10周年のSPコンテンツ!

乙武洋匡(h_ototake)さんの「運動会で給食を出すことが平等?」

今日、運動会が開かれるところも多いみたいで・・乙武さんが運動会の昼食について、給食を出す学校もあるみたいだけど・・・とその理由、思うところをツイートされてます。
コラム 給食 挫折 うらやましい 家庭環境 無責任 経験 教育機関 弁当
150
乙武 洋匡@義足プロジェクト @h_ototake
1.僕が勤務していた小学校は、運動会の日は子どもたちも家族と一緒に校庭で弁当を食べていた。でも、学校によっては運動会の日も給食を出し、子どもたちを教室に入れてしまうところも。親たちは、子どものいなくなった校庭でさみしく弁当を食べるか、なかには一度家に帰って、また出直してくる人も。
乙武 洋匡@義足プロジェクト @h_ototake
2.子どもたちを教室に入れてしまう理由は、「親が来れない子が傷つくから」。あとは、「弁当格差によって、パン1枚しか持たされない子が傷つくから」。僕は前から言っているように、何でも傷つけないようにビニールハウスで囲い、温室栽培をすることが教育ではないと思っている。
乙武 洋匡@義足プロジェクト @h_ototake
3.それぞれの資質や能力、容姿や家庭環境は生まれもったもので、その前提を変えることはなかなか難しい。その「違い」を感じさせないよう、いくら学校が配慮しても、ビニールハウスが取り外された社会に出れば、いくらでも傷つく機会がある。そのときまで気づかせないほうが、僕は無責任だと思う。
乙武 洋匡@義足プロジェクト @h_ototake
4.「私の家はお母さんが来れなくてさみしい」「あの子の家の弁当は豪華だから、うらやましい」。もちろん、運動会にそんな苦い思い出を持つ人もいるでしょう。だから、そう感じる子が出ないように、みんなで給食。これで、だれも傷つかない。そんな“平等”を図ることが教育?僕は、そうは思わない。
乙武 洋匡@義足プロジェクト @h_ototake
5.社会に出れば、傷つくこともある。挫折することもある。そんなとき、どう立ち上がり、ふたたび歩いていけばよいのか。そんな経験をさせておくことのほうが、よほど教育的だと思うのだ。絶対的に存在する“違い”に布をおおいかぶせ、「みんな平等だよ」とうそぶくことが教育だとは、僕は思わない。
乙武 洋匡@義足プロジェクト @h_ototake
6.もちろん、学校だけを一方的に批判するつもりはありません。「これでうちの子が傷ついたらどうするの?」と厳しい調子でご意見を寄せる保護者の存在があることも忘れてはいけない。でも、学校にはもう少し毅然と対応してもらいたいんだよなあ。学校はサービス業じゃなく、教育機関なのだから。
乙武 洋匡@義足プロジェクト @h_ototake
7.長々と失礼しました。東京では、降り続いた雨の影響で、今日が運動会という学校も多いようですね。この日のために練習を積んできた子どもたちと、それを見守るみなさんにとって、今日の運動会が思い出に残る素晴らしい一日となるよう、お祈りしています!
Tom @Tomrinco
@h_ototake 同意ですが、具体的に運動会の昼ごはんがパン1枚で傷ついた子の挫折感、悔しい気持ちに、教師はどう向き合うべきなんでしょうか?
乙武 洋匡@義足プロジェクト @h_ototake
僕は遠足の日など、わざとコンビニでサンドイッチひとつ買っていって、弁当の時間、その子のとなりで「同じだね」って。なんかホッとした顔してた。RT @Tomrinco: 同意ですが、具体的に運動会の昼ごはんがパン1枚の子の挫折感、悔しい気持ちに、教師はどう向き合うべきなんでしょうか?

コメント

しまだあや @c_chan1110 2011年5月31日
RT @h_ototake: 僕は遠足の日など、わざとコンビニでサンドイッチひとつ買っていって、弁当の時間、その子のとなりで「同じだね」って。なんかホッとした顔してた。RT @Tomrinco: 同意ですが、具体的に運動会の昼ごはんがパン1枚の子の挫折感、悔しい気持ちに、教師はどう向き合うべきなんでしょうか?
