#狸の北越戦争 まとめ

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銅折葉 @domioriha

――慶応4年(1868年)3月18日深夜。 佐渡奉行所は時ならぬ喧騒を響かせていた。昼過ぎより始まった評定は日暮れを挟み、夜更けとなってなお一向に先の見えぬままに続いている。 繰り返される議論に結論の見えぬ論説。苛立ちと焦燥を孕み熱く倦んだ空気が、奉行所の広間を満たしていた。 #狸の北越戦争

2019-10-13 22:34:32
銅折葉 @domioriha

奉行所組頭、中山修輔(しゅうすけ)は、澱んだ空気の広間を抜け、ひとり屋外へと足を向けた。弥生の佐渡(新暦では4月10日)、相川の奉行所を撫でる風はなお冷え冷えと寒い。 明りの絶えぬ室内では目付役を含む組頭、広間役の面々が額を突き合わせ終わりなき論説を続けている。 #狸の北越戦争

2019-10-13 22:38:45
銅折葉 @domioriha

修輔は37歳。元治元年(1864年)より組頭として江戸よりこの佐渡へと渡ってきた。組頭とは佐渡奉行の元で実務を行う役職であり、実質的なナンバー2として金山を含む佐渡島内の施策を指示監督する役割である。 拝命を受けてより4年間、修輔はひとえにこの島の維持と治政に努めてきた。 #狸の北越戦争

2019-10-13 22:44:20
銅折葉 @domioriha

慶応4年。この年は日米修好通商条約に基づき新潟港が開港となり、佐渡の夷港(現在の両津港)がその補助港として諸外国へ開かれる年でもあった。昨年の12月に、修輔自身が夷港の改築作業を行い、外国船の入港が可能となるように港の掘り下げなどを行っている。 #狸の北越戦争

2019-10-13 22:46:50
銅折葉 @domioriha

世界情勢の変容とともに、幕府もまた260年の平穏から目覚め、遠い海の向こうの国々との関係に新たな変化を迫られていた。天領である佐渡もその有り様を変える。難局の中にも新たな一歩を踏む、そのような変化の節目となる年であった。 ――あるはずだった。 あの報せが届くまでは。 #狸の北越戦争

2019-10-13 22:49:41
銅折葉 @domioriha

この年の佐渡は荒天によって船での渡海が叶わず、ゆえに、事態急変の報も2月も下旬の遅い到達であったのだ。 1月6日。鳥羽伏見の戦で幕府軍は薩摩軍に敗走し、朝廷は関東征討の令を発令。将軍慶喜は江戸へと逃げ戻り、上野寛永寺にて謹慎。 その報に、佐渡は驚天動地の騒ぎとなった。 #狸の北越戦争

2019-10-13 22:58:12
銅折葉 @domioriha

追って入った薩摩軍――もはや正式な勅を得、有栖川親王を大総督宮とした官軍である――の東征と、敗走する幕軍の様子は、奉行所を大混乱に陥れた。 江戸城総攻撃が秒読みとなる中、天下の将軍たる慶喜はすでに恭順の意志を示している。幕府がもはや実態を失ったことは明らかであった。 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:02:22
銅折葉 @domioriha

(この時もう大政奉還してるからそもそも天下の将軍じゃないなと思ったがまあ勢いで

2019-10-13 23:02:59
銅折葉 @domioriha

佐渡は天領である。天下の金銀山を要し、幕府直轄の領地として産出する莫大な金銀を江戸に送ることがその役割だ。その幕府がなくなってしまったら、佐渡はどうなるのか。――当然の疑問である。 混迷を極める事態の中、佐渡奉行所は奉行・鈴木重嶺の元事態の把握に努めることとなった。 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:06:38
銅折葉 @domioriha

だが、それを追うように3月16日、奥羽諸藩を代表して会津藩より樋口丈助をはじめとする五人が。さらに翌々日の3月18日には高田藩士が官軍の北陸道総督府執事の名の下佐渡奉行所に来訪。 それぞれに佐渡を戦略拠点として軍を駐留させ、金銀を献上するように要請してきたのである。 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:10:16
銅折葉 @domioriha

双方の、全く対立する要請に挟まれ、佐渡はいまや絶体絶命、窮地の只中にあった。いずれも軍勢を頼みにした実質的な侵略である。奉行所はおろか佐渡のどこにもこれを拒絶する力はなく、頼みの綱の幕府ももはやない。 どちらを受け入れたとしても、もう一方が黙っていようはずもない。 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:17:47
銅折葉 @domioriha

