佐々木宏夫教授のお言葉

学問について考える
1
佐々木宏夫 @hiroosasaki

連休前に商学部のゼミ説明会があったのだが、出席者は3名。まあ、想定通りだ。しかもその3人に向かって「自分の頭を磨く努力をするつもりのない人は、私のゼミに来てもお互いが不幸ですから、よそのゼミを考えてください」などと言ってしまうのだから、最終的には応募者0人の可能性が高い。(続く)

2011-05-14 20:41:22
佐々木宏夫 @hiroosasaki

(承前)自分で言うのもナンだが今の早稲田で真面目に経済学やゲーム理論の勉強をしたのなら私のところに来るのが最善だが、「一流の」学生さん達はそう言う事に気付いていないようだ。(故清野さんのゼミにも殆ど学生が集まらなかっと聞くし、今の早稲田の政経や商には学問を尊ぶ気風がないなぁ…。)

2011-05-14 20:41:42
佐々木宏夫 @hiroosasaki

「学問には坦々たる大道はありません。学問の峻険な山道を登る事を厭わない者だけがその輝かしい頂上を極める希望を持つのです。」若い頃読んだ時の記憶だけを頼りに書いているので、正確な表現でないかもしれないが、『資本論』フランス語版序文にたしかこんな言葉があった。(続く)

2011-05-15 02:08:22
佐々木宏夫 @hiroosasaki

承前1)数学科の学生時代試験に追われて勉強する時、常にこの言葉が頭に浮かんでいた。「こんな抽象的な学問が何の役に立つのか?」という疑問をこの言葉は封じてくれた。あの頃勉強した数学の殆どはその後の人生で役に立たないものだった。それでも若い頃一生懸命数学を勉強してよかったと思う。続く

2011-05-15 02:08:41
佐々木宏夫 @hiroosasaki

承前2)マルクスが言う通り、学問は山登りのようだと思う。登り始めは頂上がどこかも分からずにひたすら辛く苦しい山道を登り続ける。そして、疲労が極限に達した時、森林限界を超えたあたりで突然視野が開けて頂上が見えてくる。その後は頂上を目指して快適な尾根歩きが始まる。(続く)

2011-05-15 02:09:09
佐々木宏夫 @hiroosasaki

承前3)「本物の」学問をやるのに何よりも必要なのは忍耐だ。「何の役に立つのか?」というような迷いを振り切って、忍耐強く勉強を続けていくと、いつの日にか突然展望が開けてくる。それからは学問が楽しくなり出す。忍耐を必要としない学問は本物の学問でない。それはニセの学問だ。(続く)

2011-05-15 02:09:28
佐々木宏夫 @hiroosasaki

承前4)数学、経済学、法学などの忍耐を要する本物の学問は、それに専念できる学生時代にこそやるべきものだ。社会に出てから片手間にできるものではない。頭の回転が絶好調の十代後半や二十代前半に、社会に出てから片手間でできるような「ぬるい」勉強をするのはあまりにももったいない事だ。(続く

2011-05-15 02:09:49
佐々木宏夫 @hiroosasaki

承前5)私が以前のツイートで「早稲田の政経や商には学問を尊ぶ気風がない」と書いたのにはこういう理由がある。忍耐を必要としない「ぬるい」勉強ばかりをやって、本物の学問をやった気になるのは勘違いの極みだ。頭は使わなければ確実に退化する。若い時代には徹底的に頭を鍛えるべきだ。(終わり)

2011-05-15 02:10:16
佐々木宏夫 @hiroosasaki

補足1】この4月から慶應大学経済学部の准教授になったS君は国際的に活躍する若手経済学者のホープだが、学部の頃私の授業を取っていた。学部時代の彼は全く目立たない学生だった。今は学振の特別研究員であり優れた研究をしている私の院生のA君も、学部時代はパッとせず大学院で開花した。(続く)

2011-05-15 10:42:09
佐々木宏夫 @hiroosasaki

補足2】確かに少なくとも経済学の場合、大学院からでも何とかやり直す事は出来る。だがそれでも学部時代からやっておくに越した事はない。ましてや「文系」の大多数の学生は大学院に進まず学部だけで社会に出る。社会に出てから重たい「本物の」学問をやるのは至難の業だと思っておいた方がいい。続く

2011-05-15 10:42:27
佐々木宏夫 @hiroosasaki

補足3】「学問の気風」に話を戻すと、忍耐を要する学問を学生が敬遠する事だけが問題なのではない。本当は単に自分の努力不足や資質の欠如に起因して本物の学問が理解できないのを他人のせいにするため、経済学や数学等をやっても役に立たないよ、と言って他の学生まで巻き込もうとする輩が多い。続く

