「市民」についての連続ツイート

「市民」とはなにか、「市民」の問題点について語ってみました。
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畑野眞人@おったて鯛 @nakaiya1546

公共サービスの話をする時に「市民」について語るが、「市民」という言葉は、多分に政治的意味を持ち過ぎているので、もういっそ、新しい言葉を生み出してもいいんじゃないか。

2011-05-31 08:50:27
畑野眞人@おったて鯛 @nakaiya1546

「市民」は「Citizen」の訳語で、古代ギリシャの都市国家の直接民主制に起因する、政治に対して主体的で自主的な民衆を指す言葉である。市民運動と政治運動がしばしば同義になるのはそのためだ。しかし、「市民」は同時に「哲学する民衆」でもある。

2011-05-31 09:04:29
畑野眞人@おったて鯛 @nakaiya1546

古代ギリシャにおいて、政治家はしばしば哲学者を兼ねていた。それは政治がどうあるべきかを考えると同時に、「哲学する民衆」に訴えかける言葉を探求するためでもあった。つまり、哲学の主体が民衆であるからこそ政治家は言葉を選び、民衆は政治家の言葉にのった哲学を感じ投票したのである。

2011-05-31 09:20:20
畑野眞人@おったて鯛 @nakaiya1546

総合すると「市民」という言葉には、思想(哲学)と行動(政治)が対になって存在することがわかる。しかし、日本においては民衆が思想することが抜け落ち、ただ行動する民衆を「市民」と呼んでいる。デモや政治運動がただの「祭」となって終息するのはこのためである。

2011-05-31 09:27:27
畑野眞人@おったて鯛 @nakaiya1546

だからといって「思想する民衆を作るにはどうすればよいか」という問いは、意味がない。言葉は今ありのままの様を表現するのであり、言葉を状態に近づけさせるものではないからだ。この「言葉に状態を近づけさせる」という姿勢が、明治以降日本人が「学ぶ」または「考える」と呼んでいたのではないか。

2011-05-31 09:37:07
畑野眞人@おったて鯛 @nakaiya1546

仮に行動する民衆が「市民」であるなら、思想する民衆をなんと呼ぶのか、考える必要があると私は感じた。以上、「市民」についての連続ツイートでした。長文TLすいません。

2011-05-31 09:43:52