食人習慣とクールー病

プリオン病にまつわる面白い本を何冊か買ったので、フォレ族にまつわる知識整理も兼ねた備忘録まとめ
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蛮族 @pierosashou

クールー病で亡くなった人が出たの一番最近で2005

2019-10-16 16:46:13
ぴーこ🐕 @PCO_1217

潜伏期間が長いから、簡単には死因が把握できなさそう…って思った

2019-10-16 17:06:12
深海さかな @dzurablk_kai

まさにこれが、クールー病やクロイツフェルト・ヤコブ病、羊のスクレイピーの原因が長年わからなかった理由 >潜伏期間の長さ

2019-10-16 17:22:42
深海さかな @dzurablk_kai

クールー病の発見に関しては、疫学的研究(患者がどんな環境で何に触れ何を食べて暮らしたか、そんな人たちがどんな風に地域的な分布を示してしているか)が病因の発見の決め手になったらしいですね

2019-10-16 17:17:28
皆月きらら🐎🍅 @Kirara_TMO_R

これ「HIV(HTLV-3)は感染力が弱い」って言う話が、実は「潜伏期が長く症状がわかり辛い」って事と「有効な診断方法が確立されていなかった」事が重なってそういう解釈になって、結果薬害エイズが蔓延したって話に繋がりますね…… twitter.com/dzurablk_kai/s…

2019-10-16 19:11:42
深海さかな @dzurablk_kai

ですね 実際そういった『除外診断的な病気の定義づけ』はプリオン病でもあって、クールー病とクロイツフェルト・ヤコブ病(当時は名前の順序が逆だったらしい)が関連づけられるまで、後者は原因不明の脳疾患を包括した除外診断的な病名だったらしいです(続く twitter.com/Kirara_TMO_R/s…

2019-10-16 19:16:21
深海さかな @dzurablk_kai

またプリオン病そのものも原因物質が『正のフィードバックによって生体内のタンパク質の組成を変化させていく感染性タンパク質』だと定義つけられるまでは『潜伏期間の長いスローウイルスによってもたらされる疾患』とされていたようで、90年代頃迄の医学書ではCjDがウイルス疾患とされてたりもします

2019-10-16 19:19:02
深海さかな @dzurablk_kai

『眠れない一族』読んでたら50年代にニューギニアに入植したオーストラリア人らがクールー病に出会った件で当時用いた鎮痛薬『スローンのリニメント』が今もアマゾンで手に入ると知り感動してる Sloan's Liniment 筋肉痛、腰痛、救済の首剛性70ミリリットル Sloan's Liniment amazon.co.jp/dp/B075VC19LX/…

2019-10-12 22:28:27
深海さかな @dzurablk_kai

『眠れない一族』、50年代当時にクールー病の解明に当たるべくオーストラリアから派遣された医師についての記述があったんだが、リトアニア出身の医師ヴィンセント・ジガスと共にフィールドワークに当たったカールトン・ガイジュシェックなる人物が『小児性愛嗜好の小児科医』なる個性の塊で笑ってるw

2019-10-12 22:46:06
深海さかな @dzurablk_kai

小児性愛の小児科医で後にノーベル賞を受賞する四名の著名な医学者に師事、当時英米に対し医学の遅れを取り戻そうと躍起になっていた豪州に米国から単身渡り、時には自らの食卓でクールー病患者の脳を取り出して両国に医学サンプルを送ったりしつつ、晩年は小児への性的虐待のかどで起訴されたとかw

2019-10-12 22:53:51
深海さかな @dzurablk_kai

クールー病等のプリオン病に関しては、この二冊に詳しい 『死の病原体 プリオン』 『眠れない一族~食人の痕跡と殺人タンパクの謎~』 pic.twitter.com/DkZTNK9Ez6

2019-10-16 17:46:51
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深海さかな @dzurablk_kai

まずは地理のおさらいから クールー病の起きたニューギニア島がどこかってーと、オーストラリアの北(この地図は左が北なので少々わかりにくいが) ラエやポートモレスビーがある島、言えば艦これやる人にはわかりやすいかもしれない pic.twitter.com/XYgp9x2Wo3

2019-10-16 17:53:34
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深海さかな @dzurablk_kai

ニューギニア島、元々はドイツの植民地だったんだが第一次大戦でドイツが負け、東半分がオーストラリアの委任統治領になりまして 内陸は密林が鬱蒼としてたので踏み込めなかった(&人もいないと思われてた)んだが、飛行機の発達で内陸の高地にも先住民がいることがわかり1940年代から探検が始まった