米谷(よねや)学~Excel統計学の研修講師 @manab7 2011年5月31日
[学校はサービス業じゃなく、教育機関」、「温室栽培をすることが教育ではない」…大変良いご指摘です。 わたくしも小さい頃、校庭のトラックを囲むように座席で、家族と昼食を摂るのは、楽しみの1つでした。 競技は苦痛でしたw。
獅子@T.O_R.U @sskurara 2011年5月31日
家庭科の授業で作った手提げ袋にフランスパンの切れっ端を入れて遠足に行った事があります。立派なリュックを担いだクラスメイトがはやし立てる中、先生はその手提げ袋が上手にできているから、と守ってくれました。学校がやる事って、それでしょ。
蓮(撤退) @225temp 2011年5月31日
同意、誠にその通り、と思うのですが、共稼ぎでなかなかお弁当を作れない身ならば給食っていうのもちょっと助かったり。大人の都合であって子供の視点無視なんですけどね。
蓮(撤退) @225temp 2011年5月31日
30年前、私の通った小学校ではおかず無し、おにぎりのみがデフォルトでした。弁当格差をなくすためだったと思うのですが、クラスみんなで工夫して、焼肉おにぎりとか餃子おにぎりとか唐揚げおにぎりとか。みんな工夫して楽しかったです。
露傍の石 @isiken78 2011年5月31日
>【ビニールハウスが取り外された社会に出れば、いくらでも傷つく機会がある。そのときまで気づかせないほうが、僕は無責任だと思う】 まさに!その通りだと思います。「気に病むな、楽しくやろうぜ!」と明るく、或いは毅然と言って下さる先生だといいなぁ。
西村公平 @nsm1536 2011年5月31日
はじめから「保護者が来ていても、教育の一環として給食を平常通り実施する」って言ってしまえばよくて、それが「毅然とする」ことなんだと思うんですよ。給食を通じて達成すべきことがせっかく学校給食法第二条に書かれているのに「平等のため」と言って懐柔していてはもったいないですね。先生がそうしたくなる気持ちも分からないではないですが。
まつこ @matsukobucha 2011年5月31日
私の知り合いの学校では担任が「当日 親が来れないところ!」と手を挙げさせて、その子たちの親に承諾を得て、お弁当のない子には お弁当を手配されてました。もちろん先生が自分の分も頼んでみんなで一緒にテントで食べておられたそうです。ステキな先生だなと思いましたよ。
江頭キチジロー @yanagomi 2011年5月31日
「運動会の給食」の如き悪平等教育では、アフロアメリカンの子供に白いドーランを塗るのでしょうか? 目の不自由な子供のために皆がアイマスクをするのでしょうか? 家族が来られない子供には、先生が家族になればいいのです。
Virtue (ヴァーチェ)⛎ @JAPONIUM 2011年5月31日
被災地の話かと思ったら違うんだな。
みわさん @aceperegrine 2011年5月31日
親が来ない事のフォローは親がするもんだと思ってたが、今は違うのか。うちは共稼ぎで運動会にも参観日にも親は来なかったけど、「両親は働いてるから」と胸を張ってた。周囲との違いで傷つくとか言う前に、なぜ違うのかを話し合うべきでは。
陸離 @Rikuri_Tukimoto 2011年5月31日
実態を伴わない共産主義者が教育現場で暴れている事象の一端なのかなって思った。
蟹戦車F44 @crabgunner 2011年5月31日
「子供が傷つくから」ってのは怠け親の 言い訳で、実際は自分が恥かきたくないからなんじゃないの。その程度の羞恥心すら持ってない親が出てきてるから、さらに話はややこしいと思うが…
くれたぴ🛋부교공🚇크레타피(•ᴗ•) @keretapi_jepun 2011年5月31日
まぁ、その「毅然とした態度」が簡単に出来れば良いんだろうけど、僕みたいに優柔不断な人はクレームに屈するしかないんだよねー( ´ω`)
西風 @nishikaze_8 2011年5月31日
①現場の人間です。温室栽培的発想については同じく否定的です。が元ツイート②給食を出し子どもを教室に入れる理由については別の解釈もあります。給食はそう簡単に止めたり出したりできません。延期による平日開催でその日を弁当にするなら、当初からその日の給食はなしになることが一般的。つまり日曜に運動会をした後、月曜代休、火曜は弁当となることにもなります。多くの学校ではこれを避けるため予備日は給食とすることがあります。
西風 @nishikaze_8 2011年5月31日
②乙武さんが仰る理由がその根拠になる学校もあるのでしょうが、感覚的には給食停止処理の煩雑さも大きな理由と思っています。我々教師としては運動会の中休みはせいぜい60分、子どもを教室に入れ配膳・食事・下膳指導をし午後の競技に向かわせるの大変に煩雑。そりゃあお弁当がありがたいですね。 けして平等主義のみで給食提供を判断しているわけではないことをご理解いただけると嬉しいです。もちろん「日曜開催でも給食を実施」という学校については分かりかねますが・・・
西風 @nishikaze_8 2011年5月31日
③「社会は厳しい、もっとたくましく」そこについて一定の理解はしています。そのためには子どもたちに適度な負荷をかけて育ててもいきたい。でもそれは平素の教育活動で多くの教師は取り組んでいます。運動会という生涯残る可能性のある場面で、もし悲しい表情になる可能性のあるお子さんがいれば、私は反対するかもしれません。競技内容でもそれまでの取り組みでも全員が達成感を持てるように取り組んでいるのです。なにも運動会でその子にはどうもできない部分で、社会の厳しさを教えなくてもよいのではないでしょうか。
