佐藤正美Tweet_20190901_15

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佐藤正美 @satou_masami

私は、歴史書を読むのが好きです。最近は、数学書を読むことが多くて、歴史書を読んでいないけれど、歴史書を読むのが好きです。もっと正確に言えば、歴史書というよりも民俗学の書物を読むほうが好きです。

2019-09-08 12:58:10
佐藤正美 @satou_masami

素直に言えば、日本史の書物を読んでいても、生々しさを感じないので、上の空になってしまう。学生の頃には日本史が好きだったのですが、40才を越えた頃から民俗学のほうが私を魅了する。

2019-09-08 12:58:29
佐藤正美 @satou_masami

歴史観というものを抜きにしても、歴史学を専門にしていない我々一般の世人は日本史通論の書物を数冊読んで、いったい何がわかるというだろうか。

2019-09-08 12:58:43
佐藤正美 @satou_masami

日本史通論の書物を読んで知識を得ることを私は無意味だとは言わないけれど──確かに、その学習を通して、どんな出来事・人物に興味を抱いて、そして、今後 その出来事・人物を詳細に調べればいいかの指針にはなるけれど──、それを「教養」というふうに云われると私は反感を覚える。

2019-09-08 12:58:58
佐藤正美 @satou_masami

民俗学の書物を読むようになった理由は、私の幼少の頃の社会を知りたかったからです。だから、私は昭和20年頃からの昭和史の書物を読むのが好きなのです。江戸時代も好きです。

2019-09-08 12:59:13
佐藤正美 @satou_masami

江戸史・昭和史の文献が多いので [ 原資料 [ 史料 ] およびそれらの注釈書が多いし、昭和史では映像も多数のこされているので ]、江戸時代・昭和時代を或る程度生々しく想像することができる。

2019-09-08 12:59:26
佐藤正美 @satou_masami

時代の制度・風俗のなかに自分を置いてみる、あたかも自分がその時代にいるように想像してみる。随分と我が儘な歴史書の読みかたですが、歴史学を専門にしていない我々一般人は、時代考証のなかで、そういう自由な読書ができる。

2019-09-08 12:59:40
佐藤正美 @satou_masami

通論の書物を複数冊読んで、歴史上の或る出来事・人物に興味を抱いたら、その出来事・人物に関する文献を──できれば、原資料 [ 史料 ] を──集めて読めばいい。

2019-09-08 12:59:53
佐藤正美 @satou_masami

史料を読み始めの頃は、その出来事・人物に関する見識を形成していくのですが、或る程度 読書が進めば次第にその出来事・人物に関する周辺のことも芋づる式に知りたくなって読書範囲を拡大していくことになるでしょう。

2019-09-08 13:00:07
佐藤正美 @satou_masami

そういう読書をしていれば、過去の出来事・人物を現代から観て見下すような高慢な態度に陥ることもないし、「その時代の人々が、いかにその時代のたった今を生き抜いたか」を知ることになるでしょう我々一般の世人が歴史を学ぶときの読書法というのは、そういうやりかたになるのではないかしら。

2019-09-08 13:00:21
佐藤正美 @satou_masami

そういう読書法であれば、少なくとも、過去を現代から観て見下すことはしないし、通論の書物を数冊読んで歴史をわかったつもりになることもないでしょう。

2019-09-08 13:00:38
佐藤正美 @satou_masami

歴史上の出来事・人物を素材にして物語りにしたのが歴史小説でしょうね。私は、歴史小説を読まないほうですが、それでも いくつかの歴史小説を好きです──亀井勝一郎氏の「聖徳太子」「親鸞」、司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」「坂の上の雲」。

2019-09-08 13:00:52
佐藤正美 @satou_masami

亀井氏のものは小説ではないのですが(伝記に近い)、亀井氏も司馬氏も歴史上の人物に対する「尊敬の念」を抱いているのが彼らの作品から読み取れます。

2019-09-08 13:01:05
佐藤正美 @satou_masami

そういう書物を読むと、過去のすぐれた人たちが眼の前にいるように感じる。デカルト曰く──「すべての良き書物を読むことは、過去のもっともすぐれた人びとと会話をかわすようなものである」(「方法序説」)。

2019-09-08 13:01:21
佐藤正美 @satou_masami

「女(あるいは、男)というものは、そういうものさ」 というふうに汎化して纏(まと)める人を私は嫌いです──嫌いというよりも軽蔑します。そういう言いかたをされると「この人は、女(あるいは、男)を どの程度 知っているのかしら」 と、私は内心でつぶやく。

2019-09-15 14:06:39
佐藤正美 @satou_masami

大体が、女(あるいは、男)のことなど、知り尽くすことはできないでしょうね。「私が接してきた幾人かの例で云えば」という制限を置けば、その後の話を聞くこともできるけれど、それでも「女というものは」という汎化した纏めを私は嫌う。

2019-09-15 14:06:57
佐藤正美 @satou_masami

「対象を知れば知るほど(対象の多様性のために)わからなくなる」という面もあるでしょうね。だから、しゃべらない(しゃべることができない)、と。年配の人たちのなかで人生経験が豊富な人たち(あるいは、仕事に熟練してきた人たち)ほど、その様です。

2019-09-15 14:07:12
佐藤正美 @satou_masami

そういう人は、「女というものはという風な話のしかた」をする人の話を微笑んで聴いている。そして、人生経験豊富な人は、自分がすでに知っている話でも途中で遮らない。話をしている人に対して「でも、君は まだ若いなあ(ザッと言うな、アホのくせして黙っとれ)」というふうな反論は決してしない。

2019-09-15 14:07:28
佐藤正美 @satou_masami

私から観れば、そういう「大人(おとな)」は質(たち)が悪いといえば質が悪い。私は66才になった今も、如何せん そこまで成熟していない。「女というものはという風な話のしかた」をする人に対して、「君(きみ)は、女のことをよく知っているのだね」というふうに私は皮肉を言うでしょうね。

2019-09-15 14:07:45