2019-10-16 17:56:38
深海さかな @dzurablk_kai

ニューギニア島の高地はアンガ族(かつては蔑称としてクククク族と呼ばれた)やカマノ族、アワ族等の部族が支配する数平方キロずつの土地が複雑に絡み合ってできており、そこで話されていた言語だけ取っても300以上という文字通りの未開の地 フォレ族と白人との出会いはそれらの内でも最後の方になる

2019-10-16 17:59:55
深海さかな @dzurablk_kai

フォレ族の支配地域はラマリ川とヤニ川の間にあるクラトケ山脈南側、ほとんど垂直に切り立った密林の中だった(ちなみにフォレというのは他の部族が彼らを呼ぶ名称で、『向こうの』や『南の』といった意味) フォレ族は自身らの部族を呼ぶ名前が無かったどころか、海の存在すら知らなかったらしい

2019-10-16 18:03:59
深海さかな @dzurablk_kai

オーストラリア人と出会うまでのフォレ族は実際、酷く原始的な暮らしをしていたらしく、主食はサツマイモとタロイモ、畑で野菜も栽培したり豚を栽培してはいたものの、女子供は虫やネズミを捕らえて食べることもあった

2019-10-16 18:10:32
深海さかな @dzurablk_kai

フォレ族の身なりは、肌に悪臭のする豚の脂と消し炭を塗りたくり(虫害や寒さから身を守る意味があったらしい)、女は草や樹皮で編んだエプロンを身につけ、男はエプロンの変わりにサイチョウのクチバシで作ったペニスケースをつけるというもの(これは後に海岸との交易で得られた貝殻で代用もされた)

2019-10-16 18:13:58
深海さかな @dzurablk_kai

頭には羽根やビーズを飾り、鼻には狩りで得たヒクイドリの骨も刺していた 女は豚の牙の首飾りをしていたが、これは葬儀のときだけ水子の赤ん坊の手で作られた首飾りに変わったという 文字も貨幣も持たない彼らには首長や族長と呼べる者はおらず、それまでは絶えず互いに殺し合い、

2019-10-16 18:21:00
深海さかな @dzurablk_kai

あるいは結婚や豚肉のやり取りで束の間の同盟関係を維持しつつ、組織のヒエラルキーを維持していたと フォレ族の原始的な思考にまつわる面白い話に『貨物崇拝(カーゴカルト)』というものがあって オーストラリア人たちが初めてフォレ族に出逢った時、

2019-10-16 18:22:37
深海さかな @dzurablk_kai

彼らは白人を神か死んだ先祖の蘇りだと思ったらしい なので白人がもたらした銃や缶詰、工業的に作られた衣類が何かわからず、そういった物資を神が新たに遣わしてくれるよう空の倉庫を囲んで一晩中祈ったというもの(結果はお察し フォレ族にとって白人との出会いはそれだけ衝撃的だったんでしょうね

2019-10-16 18:24:35
ぴーこ🐕 @PCO_1217

カーゴカルト、面白いなと思ったのは祈りのために物資を載せてきた飛行機を模した模型を作っていて、その模型で異性の飛行機を呼び寄せようとしたみたいな話

2019-10-16 18:30:49
予備役赤色提督(CV.中田譲治) @Admiral_Kirov

そういえばさかな氏の話で出てたカーゴカルトですが、昔読んだ何かの本で、どこかの部族が航空機に対するカーゴカルト持ってて面白いなぁって思った記憶。松明で滑走路を模擬したりしてて、凝ってるなと思った。

2019-10-16 21:30:36
深海さかな @dzurablk_kai

ただしこういった原始的なありようとは対照的に、フォレ族は大変好奇心旺盛かつ創意工夫が得意な部族でもあった オーストラリア人たちと出会ってまもなく彼らは集落間での死人が出るようないざこざも男女が別々に暮らす風習も捨て、サツマイモやタロイモに替わって換金できるコーヒーの栽培を始めた

2019-10-16 18:27:07
深海さかな @dzurablk_kai

その変わり身の早さたるや当のオーストラリア人たちが逆にブレーキをかけようとしたくらいで、詰まるところフォレ族というのは『天災バカボン』に出てきた先住民のような出で立ちそのものである一方で、それらは周囲から隔絶された密林によるものであり、彼ら自身は決して馬鹿な部族ではなかった

2019-10-16 18:31:17
予備役赤色提督(CV.中田譲治) @Admiral_Kirov

へぇ...こういう未開人との接触って、攻撃されたりすることも多いイメージだけど、彼らがこちらに柔軟に対応する場合もあるのか....>RT

2019-10-16 18:36:28