“村上 定一郎氏(個人) 伊達政宗の慶長遣欧使節団が航海した木造洋式帆船を復元 サントリー地域文化賞 サントリー文化財団” htn.to/mxFN8WG
2016-07-18 17:33:18村上定一郎氏 #伊達政宗 の #慶長遣欧使節団 が航海した木造洋式帆船を復元 サントリー地域文化賞 suntory.co.jp/sfnd/prize_cca… >>「最大の難関は、木造船製造の技術を持つ人材を集め、実際にそれを造るという問題であった。鉄鋼船時代の現代において、そのような技術を持つ船大工はもうほとんどいない」
2018-01-20 20:13:38かなり大事業だったんだなぁ >>「最大の思い出は、1992年10月の天皇、皇后両陛下のご視察だった。当日両陛下が船大工たちの側まで行きお声をかけられるという予定外の出来事に、明治生まれの大棟梁は、これほどの名誉と感激はなかったと振り返る。その時のことを大棟梁は歌に残している」 乗ってみたい
2018-01-20 20:18:231613 10/28(慶長18 9/15) サン・ファン・バウティスタ号 陸奥国月浦港から出航 ワンピースのワノ国光月家のモデルは伊達家じゃないのか。ソテロやビスカイノの指揮とはいえ、あの時代の国産木造船で太平洋2往復って凄いな。1993年の復元船が2011年の東日本大震災の津波も物ともせず壊れなかった事も。
2018-01-20 20:38:12昔、宮城で木造帆船を復元しようとした時、「船大工なんか絶滅寸前なのにアホちゃうか」と野次られたんだけど、とある棟梁が全国の船大工の棟梁を説得して回り、結果完璧な復元がなされた。 その棟梁は全国の船大工を束ねたことで「棟梁の中の棟梁」と讃えられ「大棟梁」と呼ばれたという(マジ話)。 pic.twitter.com/UvTUzB6L7w
2019-10-31 19:47:20ちなみに、このガレオン船の復元にあたっては、大学の先生が引いた図面が船大工の常識的にはあまりにも噴飯物だったため、「図面の通り作ったら浮かぶものも沈むよ」と、全国の船大工の棟梁たちは大学の先生が帰った後で自分たちの経験とカンでもって勝手に船を作ったため、資料的価値はない、らしい。
2019-10-31 19:52:15遅くなったけど、首里城もこうであって欲しいものだ。 「資料残ってない木造の城を一から復元とかアホちゃうか」と野次られつつも、棟梁の中の棟梁である大棟梁が現れ、全国の大工を束ね、以前よりも素晴らしい形の首里城を再興してくれることを。 その人には「大棟梁」の称号を与えるべきだ。
2019-10-31 19:55:29バズるコースなので今のうちに宣伝を。 この船の名前はサン・ファン・バウティスタ号。慶長大津波の甚大な被害に心を痛めた伊達政宗が、仙台を世界に名だたる交易港として発展させるため、支倉常長を使節として派遣し、欧州との交易を求めるために作った船であります。 今も一般公開されております。 pic.twitter.com/jZNBwDFDC8
2019-10-31 20:07:25@enokoropso2 大棟梁の名前は村上定一郎氏。当時、ご自身も相当のご高齢であったにも関わらず、全国を訪ね歩き、37の組の船大工の棟梁を説得して事業を手伝わせた事で尊崇され、「大棟梁」と讃えられたそうであります。まさに仙台の清水次郎長親分です。 史実ですよ?
2019-10-31 20:13:15この船作った村上定一郎、頼まれた時には80過ぎてて、明日死んでもおかしくない歳の上に、技術者たちも皆ヨボヨボだった。しかし、棟梁は仲間をこき使うことなく、徹底的に健康管理とかに気を使って最後まで完徹させたのは職人として、一人のプロとして立派だと思います。
2019-11-01 08:40:59この船を作った時、先の天皇が視察に来て、労いの言葉をかけたというが、明治生まれの棟梁からすれば天に上る名誉だったんではないか。畏れ多い現人神の天皇様、と教えられた世代が、天皇の口から労いの言葉をかけられた。ましてや一生お目にかかることはないと思った人が、ね。
2019-11-01 08:43:26