CAW=ZOO @CAWZOO 2011年5月31日
なんかまた仕様が変わったなあトゲッタ。まあそこまで子供にこびる意味がわからんけど。そんな学校あるの?パン一枚の子供が実際いたの?平等にするのは「親や教師のエゴ」ってのが最近のオレの感想かなー。理想の押し付け。社会は違うよねー。それ教えないと。
zetumu @zetumu 2011年6月1日
運動会で給食のまとめを見た。普段は乙武さんの意見に同意のことが多いけど今回は違うな。普段から弁当で運動会の時だけ給食になるのなら言っていることも分るが、普段学校では給食なのだから学校活動の一環である運動会でも普段と同じように給食で当然だと思う。あくまでも保護者は見学的立場。昼食時のみ保護者と一緒に食事をとるほうが違和感を感じる。
たかぴっぴ @silver1031 2011年6月1日
まとめて給食にしてなんでも平等は確かに違うと思う。つーか、親御さん達は交流ないの?運動会くらいさ、ちょっと多めに作ってあげて、親が見に来れない子供とか、忙しくて弁当作ってあげれない子とか関係無しにいろんな家庭同士で交流するのもアリだと思うんだけど。自分らが子供の頃は親が来れない他所の子だって、こっち来てみんなで食べようよってあったけどなぁ。で、弁当作れなかった親はちゃんとお礼してね。「そんなのいいのよぉ。作りすぎちゃったし。」みたいな。せっかく子供も親御さん達も集まるイベントなのに。(続)
たかぴっぴ @silver1031 2011年6月1日
家族単位に固まってでしか食べないってなんか寂しいね。今はアレか。他人の子供の分なんて知らないわよ。とか作ったら作ったでうちの子に余計な事はしないでくださいとか、材料費をどうするかとか言い出しちゃうわけ?やっぱ。自分の子でも他人の子でも、どこの子だって子供は宝だと思うけど。まぁ、先生がうまく潤滑油的役割をこなせないと難しいか。
りょう(カロリー不足) @ryokanuma 2011年6月1日
親が自営業だったので運動会のお昼の時間は非常に苦痛だった。近所に親戚が住んでいた(僕が挟まれる形で子供が2人居る)ので一緒に食べてくれていたが、親戚が居ても親が居ないのはすごくイヤだった。
りょう(カロリー不足) @ryokanuma 2011年6月1日
しかし、「小学校」って括りだとさらに大まかに低学年と高学年で思う事は違うと思うんだ。俺は低学年の頃は親が居なくてイヤだった。高学年になってからは他人と比較して親が運動会にも来られないという点で違うのがイヤだった。後者はフォローできても前者は難しいだろ。
アズマ @azuma_x 2011年6月1日
平日開催で給食止めるのは難しい、というお話がありますが、それならご家族を教室に入っていただいて一緒に食事するのはどうなのでしょうか。ご家族は持参しつつ昼食。「今の給食はこうなんだ」「教室はこうなんだ」と理解を得られると思います。児童も、日常に親がいるという非日常が思い出になりますよ。
けんと @tmn4001 2011年6月1日
子供によって親が来るか否かとか弁当がどうだとかって本人の問題でそこまで学校がフォローしないといけないのはおかしい。他方で、最近の親は何でも困ると学校のせいにする傾向も見える。親も学校ももう少し成長しないとだめじゃない?
ヤマザワ @yama_zawa 2011年6月2日
運動会でそこまでやるか? 給食や配布のお弁当で親も子供も一緒に食べればいいのでは。
チコラブ⋈ザ⋈褒めたり慰めたりするおじさん @chico_love 2011年6月2日
平等なんて、絶対にない。誕生日、環境、親、性格、技能に他諸々、それらすべてが平等になるなんてことは、あり得るわけがない。「平等」という言葉を使うのなら、まずここから考えるべきだと俺は思うのよね。平等という言葉のなんと薄っぺらいことか
Magu1980 @Magu1980 2011年6月3日
そこまで言うならと競争で順位をつけるのも成績で順位をつけるのもやめればいいのにね
小野仁 @yukikazemaru 2011年6月5日
競争で順位をつけることを止めた学校がある、という噂はきいたことがある。
snctyd @snctyd 2011年6月6日
やっぱり少子化で子供の教育に対しての期待感というか重みがすごいんですかねぇ。 親も教師もまるで腫れ物に触るような感じですね。
米谷(よねや)学~Excel統計学の研修講師 @manab7 2011年7月6日
「競争で順位をつけるのも成績で順位をつけるのもやめればいい」は当たらないですよ。 論点が違います。 平等と競争は別なのですから。 俺のように速く走れないと競争は苦痛だけど、最後まで走れたねと参加と達成を評価したり、脚をケガした人には「せっかく楽しみにしていたのに残念だったね。治ったら一緒に走ろう」とすることが大事なのでしょう。 もちろん速く走れた人を評価することも正しいことだと思います。
有魚神弥/番煎P @kaAmiya_m96 2011年8月20日
だったら「走るの苦手だから徒競走嫌」「踊るの嫌いだからダンス嫌」「大声出したくないから応援嫌」というのも一々聞き入れるのだろうか。 今更な話題な気がするけど、そう思ったから一応コメントしておきます。
こぱんだ上等兵 @42cynthia42 2015年1月19日
もう運動会やめたらいいんじゃないかな(白目)
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする