編集部イチオシ

フィギュア野外撮影者がポケモンの指人形を連れて、風雪の城の静寂を感じた青森・弘前旅行記

第20章:ニドキング/青森・弘前。フィギュア野外撮影を行っている人が青森・弘前へロケ旅に行って撮影しつつ、雪の舞う雪の風情を感じたツイートと、関連情報等まとめ
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ポケモンキッズを用いたフィギュア野外撮影を、1都市1キャラのポケモンを分布させるべく、ロケ都市数にして380箇所。それらを旅行記という形Twitterに連載し始めたところ、改めて旅先のことを調べ直してみるまで知らないままであったことに出会えることがまた愉しいなど、堅い言葉遣いしかできない私にとって、旅行記という形態が元からあるべき姿だったのではないかと思われるほどに。

Twitterへの投稿は紀行番組の本放送、トゥギャッターまとめは紀行番組の書籍版という、異なる趣旨を持たせることができた。その流れで、当企画を「不定期放送の教養番組『ポケモンキッズと巡る旅行記』シリーズ」と銘打ってみた。

kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr

はい、次の旅先はこちら。 旅のお供はニドキング。 雪の舞う城ですが、こちらはどこでしょうか? pic.twitter.com/59qqgqzWGG

2019-10-17 19:25:44
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ということで、不定期放送の教養番組『ポケモンキッズと巡る旅行記』シリーズ第20章、青森県弘前の投稿を始めましょう。 今回の旅のお供はニドキングです。 果たしてどんな出会いが待っているのでしょうか? pic.twitter.com/XtBNNz1Vk6

2019-10-17 19:26:37
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ということで次ツイートからは、いつもようにニドキングの #ポケモンキッズ を連れて写した写真を貼りつつ、来歴について話したり、写真の構図自体について話したりしていきましょう。 今回の目的地、弘前城は桜が有名ですが、私が訪れたのは、ご覧の通りのです。 pic.twitter.com/fLnFTSozjR

2019-10-17 19:28:21
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雪の舞い散る中、ニドキングをお供に、弘前城へ。 当企画で紹介済みの城は、台地の端タイプ(名古屋城、熊本城ほか)小高い丘タイプ(新宮城、高知城ほか)がありましたね。 この弘前城はというと、台地の端タイプです。 pic.twitter.com/WG2Zpixf70

2019-10-17 19:31:04
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まず、弘前という街自体、津軽平野の南端にあります。 白神山地からダラダラと続く台地群が終わる場所とも言えますね。 そこに、台地が少し張り出した場所がある。 見通しが良く、城を建てるのにもってこいの場所となるわけですね。 pic.twitter.com/xLUUo5MWAH

2019-10-17 19:33:46
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ニドキングの #ポケモンキッズ を連れての弘前城を訪れたのは、この見るからに寒い季節でした。 雪の舞う、勢いのある写真が撮れるのはよかったんですが、いかんせん、写真を見ただけで、寒さがよみがえってきて身震いが(悪寒) pic.twitter.com/Nh5ilOSzoH

2019-10-17 19:37:20
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弘前城を建てるにあたり、元にあった台地の先端に天守閣を建てることに。 堀は、というと、元々の川があるんですよ。 弘前城を建てた台地の端を切り取るように掘削して川を流したり(土渕川の方)、岩木川から水を引き、水の流れる堀としたり。 pic.twitter.com/DyGxkHYdrH

2019-10-17 19:41:38
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ちょっと本日は短い回ということで、ニドキングを連れての青森・弘前旅行記はここまでにしておきます。 次回は、弘前城の天守閣を目指しながら、津軽氏のあたりのお話しもしていきたいと思います。 ありがとうございました。 pic.twitter.com/dsx8Zozukx

2019-10-17 19:43:28
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別の日の投稿として続きを。

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さあ、 #ニドキング#ポケモンキッズ を連れての弘前旅行記、本日の投稿を始めましょう。 風雪の弘前城の中へ入ってきました。 天守閣への道はまだまだ遠いですね。 pic.twitter.com/0F97S20Qkx

2019-10-24 19:08:13
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#ニドキング#ポケモンキッズ 越しに弘前城の門(南内門でしたっけ?)です。 単に天守閣への門と考えるのではなく、城攻めと考えると、この風雪の中進んで来て、この門の裏にどんな敵が潜んでいるのか、門の2階から飛び道具が飛んでこないかとか、そういう見方をすると、よくできているものですね。 pic.twitter.com/e66PCBRaKT

2019-10-24 19:13:20
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一方で弘前城にはこんな松のエリアも。 というより、弘前城に限らず、日本の城は桜と切っても切れない関係に思われますが、城に桜が増えたのは近代になってからとのこと。 このような松の生い茂る姿が本来の日本の城の姿のひとつだったのでしょうか。 pic.twitter.com/bsaXPVEUdi

