川中島合戦~啄木鳥戦法~

第四次川中島合戦関連の史跡を巡ります。
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真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

永録4月9月10日、信濃の八幡原にて武田、上杉両軍による四度目の激戦が行われた。この合戦において武田軍は軍師山本勘助の進言により「啄木鳥戦法」と呼ばれる戦法を使ったのだ。 pic.twitter.com/88Z4XzVKoT

2019-09-29 17:00:52
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妻女山。上杉謙信率いる1万3000の軍勢が陣を置いた山である。「妻女山」という名前の由来は上杉軍の兵士が越後に残した妻を思い涙を流した、ということらしいが、、 pic.twitter.com/uRf7OgyjK6

2019-09-29 17:16:53
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松代妻女山招魂社。妻女山に鎮座する神社。戊辰戦争で死んだ真田藩士を慰霊する為の神社。 pic.twitter.com/KMfXR9bCY1

2019-09-29 17:21:25
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會津比売神社。妻女山の麓に鎮座する「会津比売命」という神様を祀る神社。妻女山に布陣した上杉謙信はこの神社に戦勝を祈願している。 pic.twitter.com/hp2I0xQlIh

2019-09-29 17:30:30
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上杉謙信公鞍懸松。会津比売神社に戦勝を祈願した際に上杉謙信が鞍を懸けたとされる松。この松はどうやら寿命が尽きたようで現在は二代目の松が植えられている。 pic.twitter.com/gSlUryJax9

2019-09-29 17:36:36
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上杉謙信公槍尻泉。会津比売神社の参拝の帰路に上杉謙信は妻女山の麓で槍を強く地面に貫いた。すると綺麗な水が湧き出たという。 pic.twitter.com/16S7GEj5XF

2019-09-29 17:45:27
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海津城跡。「川中島」における武田軍の重要拠点である平城。武田信玄率いる2万の軍勢は海津城に籠城する春日虎綱の援軍要請に応じて茶臼山から海津城に本陣を移した。 pic.twitter.com/CH2srqYQJH

2019-09-29 17:54:15
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松代城跡。初代松代藩主真田信之が築城した平城。松代藩の拠点である松代城は武田軍の拠点「海津城」を整備し土塁を石垣に築き直した城郭であるという、、 pic.twitter.com/yKnlfIemYy

2019-09-29 18:01:33
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膠着した戦局を打破する為、山本勘助と馬場信房は武田信玄に別動隊に妻女山の上杉軍を攻撃させて上杉軍に山を下らせ待ち伏せした本隊と挟撃する「啄木鳥戦法」なる戦法を進言した。 pic.twitter.com/eWFFoypfhS

2019-09-29 18:33:10
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啄木鳥戦法。山本勘助が進言した挟撃作戦は啄木鳥が嘴で虫の潜む木を叩き、驚いて飛び出した虫を喰らうことに似ているのでこの戦法に対してこのような名前がついた。 pic.twitter.com/kOE838dmlM

2019-09-29 18:37:06
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風雲庵。この寺院の本尊は「川中島合戦」の折にら武田信玄の夢枕に現れて戦術を授けたとされる武田信玄ゆかりの寺院である。 pic.twitter.com/pylPzQVcww

2019-10-01 09:14:54
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「風雲庵」は明治時代の廃仏毀釈によって廃寺とされた。後に里人により「風雲庵」は復興されるが至るところに廃仏毀釈によって破壊されたであろう仏像が置かれている、、 pic.twitter.com/E2j2apR9Ne

2019-10-01 09:23:06
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「風雲庵」から川中島方面を望む。この少し荒廃した寺院からは「川中島合戦」の舞台を望むことができる。 pic.twitter.com/Jnc0yY1dky

2019-10-01 09:29:05
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9月9日深夜、高坂昌信·馬場信房率いる武田軍別動隊1万2000は妻女山の上杉軍を攻撃する為に深い霧に紛れて海津城から妻女山に密かに進軍を始めた。 pic.twitter.com/MEbp5P1vX5

2019-09-29 18:58:43
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雨宮の渡し。上杉軍が渡ったとされる千曲川の渡船場。「啄木鳥戦法」を察知した上杉謙信は密かに妻女山を下り雨宮渡を渡り川中島平に軍を展開させた。 pic.twitter.com/MglFZ2aNA5

2019-09-29 19:05:42
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雨宮坐日吉神社。「雨宮渡」より少し南に鎮座する神社。この神社の祭神は大己貴命と少彦名命のようだ。 pic.twitter.com/aYm536FI5p

2019-09-29 19:11:29
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漢詩碑。雨宮の渡しに置かれた頼山陽の漢詩碑。「鞭聲肅肅夜河を過る曉に見る千兵の大牙を擁するを遺恨なり十年一劍を磨き流星光底に長蛇を逸す。」 pic.twitter.com/toVLazN5oU

2019-09-29 19:16:47
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永録4年9月10日早朝、川中島を包んでいた深い霧が晴れると武田軍本隊の前に居るはずのない上杉軍が布陣していた。武田軍は動揺しつつも上杉軍に応戦する為「鶴翼の陣」を敷いた。 pic.twitter.com/kZM8Wmaxnh

2019-09-29 19:29:30
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広瀬の渡し。武田信玄が海津城から八幡原に出て陣を構える際に渡ったとされる場所。 pic.twitter.com/TMtd788UpG

2019-10-01 08:37:00
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八幡原。武田信玄率いる武田軍と上杉謙信率いる上杉軍が激戦を繰り広げた戦場である。1万2000の別動隊を妻女山に向かわせたことで上杉軍に数で劣る武田軍本隊は合戦当初劣勢だった。 pic.twitter.com/ZJLWv4LFfw

2019-09-29 19:51:31
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武田典厩信繁墓。「川中島合戦」で武田信玄本陣を守り討死した武田信繁の墓。文武両道に優れた武田信繁の死は「惜しみても尚惜しむべし」と評されたという。 pic.twitter.com/mQaN4oImWm

2019-09-29 20:04:29
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典厩信繁公首清めの井戸。討死した武田信繁の首を上杉軍から奪い返して清めたと伝わる井戸。 pic.twitter.com/TzpF2Mp7uS

2019-09-29 20:08:15
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武田信玄は自身の弟である武田信繁の死を悲しみ、討死した弟の遺体を抱いて号泣したという、、 pic.twitter.com/WOnIoH24B1

2019-09-29 20:28:32
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諸角豊後守墓。「川中島合戦」で討死した武田信繁の守役である諸角昌清の墓。諸角昌清は武田信繁の死を知ると主君の後を追うように僅かな手勢で上杉軍に突撃して討死した。 pic.twitter.com/Fzx1op7b1s

2019-09-29 20:34:41
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東昌寺土塁。川中島中央にあるこの東昌寺にある土塁の内側にはかつて武田方の砦である「広田砦」が存在していた。「川中島合戦」では立地を考えるにこの「広田砦」は何からの活躍があったはずだが記録が残っていない為不明。 pic.twitter.com/p6eFmcExvw

2019-09-29 20:58:29
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