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同人誌水運説

嘘を信じ込ませるコツは99%の真実に1%の嘘を混ぜ込むことだ、なんてことを申しますが(噺の枕) 【最終更新】2022/1/11 目次追加、見出しを若干修正。
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ktgohan @ktgohan

(写真:「新刊落ちました」と書かれた紙を机上に貼るサークル参加者) いまも昔も「新刊が落ちる」、ということは珍しくはない。原稿を書き上げられなかった、入稿が間に合わなかった、ネタが浮かばなかった、などで「予定していた本ができなかった」ことは、時折あり得るトラブルではある。

2019-11-05 22:56:49
ktgohan @ktgohan

ただ、「入稿はしていたけれど本が落ちた」ということも、あり得ないわけではない。何らかの原因で「本は出来たが会場に届かなかった」ということもまた、深刻な問題であった。昭和後期に急成長期のコミケットを翻弄した「搬入」の問題は、意外なところにその遠因はあった。

2019-11-05 22:56:49
ktgohan @ktgohan

(写真:「いかさまスポーツ」縮刷版を映したもの。88年版より) 「陸(おか)で刷っている本、陸から運んで何が悪い。」当時のコミックマーケット準備会に寄せられた、印刷会社の嘆きの言葉が残されている。

2019-11-05 22:56:49
ktgohan @ktgohan

78年夏、警視庁は環状七号線(都道318号線)およびそれより都心側において、土曜夜から日曜朝までトラック等大型車の通行を禁ずる規制に踏み切った。当時、自動車の排ガスや振動・騒音による公害が深刻化しており、行政側が「安眠(を求めるための)規制」と称する有様だった。

2019-11-05 22:56:49
ktgohan @ktgohan

この当時は排ガス規制も一気に強化され、日本版マスキー法とも呼ばれる「昭和53年自動車排出ガス規制」も実施された頃合いでもあった。自動車業界も陸運業界も、この53年(78年)規制に合わせる形での各種改革が進んでいったことは、実に言うまでもないことである。

2019-11-05 22:56:50
ktgohan @ktgohan

ところが、年に3回(のちに2回)、それも土日だけに発生する特殊な輸送である、コミケット向けの「同人誌輸送(コミック輸送)」だけが、その時代の流れに全く取り残されていたのであった。忘れ去られていたといってもよい。実際に「(対応を)忘れていた」と証言する関係者もいる始末であった。

2019-11-05 22:56:50
ktgohan @ktgohan

深刻な事態に拍車をかけたのは、「極道入稿」の横行でもあった。急成長期のコミケットは「人気ジャンルの隆盛」の影響を受け始め、会場の雰囲気すら左右されはじめる時代であったともいえる。ひらたく言えば「流行りのネタ」に食い付ける瞬発力が、ものをいいはじめた時代でもあったからだ。

2019-11-05 22:56:50
ktgohan @ktgohan

少部数なら謄写版やPPCコピー機の自家製本で徹夜で本を作ることもできる。だが、参加者数が万の単位になり始めたこの頃、一部の大手サークルはもはやそんなものでは賄えるはずもなかったのである。深夜になって印刷工場を出たトラックが車列をなし、会場前にずらりと並ぶのは、もはや名物でもあった。

2019-11-05 22:56:50
ktgohan @ktgohan

その光景が一変したのは、コミケットがその会場をTRCに移した直後のことである。当時最大手と目されたサークルが「新刊が落ちた」トラブルがきっかけである。それも「新刊は刷り上がったが会場に届かなかった」トラブルだった。

2019-11-05 23:30:43
ktgohan @ktgohan

(写真左:北関東の山間部に留め置かれる「落ちた新刊」のコンテナ群) (写真右:新刊未着事件を揶揄し当該サークルを中傷する「いかさまスポーツ」の紙面)

2019-11-05 23:30:43
ktgohan @ktgohan

このとき晴海に向かった車列は、山陽地方の印刷会社が手配した車であった。ドライバーらはいずれも熟練者揃いであり、その出発まで何の問題もないように見えた。搬入予定日の前日朝に車列が出発したことを除けば。