2011-05-15 10:42:44
佐々木宏夫 @hiroosasaki

補足4】その結果忍耐を要する学問は敬遠され、学部内の知の空気も損なわれて行く。例えば早大商学部での経済学系ゼミの不人気さの主要原因は教員にあるのでなく、学生の怠惰さと学問への無関心にあると思う。プライドの高い高偏差値校の学生は自己責任を学問の有用性等の問題に転嫁しようとする。続く

2011-05-15 10:43:03
佐々木宏夫 @hiroosasaki

補足5】この状況は多分政経学部(少なくとも経済系)も同様ではないか?故清野さんだけでなく、今でも何人かはいるしっかりした学者のゼミに人があまり集まらないと聞いた。学問的に厳しい先生が敬遠されがちになるのはある程度仕方ないとしても、一流大学でゼミに閑古鳥が鳴くのは異常事態でないか。

2011-05-15 10:43:19
佐々木宏夫 @hiroosasaki

これくらい挑発的なことを連投して、カチンとくる学生や逆に胸にズシンと響く学生がいれば、まだ捨てたもんじゃないんですがね・・・。笑

2011-05-15 11:10:26
佐々木宏夫 @hiroosasaki

承前)むしろ最近の学生を見ていて問題だと思うのは、授業に出てその場でパッとわかるものを「良い授業」と思い込んでいる節があるし、大学当局も妙に学生に優しくなってしまって「分かる授業が良い授業」的な姿勢で学生を甘やかしがちなんですね。(続く)

2011-05-16 09:17:19
佐々木宏夫 @hiroosasaki

承前2)でもそれなりに中身のある深い学問だったら、聞いてすぐその場でわかるなんてことはあり得ないわけでして、予習復習をしっかりしてやっと理解できるものなんですね。「聞いてすぐわかる」ようなものは就職後電車の中で勉強すれば十分、大学時代にはもっと深い勉強をしましょう、という事です。

2011-05-16 09:17:36
佐々木宏夫 @hiroosasaki

もっとも私なんかも入門書を沢山書いてそういう甘えの風潮を助長させている面はあるのですが、あくまでも今後もっと深く勉強して行くためのきっかけになって欲しいと思って入門書を書いている訳です。それを勘違いして入門書が理解できたから学者になりたいなんて素っ頓狂な学生もいたりするんですね。

2011-05-16 09:35:15
佐々木宏夫 @hiroosasaki

教師が学生に「勉強しろ」と言うのは洋の東西を問わず当たり前の事であり、学生がそういう教師を鬱陶しく思うのも自然だろう。しかし教師が学生と同じ目線に立って「勉強しろ」という教師を鬱陶しがるのは、人が犬を噛むような珍事と言えるかもしれない。(それだけ気が若いという事なんですかね。笑)

2011-05-16 23:50:53
佐々木宏夫 @hiroosasaki

【先生またはセンセイ1】先生という言葉は好きでない。学生が教師を先生と呼ぶのはともかくとして、医者や教師が同僚同士で先生と呼び合っているのを見ると違和感を覚える。と言いつつ私も職業上の摩擦を極力避けるため(それでなくても摩擦の多い人間だから笑)、同業者等を先生と呼ぶ事は多い。続く

2011-05-18 14:19:48
佐々木宏夫 @hiroosasaki

【先生またはセンセイ2】自分の教え子でもない人から「佐々木先生」と呼ばれた時に、アマノジャクな私は、政治家のセンセイや漫画家のセンセイなどと同様、「佐々木センセイ」なのだろうと思うことにしている。(続く)

2011-05-18 14:20:04
佐々木宏夫 @hiroosasaki

【先生またはセンセイ3】そうは言っても世の中には、ご本人が目の前にいてもいなくても、先生と呼ばざるを得ない、あるいは呼ぶべき人がいることもたしかだ。ご存命の方の中で、私にとってそういう方が3人いる。残念ながら(笑)いずれも経済学者でない。笑 (続く)

2011-05-18 14:20:19
佐々木宏夫 @hiroosasaki

【先生またはセンセイ4】故二階堂副包先生は、私が大学で職を得てからは私のことを「佐々木君」ではなくて「佐々木さん」と呼ぶようになった。その変化に気付いたとき、先生の気遣いが嬉しくまた誇らしかった。もっとも先生のように人間が出来ていない私はいまだに卒業生を「**君」と呼んでしまう。

2011-05-18 14:22:02