【秦王朝崩壊の元凶】趙高・非宦官説について解説! 趙高は宦官ではないが、宦官でもあった?
- mamesiba195
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ことの発端は三国志と秦末期に絡めたネタから始まりました。
>ようやく罪人から表舞台に出てきた黄皓が蜀に復讐するみたいな 趙高「それ! 禁止! 俺の近年の擁護論と丸被りじゃん!」 蒙恬「君さ。宦官じゃなかったみたいだよ。復讐って、無理やり正当化するのはやめてくれない? ただ、秦王朝乗っ取りさえすれば、一生、安泰って思っていただけだろ?」 twitter.com/tUqj0emvmYZpB1…
2019-10-06 10:18:26黄皓って馬謖に連座した黄襲や反乱起こした黄元と同族とか有り得そう 黄元・黄襲どちらかに連座して宮刑になったとか 陳寿の卑しい身分出身というのは罪人という意味かもしれん とするとドラマチックな感じがするなようやく罪人から表舞台に出てきた黄皓が蜀に復讐するみたいな(現代的過ぎるか)
2019-10-06 09:59:21このネタは、趙高の秦乗っ取りの陰謀は、趙の王族の出身だった趙高が復讐のために仕掛けたという説があることを背景としています。(内容については後の説明を参考にされてください)
@mamesiba195 流石に復讐は現代的過ぎる感覚でしたね 趙高って今じゃ非宦官説が濃厚なんですかね? 確かにそんな話は聞いたことあるんですけど
2019-10-06 10:24:04@tUqj0emvmYZpB1W 我ら30代以上の中国史好きの原点・陳舜臣先生は復讐からくる陰謀論大好きでしたから、ただの推測なら別にいいんじゃないんですか。ただ、一個人へはともかく、国家相手の復讐は自分の悪行を正当化するための手段に過ぎない場合が多いかと。 趙高は娘もいるし、鶴間和幸先生はそう主張されてます。
2019-10-06 10:31:47なお、陳舜臣先生の陰謀論好きはあくまで「小説・十八史略」など先生の小説における設定の話です。「中国の歴史」などの歴史解説では違います。
@mamesiba195 僕は陳舜臣は秘本三國志しか読んでないんですが確かに陰謀論じゃないですけど凄い発想力を展開してましたよね。五丈原の八百長とか 娘がいるなら出仕してから宮刑に処されたとかも有り得そうですね
2019-10-06 10:47:13@tUqj0emvmYZpB1W もちろん、今までの学者も娘がいることに不審に感じつつ、劉楓さんと同じ推測を史記に趙高が「隠宮」とあるとすることを根拠に宦官であると、されていました。しかし、里耶秦簡という発見された新資料では、「隠官」という身分があったことが判明して、李開元先生が宦官ではないのではないかと(続く)
2019-10-06 10:56:09@tUqj0emvmYZpB1W 推測し、趙の一族につながるが卑賤の身である「隠官」とするのがよいと主張しはじめたようです。鶴間和幸先生の方は、史記の時代の「宦者」というのは、皇帝の側近のことで、「宦官」の意味はなく、宦官の害のひどかった唐代の人がそう間違えたと主張しています。(続く)
2019-10-06 10:58:51@tUqj0emvmYZpB1W とはいえ、確定というわけでもなく、近年の創作の方々は大体、このことを承知しながらも、趙高が宦官の方がイメージしやすいのであえて宦官という設定にしているようですね。私も史記をずっと読むと、「宦官ではない」と断言するのも難しい気がします。
2019-10-06 11:01:06@mamesiba195 成る程滅茶苦茶分かりやすくて説得力がありました!Σ( ̄□ ̄;) 確かに趙高が宦官だと断言する方が不自然に思えてきました趙高の様な宦官がいて後漢王朝で宦官が権力持ち始めるのって前列があるのに杜撰だなとか思えてたので
2019-10-06 11:41:14@tUqj0emvmYZpB1W 確かに、今まで宦官の害がそれほどではないなら、劉秀(光武帝)が宦官を重んじはじめた後漢王朝の流れも理解できますね。司馬遷は色々いっても漢王朝としては成功でしょうし、蔡倫もでましたしね。 史記で胡亥が趙高のことを「故宦人」と言っており、なぜ、わざわざ「故」というのか不思議でした。
2019-10-06 12:20:21@tUqj0emvmYZpB1W >故には以前から、以前に、という意味ですので その通り、「以前は」とか「元は」の意味ですね。 鶴間先生によると、宦人は普通の官人と違う「皇帝に宦(つか)える側近となる役人」のことだそうです。近侍にあたる郎官みたいなものですかね。ですから、「元は皇帝近侍であった」意味になります。
2019-10-06 13:30:33@tUqj0emvmYZpB1W これならつながりますが、「宦人」が宦官だと「元は宦官だった」という意味となり、「今でも宦官だろう!」というツッコミが入る微妙な表現となります。 もっとも、宮中奴隷の身分から解放されたという意味なら通らなくもないのですが。
2019-10-06 13:32:13@mamesiba195 確かに宦官を指してたら変な文章になりますね(笑) 皇帝の側近という事ですか 成る程それなら余計に宦官と間違われてもおかしくないですね 当時の秦に名を残した宦官っていなかったんですかね?宦官が史料でどのような言葉で指されていたのかも気になります✨
2019-10-06 14:03:35@tUqj0emvmYZpB1W 秦は子嬰と趙高の暗殺を協議した人物に韓談という人物がいたのですが、これも宦者と書いてあるので違うようですね。 何気にwikipedia宦官の項目を見ていたら判明しました😅 『後漢書』宦者列伝「中興之初、宦官悉用閹人、不復雑調他士。」とあるとのことです。(続く)
2019-10-06 20:00:04@tUqj0emvmYZpB1W これは、「光武帝の中興の初期(後漢王朝の建国)からは、宦官は全て閹人(去勢した男性)を用いることにして、再びそれ以外の男性を使うことはなかった」という程度の意味で、前漢までの宦人や宦者は宦官と言っても去勢する男性ではなかったようですね。(続く)
2019-10-06 20:07:44@tUqj0emvmYZpB1W 三田村泰彦「宦官」を読んでも、「宦官という言葉は、単に去勢された男性を指す場合と、宮廷に奉仕するものと二つの意味がある」とあります。実は、このことは、おそらく唐代に誤解が広がって、多くの学者も含めて宦官は前者の意味のみにとられていたのでしょう。(続く)
2019-10-06 20:11:55@tUqj0emvmYZpB1W とすると、前漢までは「閹」とないと去勢した男性と断言できない。後漢からは、宦官=去勢した男性という解釈が正しいのではないかと。鶴間先生は宦官を調べなおして、このことに気づいたということなのでしょうね。学者同士でも分野が違うと常識が知られていないことがあります。
2019-10-06 20:13:26@mamesiba195 成る程後漢以前の宦官は去勢した男性とは限らないんですね、閹人が去勢した男性の事を指すとそして趙高を閹人と指してる箇所はなく元は皇帝側近だったと どう考えても趙高は一人の政治家にしか見えなくなりましたね いやぁ面白いです。教えて頂きありがとうございました!
2019-10-06 20:44:08@tUqj0emvmYZpB1W いえいえ、実は私も曖昧でした😅 wikipediaを見るとたまに掘り出し物の情報があるから侮れませんな。百度と中国語版wikipediaもあわせて見ると役に立つことが多いです。 光武帝の時に死刑をやめて、宮刑にしており、後漢王朝からは知識のある宦官は激増したものと思われます。
2019-10-06 20:53:42@mamesiba195 確かにWikipediaも侮れないですねこういうサイトは編集するユーザーさんによりますもんね もしかしたら後漢王朝は中国史上初めて宦官が台頭した時代だったのかもしれないですね
2019-10-06 21:45:19内容の補足