使者達は早晩に結論を求め、そこまでには奉行所も態度を決めねばならぬ。しかし尊王か佐幕か、交戦か恭順か。この上は佐渡を戦地にするしかないとまで過激な意見も出、議論は紛糾。現在に至るまでまったく結論は見えぬままだ。 修輔は五里霧中の評定の中、ひとり夜闇を見下ろしていた。 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:21:51
銅折葉 @domioriha

(なぜ、このような事になったのか……) 荒れる海は遠い。 佐渡は莫大な金銀を産出し、幕府の財政になによりもその金銀は重要視された。直轄の奉行所が設けられ、江戸から修輔のような役人が派遣されるのもそのためだ。しかしいまや、その金銀が佐渡を窮地に追いやろうとしている。 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:25:31
銅折葉 @domioriha

(……今すぐに送り出せる分でも金三万両、銀一万両。銭十万五千貫。島内全てとなればどれほどになるか。.……それが知られている以上、官軍、奥羽諸藩、どちらに与そうとも、もはや戦乱は避けられぬ) いかに議論を重ねようと、それは変わらないのだ。重苦しいと息とともに修輔は呻く。 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:32:17
銅折葉 @domioriha

金銀を生む島々というだけではない。航路の重要な中継点であり、諸外国の船も寄港する佐渡の港は、戦略上の最重要点である。「佐渡を、戦火に晒すことだけは、避けねばならぬと言うのに」 奉行所の多くの者たちは、降って湧いた事態に混乱し、その事を忘れているようだった。 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:35:28
銅折葉 @domioriha

徳川幕府300年の恩のままに佐渡を守らんとすること、それは即ち、戦乱に身を投じることだ。鈴木奉行以下、広間役の多はしきりに天領佐渡の有るべき姿を口にしたが、それが正しいとは、どうしても修輔には思えない。 ただ徒に争いの炎に油を注ぐだけではないか。そう思えてならない。 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:38:16
銅折葉 @domioriha

しかし、ならばどうすべきか――それもまた、修輔にはわからなかった。 「お役目として守ってきた、守らねばならぬ佐渡の金銀が、こうも我らを苦しめるとは、皮肉だな」 自嘲の中、修輔が身震いをして踵を返そうとした、その時。 「のう、おぬし」 がさりと、近くの茂みの中から声がした。 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:40:03
銅折葉 @domioriha

とっさに振り返り――腰に手を伸ばした修輔だが、茂みの奥の気配は杳として知れぬ。奉行所の中に侵入者、とも思えず、じっと耳をそばだて、暗がりに目を凝らす修輔の耳元に、 「今の話は、お主の本心かのう?」 生温かい声が響いたのはその直後であった。 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:42:34
銅折葉 @domioriha

悲鳴を上げなかったのは奇跡に近い。飛び退いた修輔の目の前で、ガサリと茂みが揺れる。 「――なんだ、おまえは。……誰だ。いつからここに――」 「そんなことはどうでも良かろう」 揶揄うように声は揺れる。ざわざわと揺れる茂みの向こうで、その声はどこからのものかすら判然としない。 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:44:24
銅折葉 @domioriha

「ふざけるな、なにを――」 「本心かと聞いておるんじゃよ。佐渡を守りたいというお主の言葉は」 「なに?」 問われ、修輔は訝った。それを聞いて何になる、どうするというのか。 果たして、常の修輔であればこの胡乱な問いは答えるべきものではなく、耳も貸さずにおくものであったろう。 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:47:20
銅折葉 @domioriha

だが。 それをしなかったのは気紛れか、気の迷いか、迫る機嫌の中結論の出ぬ議論に心底うんざりしていたか、いっそ神仏にでも、いやさ助かるならば天地を騒がす妖魔にすらも縋るしかないと思っていたからか。 いずれにせよ――この時、修輔は答えてしまったのだ。 「――ああ、無論だ」 と。 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:49:42
銅折葉 @domioriha

「そうか、そうかい」 茂みの向こうで、声は笑ったようだった。さも愉快そうに言葉を跳ねさせ、 「ならば、儂が力になろう。…お主の悩みを取り除いてやろうじゃないか」 「どういうことだ。…いや、そもそもおまえは誰だ。何者なのだ」 いまだ警戒を解かぬ修輔に、声は再度愉快そうに、 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:51:53
銅折葉 @domioriha

「儂は団三郎。……二ッ岩の団三郎狢よ。知らぬとは言うまい」 「団、三郎……」 その、得体の知れぬ声との邂逅が―― 幕末の、明治の騒乱に揺れる佐渡に訪れた、大きな騒動の始まりであることを。維新の最中に起きた狸むじなの大化け勝負であることを修輔が知るのは、これからである。 #狸の北越戦争

2019-10-13 23:56:18