英語版ピッコロの役割語と文法解説

ラオウみたいに擬古調で喋る英語版ドラゴンボールのピッコロ。その文法と役割語の背景を解説したツイートを覚え書きついでにまとめます。 ※漫画版だけなのでアニメでは普通に喋ります
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古臭い口調で喋る英語版DBのピッコロ

ナッパ教司祭 @nappasan

Viz Mediaによる英語版DB原作漫画では、独特のキャラ付けとしてピッコロが古風な口調で喋ります。日本語で例えるなら、北斗の拳のラオウが「うぬ」とか「~せぬ」とかいった言葉を使うのと似ています。魔族と神という関係性を強調するために欽定訳聖書の文体を真似たのかもしれません。 pic.twitter.com/NpsId3Fsju

2019-03-04 22:28:01
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"What say you!? Know you not the one to whom you show such insolence!?"

文法の歴史的解説

ナッパ教司祭 @nappasan

まず "What say you!?" という一文が引っかかるでしょう。初期近代英語の時代まで助動詞の do はまだ普及しておらず、疑問文は専ら主語と動詞の単純な倒置によって行われていました。例えば現代英語であれば "Do you know him?" と言うところを、17世紀頃までは "Know you him?" と言っていました。

2019-03-04 22:32:24
ナッパ教司祭 @nappasan

現在でも他のゲルマン語派の言語においてはこの主語と動詞の倒置による疑問文が用いられています。例えば現代デンマーク語では "Kender du ham?" (= Know you him?) と表現します。その後次第に助動詞の do を用いた迂言的な疑問文が一般化してきて、18世紀には主流になるに至りました。

2019-03-04 22:34:18

なお、迂言的 do は肯定平叙文にまで用法が拡大する傾向を見せ始めていましたが、17世紀には急速に廃れます。この背景には、1603年にスコットランド王がイングランド王ジェームズ1世として即位し、肯定文での迂言的 do を用いないスコットランド英語が規範化したことが関係しているようです。
Stuart 朝に衰退した肯定平叙文における迂言的 do

ナッパ教司祭 @nappasan

この要因に関しては諸説あるためはっきりしませんが、言語というものは基本的に「表現の弱化 → 冗長化による意味強調 → 短縮・弱化 → 再び冗長化」というサイクルを繰り返すものなので、冗長化による疑問の意思の明確化は一つの大きな理由かもしれません。

2019-03-04 22:35:16
ナッパ教司祭 @nappasan

また、助動詞の do が用いられていなかったということは、否定文の作り方も異なっていたことを意味します。現代では "I do not say." あるいは "I don't say." と表現するところを、昔は "I say not." と言っていました。なぜこの語順かというと、これは先述の冗長化のサイクルが関わっています。

2019-03-04 22:38:52

イェスペルセン周期とは

ナッパ教司祭 @nappasan

言語学上は「イェスペルセン周期」と呼ばれているもので、否定文の作り方が特有のサイクルを経て変化していく現象を指しています。世界中の言語に見られる現象ですが、特に印欧語族での例が有名です。

2019-03-04 22:42:42
ナッパ教司祭 @nappasan

イェスペルセン周期を簡単に説明すると… (1) 否定辞の発音が弱化する (2) 否定の強調を表す語が付加される(日本語でいうところの「全く」「全然」など) (3) 強調語の方が否定の意味を担い始めて元の否定辞が消える (4) 強調語が元の否定辞の場所に収まる という過程を繰り返すというものです。

2019-03-04 22:43:44
ナッパ教司祭 @nappasan

これを英語に当てはめると以下のようになります。 (1) ic ne secge. (2) I ne seye not. (3) I say not. (4) I do not say. / I don't say. not とは元々古英語における nōwiht(nothingの意)の略系に由来するもので、現代英語でいえば "at all" と付けるようなものです。

2019-03-04 22:45:23
ナッパ教司祭 @nappasan

古英語の ne はとても短いので次第に発音が弱まっていき、最終的に not に否定辞の座を奪われるに至りました。そして動詞の前に収まることによって not が完全に元の ne と同じ扱いになっています。将来的には don't が主流化して弱化し、また次なる強調語に置き換わっていくのだと思われます。

2019-03-04 22:47:31
ナッパ教司祭 @nappasan

ラテン語はこれと同じ流れで ne → non という変化を起こしましたが、ラテン語の子孫にあたるフランス語では今、動詞の後に付ける強調語の pas に否定の意味が移りつつあるため、既にフランス語はイェスペルセン周期の2巡目の途中にあるということになります(一切不明な印欧祖語以前は無しとして)。

2019-03-04 22:49:42

ピッコロの台詞に戻ると

ナッパ教司祭 @nappasan

これらを踏まえるとピッコロの次の文 "Know you not -" が理解できます。古風な言い回しではまず「あなたは知らない」は "You know not." となります(更に古風に二人称単数の代名詞を使うなら "Thou knowest not."です)。それを主語と動詞の倒置で疑問形にすると "Know you not?" になるわけです。

2019-03-04 22:57:48
ナッパ教司祭 @nappasan

他にも whom(who の目的格)という単語も近年は使用頻度が落ちていますし、関係詞と前置詞の分離も一般的になっている今、"to whom" というのは文語的でお固く聞こえます。そのまま現代の口語文法に直すなら "Don't you know the one who you show such insolence to?" になるでしょう。

2019-03-04 23:04:21
ナッパ教司祭 @nappasan

先述のとおり、恐らくは宗教的・神秘的な雰囲気を出すことを狙っての擬古調なのでしょう。北斗の拳のラオウの口調が戦国時代の武士を思わせる力強さを狙っているであろう事と比較すると、同じ古風な言い回しでもまるで目的が違うことが面白いところです。

2019-03-04 23:08:17

厨二病患者ピッコロ?

ナッパ教司祭 @nappasan

なお、ピッコロのこのようなキャラ付けは「魔族」の設定が有耶無耶になると共に次第に消えて行き、後に他キャラと変わらない普通の口調で喋るようになりました。結果として、生まれて最初の頃だけちょっと背伸びしてる痛いヤツみたいになっちゃってたりします。

2019-03-04 23:10:52