2019-11-05 23:30:43
ktgohan @ktgohan

不運というものはいくらでも重なるものなのだろう。入稿が郵便事情で遅れ(当時はオンライン入稿などというものは存在しなかった)、印刷会社の機械故障、それも大台機の故障で刷り始めも遅れ、さらに積み込みも一度やり直しになるなど何もかもが「遅れ」の原因になった。

2019-11-05 23:30:44
ktgohan @ktgohan

トレーラーがようやく出発した直後、東名高速が事故で5時間近く閉鎖されるトラブルがあり、トレーラーの車列はこの東名閉鎖の直撃を受け、迂回することもままならず、その場に留め置かれてしまった。これが決定打となり、彼らは「環七の門限」に間に合わなくなってしまった。

2019-11-05 23:30:44
ktgohan @ktgohan

おまけに当時は携帯電話というものがなく、持っていたとしても業務用無線機しか搭載していないこともあって、移動中のトラックドライバーから準備会関係者や荷主たる印刷会社に事態を知らせる術がなかった。すべてが明らかになったのは、開会後のことであった。

2019-11-05 23:30:44
ktgohan @ktgohan

環七規制がある以上、急激な勢いで膨張し続ける「同人誌輸送」のすべてを陸上輸送に依存し続けることはできない、という認識のもと、スペシャル・ロジスティクスの専門部隊として「搬入部」が創設されるに至った。彼らの最初の仕事は、前日搬入の計画、それも「海上輸送」の計画であった。

2019-11-05 23:34:29
ジャンルコード探検隊 @GenreCodeLovers

@ktgohan (搬入部最初の仕事は、環七規制の裏を掻い潜り、赤帽サンバーを大量動員しての搬入を試みる大手を粛正することであった……(違 )

2019-11-06 00:43:17
ktgohan @ktgohan

(オープニングテーマ) youtu.be/kdhTodxH7Gw

2019-11-06 00:38:25
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sgt.ytk @Sgtytk

ナレーション:田口トモロヲ で再生されるわ。後、東名高速を爆走する丸目4灯の10tロングが脳内に再生される。 twitter.com/ktgohan/status…

2019-11-06 06:36:12
ktgohan @ktgohan

「水運から見たコミケ」第二部『海と搬入』予定稿より一部抜粋: 参加サークル数32から始まったコミケットは、創設から6年後、会場を晴海・国際見本市会場に移す。通称「晴海1期」の時代である(81〜86年)。この晴海1期は、サークル数6倍以上、一般参加者も万単位で膨張する急成長期であった。

2019-11-05 21:34:32
ktgohan @ktgohan

(誰かツッコまねえのかなと思いながら書いてる)

2019-11-05 23:39:17
𝙆𝙞𝙈❕(手洗い・マスク・引きこもり) @ktwit142

@ktgohan その頃はまだ山陽地方の高速道路も全通していないんだよなぁ。中国道北房IC付近にトラックの運行状況を監視報告する民間の見張り施設もあった頃。

2019-11-05 23:52:51
謎の七面鳥 @7mencho

同人誌水運説を見て思い出したけど、浅草橋もそうだったんだよね。もう誰か言及した? pic.twitter.com/1z5VdDtzfa

2019-11-05 20:53:23
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ktgohan @ktgohan

@7mencho 浅草は現役ですしねえ。

2019-11-05 20:54:30
謎の七面鳥 @7mencho

@ktgohan そうでしたね。それにしても往時は全国から鉄道で集まった製紙が隅田川沿いの印刷屋に運ばれて印刷されて、また川を使って浅草橋の会館に送られたりしたものですよね( ^ω^

2019-11-05 20:56:44
k_wakita ♪ツイッター ツイッターX 漆黒の翼~♪ @k_wakita

@7mencho @ktgohan 文共の裏にたまってる屋形船で搬入した風流人もいました

2019-11-05 21:02:05