続けて名人が出たというのはすごいことである。
2019-10-01 07:06:08一方、円生については、本寸法の立派な名人であるけれども、志ん生と比較するとどうなのか、という意見をときどき耳にする。確かに志ん生のような天真爛漫さや破天荒さはない。でも、やはり円生は名人という名にふさわしい気がする。
2019-10-01 07:07:38落語という芸術を考えたとき、円生の芸は一つの「イデア」を表しているというか、争いようのない一つの基準を示しているように思えて、やはり、いろいろな人がいろいろなことを言いはするけれども、円生の芸はかえって行くとやっぱりいいなあ、という安定感と深みがあると思う。
2019-10-01 07:08:59その円生について、一つ気になることがあって、あのひとはかなり後になってから名人になったのであって、若いときはぱっとしなかった、下手だったということを耳にすることがあって、私は名人になってからの円生しか知らないから、その変化はどんなものだったのかと思う。
2019-10-01 07:10:07ぼくは円生に間に合った方で、子どもの頃、寄席で何度か噺を聞いた記憶があるのだけれども、そのときは渋い名人で、より若くて、へた、というような円生の面影はもはやなかった。
2019-10-01 07:11:11落語などの芸事では、「化ける」ということを言って、それまであまりよくなかった人が(周辺から見れば)突然凄みが増して、光り輝くということがあるのだけれども、円生も、また、「化ける」という経過をたどった人なのだろうか。
2019-10-01 07:12:14円生は、晩年もそうだったけれども、それまでの経緯を見てもまじめな人だったようで、円生がまじめだったことと、「化ける」ということが起こったことの間には関係があるような気がして、真面目な人が長年の鍛錬で何かがなにかして化けるのではないかと思う。真面目な人は化ける。一つの希望だろう。
2019-10-01 07:13:33