「奈良県安堵町の極楽寺にある高さ約4メートルの阿弥陀如来坐像が、戦後、広島市で原爆犠牲者を弔うために原爆ドーム近くの寺に安置され、その後、行方がわからなくなった「広島大仏」とみられる」 / 半世紀行方知れず…「広島大仏」奈良にいた : … http://htn.to/NZ6gcu
2011-05-30 16:50:22半世紀行方知れず…「広島大仏」奈良にいた http://t.co/gY3tskf 「広島大仏は1950年、広島県内の別の寺から、原爆ドームそばの西蓮寺に移された。当時、歓迎する市民が大仏を車にのせ、パレードし、絵はがきにもなった。」広島では仏舎利塔建設計画も大騒ぎの末立ち消えた。
2011-05-31 00:24:13戦後混乱期の広島と仏教の関わりについては、黒歴史を含めて掘り起こしてみる意義があると思う。ほんと、いろんな話があるからね。
2011-05-31 00:25:49@naagita すみません、広島駅裏の山上に巨大な仏舎利塔が昔から市内を睥睨しているのですが、別の話があったのでしょうか?
2011-05-31 00:35:32まー死者と弔う為にお経を読む訳じゃない宗派もあるんですけどね。死者は速攻成仏なんで真宗門徒が仏壇の前で正信偈読むのは感謝しての事。法事墓参りすらも供養目的じゃないっていうね。
2011-05-31 01:09:10@aquirax01 比治山公園の現代美術館があるあたりに、別の建設計画があったのです。世界仏教徒連盟(WFB)でも宣言された日本仏教あげての事業としてはじまったのですが、金銭面の不祥事があったりして立ち消えに。
2011-05-31 01:10:42@aquirax01 いまある双葉山上の仏舎利塔は、平和運動で有名な日本山妙法寺がインディーズでつくったもの。こっちも台湾資本が入って大規模なレジャーランドになるはずでしたが、こっちもいつの間にか縮小されて、いまの寂しい姿に……。
2011-05-31 01:12:05@naagita なるほど! 御丁寧にありがとうございます。生まれ育った地と思っていても知らぬ事がまだまだあります。勉強になりました。
2011-05-31 01:15:42@naagita しかしながら、惜しい事でしたね……いや、仏舎利塔レジャーランドの方ではありません(笑
2011-05-31 01:18:01@aquirax01 比治山公園の方いつまでたっても放置状態だったので、1965年には広島市議会でも問題に。自殺者騒ぎも起きて事業主体が解散したため、件の仏舎利は東京芝公園の全日本仏教会事務局に返還されました。世界的に恥をさらした戦後日本仏教史の知られざる「黒歴史」ですね。
2011-05-31 01:18:29んでもって、現在は門徒系牛乳屋さんをルーツとする人脈をバックにして、チベット仏教東漸の拠点となってるんだから、広島は仏教史的にすげー面白い土地だよね。
2011-05-31 01:25:17それから、『仏教タイムス』出して全日仏設立のオーガナイザーとなった常光浩然も広島から出てるんだから。全日仏が常光らの力を活かして個人加入になってたら、戦後の「伝統仏教」はぜんぜん違うものになってたかも。
2011-05-31 01:25:43@naagita 戦後仏教界のゴタゴタは今もたゆみなく生産され続けている観なきにしもあらずですが、他国に波及している点を鑑みるに、これは格別に酷いですね……
2011-05-31 01:29:05まぁ、公正を期するなら、明治時代から延々と続いたブッダガヤの大菩提寺をめぐるダルマパーラ居士にyる「買う買う詐欺」まがいの金無心明け暮れに比べれば(実際、交渉大変だったんだろうけど)、広島の仏舎利塔の話はまだかわいいかもしれない。
2011-05-31 01:29:21久しぶりに自著 http://www.amazon.co.jp/dp/4901679953/ のネタで楽しく妄想した。
2011-05-31 01:30:46@aquirax01 まぁ、誰も責任追及とかしないで水に流してくれるあたり、仏教国のいいところ……とゆーか1960年代~は他の仏教国もみんな政変・革命や戦争・内戦でそれどころじゃなかったっす。仏舎利塔のことなんか、まったく忘れてると思いますw
2011-05-31 01:32:51さっき真宗と「供養」の話をちらっとしたが(http://bit.ly/j02Is7)、テーラワーダ等の上座部仏教では死者の供養をどう定義してるんだろう。
2011-05-31 01:34:06@kino8oj http://www.amazon.co.jp/dp/4901679996/ 藤本晃『仏教の正しい先祖供養』(サンガ新書)に詳しいです。功徳回向の儀式は同じですが、回向される側(先祖=餓鬼)が子孫の回向に随喜して善心を起こし、餓鬼身を脱すというのがミソ。
2011-05-31 01:41:25@kino8oj ちなみに「餓鬼」っつーと漢字の字面でおっかないネガティブな印象ですが言語のpeta は「祖霊」の意味なので、有史以来連綿と続いてきた祖霊供養を仏教に組み込んだのだと思いますけどね。ちなみに釈尊が成道されたブッダガヤ近郊は、お盆に似た精霊流し儀式のメッカですよ。
2011-05-31 01:44:27@tenuh2011 拙著 http://www.amazon.co.jp/dp/4901679953/ で一章割いて仏舎利塔問題の顛末に触れました。不充分な記述と思いますが、よろしければ図書館などで御覧ください。
2011-05-31 01:46:20@naagita なるほど、そういう事ならすごく納得出来ます。上座部仏教のような出家仏教での「在家」のありかたというものも含めて興味があるので、ご紹介の本、読んでみようと思います。ありがとうございます!
2011-05-31 01:46:30あと、ブッダガヤのあたりって、ブラフマン(梵天)信仰の聖地でもあるらしい。梵天勧請の伝説も、そういう地域特性を踏まえて考えたほうが楽しい。ブッダガヤで成道したなら、それを言祝いで説法を懇願するのは当然、梵天の役目。釈尊を雨から守ったのはナーガなので、これ天神地祇の合作劇だす。
2011-05-31 01:54:12@naagita ははは。しかし、最近「イスラム教徒と違い仏教は慈悲を重んじるのでテロの類とは縁遠い云々」といった幸福な表現を時に見ますが、あの頃の仏教国の状況はキレイに忘れ去られているのでしょうか。世界史的荷重の移動は宗教のイメージも変えて行きますね。
2011-05-31 01:54:40@aquirax01 WW2後の仏教は赤組白組の双方からタコ殴り気味でしたね。最大仏教国だった中国は文革で法滅危機、チベット国ごと崩壊、カンボジア僧侶皆殺し、ベトナム差別にブチ切れ焼身自殺、セイロン周回遅れの血盟団&内戦、日本「防共連合」の一角で虫の息&新興宗教の草刈り場。
2011-05-31 02:02:32