- arishima_takeo
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実は私には、学徒動員によってルソン島で戦死した叔父がいました。私に彼の記憶はないのですが、家に飾られていた彼が角帽をかぶり馬に乗った写真を毎日眺めながら育ったのです。柳田の本を読んだとき、彼の霊はどうなったのだろうか、と考えた。by柄谷行人『世界史の実験』
2019-11-05 08:17:48ゾラはこの方法を貫徹して、全二〇作からなる「ルーゴン・マッカール叢書」を書きました。その中で、特に『居酒屋』や『ナナ』が知られており、私もこの二作しか読んでいないのですが、全巻が連関しているそうです。by柄谷行人『世界史の実験』
2019-11-05 12:11:20だが、一九九〇年代、冷戦の終わりとグローバル資本主義の下で、状況が変わってきた。例えば、以前はラディカルにみえた「ノマドロジー」が、新自由主義に適合するイデオロギーと化したのである。今でも「ノマドの勧め」という類のビジネス本を見かける。by柄谷行人『世界史の実験』
2019-11-05 23:42:32「ちなみに、日本で最も人口の多い姓は鈴木だといわれるが、これはもともと熊野の神官の苗字であって、信仰の広がりとともに全国に広がったといっても過言ではない」(柄谷行人『世界史の実験』)。へぇー。
2019-11-06 00:47:06『世界史の実験』。いや予想外に面白くて嬉しい誤算なのだが、構成力がないというか、なんでこの本でこの話してるんだろうとか、この話とその話って繋がってないのでは、という宙吊り状態がずっとつづく。柄谷柳田國男読書メモを延々読まされているような…ある意味、この本が「実験」的だ。
2019-11-06 00:57:43勿論、細かいチューンナップはされているので古参はそこをオタク的に楽しめばいいわけだが、初めてこれから柄谷に触れた人はどう思うんだろう。恐ろしくも興味深い。
2019-11-06 01:07:29私が一九六〇年に大学の寮に入って閉口したのは、宴席でむやみに喧嘩をふっかけてくる奴が多かったことだ。一度喧嘩をしてから仲良くなるというやり方があるのだった。私はそれに慣れていなかったし、以後も慣れなかったが、それが「文化」なのだ、ということは学んだ。by柄谷行人『世界史の実験』
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