2019-10-24 19:15:37
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#ニドキング#ポケモンキッズ をお供にした弘前城の写真を続けます。 風雪の中城内を進んでも中々天守閣へたどり着かない。 もし城攻めなら、攻撃をかいくぐって来ているはずですから、それを経てもなおこの風景とは。 私はこうしてポケモンキッズを写真に収めている方がいいです(論理の飛躍) pic.twitter.com/zFPdNKe6al

2019-10-24 19:19:34
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さて、次ツイートからは、ニドキングのポケモンキッズの写真を投稿しながら、津軽藩についてお話ししていきましょう。 津軽藩については、青森市の投稿の回でも良さそうなんですが、青森市の回は恐らく例の巨大三角形のネタ投稿が多くなると思うので、やっぱり弘前市の回で。 pic.twitter.com/MkzlVHkp7A

2019-10-24 19:21:45
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津軽地方は飛鳥時代に阿倍比羅夫が現在の秋田県~津軽に奉じられた、からは中々歴史の表舞台に出てこないんですよね。 戦国時代頃までには安東氏十三湊にどうのこうのって出てきますが、その後安東氏は津軽からフェードアウト(何) pic.twitter.com/l7STNbUPri

2019-10-24 19:26:47
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戦国中期になると、津軽地方をはじめ北東北は大体南部氏の支配下になります。 で、のちに家臣だった津軽氏がその南部氏から独立して津軽地方を治めることになるんですが、これがまたうまい立ち振る舞いの賜物なんですよね。 pic.twitter.com/qyaXNlHUPl

2019-10-24 19:29:31
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1600年の前頃、津軽地方津軽為信の時代で、如何せん南部氏の下にいる津軽氏は独立をするためにですね、時の権力者、豊臣秀吉に近づくんですよ。色々と贈り物を送ったりとかして。 で、豊臣秀吉から津軽地方の領有を認められる、と。 pic.twitter.com/t5bMWoMwno

2019-10-24 19:34:18
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リンク Wikipedia 津軽為信 津軽 為信(つがる ためのぶ、旧字体: 津輕爲信)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。陸奥国弘前藩初代藩主。官位は従四位下・右京大夫。 津軽為信の出自には様々な説や伝承があり、南部氏支族で下久慈城主であった久慈氏の出とも、大浦守信の子とも言われる。為信の経歴は津軽氏側に残される資料と、南部氏側の資料との間で記述に食い違いがあるため、はっきりしない点が多い。 為信が南部氏の一族であったという見方は、南部氏側の資料に存在する。この見方を補強する資料が津軽家文書の中にもある。その文書は豊臣秀吉から 5 users 29
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で、津軽氏は豊臣秀吉に近づいて津軽地方を安堵されておきながら、関ヶ原の戦いのときには東軍:徳川の味方に付いたんですよ。 このうまい世渡りには、どんな裏があったのでしょうか。 pic.twitter.com/VKv5NcVrrK

2019-10-24 19:38:17
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なぜ津軽氏は時の権力者にうまくついていけたのか。 それは、津軽氏が豊臣/徳川どちらの天下になってもよいように、津軽為信の長男が西軍、次男と三男が東軍側についていたからです。 どちらが勝っても津軽氏の血が残るという、かの真田家と同じ戦略をとったわけです。 pic.twitter.com/6GX3BWXQy3

2019-10-24 19:41:14
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さて、#ニドキング#ポケモンキッズ を連れて、弘前城の橋を渡ります。 堀に架かる橋、城攻めだったらここで落ちるわけにはいかないですね。 現在だと、ただただ雪の冬枯れの風景が美しいんですが。 pic.twitter.com/maw9Z8Y3Ts

2019-10-24 19:43:33
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ニドキングのポケモンキッズ越しのこちらは、弘前城の橋の上から堀の方向です。 冬枯れの美しい風景が続いていますが、やっぱり城攻めとして極寒の堀に落ちたら戦闘不能どころではないですね、とその方向からも考えてしまいますね…。 pic.twitter.com/cqlXbwj5Ml

2019-10-24 19:46:02
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さて、津軽氏のお話しの続きですが、家督は津軽為信の三男、津軽信枚が継ぎます。 で、この津軽信枚の周りの話は色々な意味で筆舌に尽くしがたいんですよね…。 ちょっと私も心の準備が……。 pic.twitter.com/DM3iIfpOvz

2019-10-24 19:49:02
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リンク Wikipedia 津軽信枚 津軽 信枚(つがる のぶひら)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。信牧(のぶひら)とも。陸奥国弘前藩2代藩主。官位は従五位下・越中守。 天正14年(1586年)、陸奥津軽地方の戦国大名・津軽為信の三男として誕生。母は側室の栄源院。 慶長元年(1596年)、父の命により兄の信建・信堅と共にキリシタンとなった。 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こると、津軽氏は父・為信が徳川家康方に、兄・信建が石田三成方についたともいわれている(これは親子兄弟が分かれて東西陣営両天秤にかけたともいわれている