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まとめ管理人 @1059kanri
ジェンダーもそうだけど、歴史研究で民主主義でも世界市民でも階級闘争でも、「当時無かった発想」を無理やり見出そうとすると解釈から判断から何もかも間違えるし、それは歴史を思想の道具にする行為に過ぎないと思う。
まとめ管理人 @1059kanri
中世から近世までの、「武士の時代」は「封建制」と定義されるわけですが。当の武家政権の人々は、おそらく江戸末期くらいまで自分たちの体制が「封建制」だとは考えてもおらず、故に封建制の定義と矛盾することがいくらでもあるわけで、封建制の定義を先に立てるとやはり間違う。
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009
@1059kanri 往時の封建という言葉の意味は周王朝の政治体制だったのではないでしょうか?
ののまる @nonomaru116
@1059kanri 封建制って江戸時代の儒学者が自分たちの社会を古代中国の周の制度になぞらえて「封建の世」と称したのが始まりでしたっけ? どのみち、西洋史の概念の封建制とはズレがあるものですが。
まとめ管理人 @1059kanri
@yoshikun2009 まあもう少し付け加えると、後世の視点から定義されるような「封建制」的体制でもありますね
まとめ管理人 @1059kanri
@nonomaru116 ですね。元々は儒者用語ですね。
The Explosion Band @daisuke5513
@1059kanri 単に後世の人たちが武家政権をどの様に要約する文言が必要かで選んだ言葉なだけに、当時の人の考えに立った別視点を常に意識しないと、要約文言だけでは半知半解になりますね。
まとめ管理人 @1059kanri
@daisuke5513 昔は江戸期の改革を「封建制の動揺」「封建制の立て直し」と定義する歴史書って多かったですね。今もあるかもですがw
ののまる @nonomaru116
@1059kanri もともと小領主と大領主・王の間の土地を媒介にした主従関係だったのが、中世ヨーロッパの騎士と領主の契約的主従関係に似てるってことで、封建制度という言葉をそれに援用したわけですよな。そうすると次は、日本の武家の主従関係をヨーロッパの制度に押し込んで解釈するって歪みが生じるわけで。
まとめ管理人 @1059kanri
@nonomaru116 昔の歴史書では先に「封建制」の理想像を定義して、武家政権の混乱や改革を「封建制の動揺」「封建制の立て直し」としていたもの多かったですねw
西方院 @fujibooooo
@1059kanri 現代日本も我々は「資本主義・民主主義」と認識しているけれど、後世では違う解釈をされているかもしれないというような話ですかね
まとめ管理人 @1059kanri
@fujibooooo そのあたりは後世が現在をどう定義するか、によるかなと思います。時代が変われば資本主義も民主主義もその前提や定義が変化して全くおかしくないので
ののまる @nonomaru116
@1059kanri 御恩と奉公とか、いざ鎌倉とか、そういうのを先に出して、それから外れるのを「ゆらぎ」と言ってるんですけど、そもそも元寇以降でも日本中の武士団全部が鎌倉の御家人ってわけじゃなかったのはどういうことなのかということになるわけで……w
まとめ管理人 @1059kanri
@nonomaru116 そういうものも「封建制の矛盾」(であり克服されるべきもの)と表現されがちでしたね。今の認識から見るとそれは成り行きや慣習に過ぎずそもそも矛盾なのか、というw
ののまる @nonomaru116
@1059kanri そもそも体制が固まっていないのに、固まってない部分を矛盾と言われてもなぁ、となるわけで。
まとめ管理人 @1059kanri
@nonomaru116 昔はそれで説明した気に成ってましたからねw研究の深化のおかげでその考え方では説明がつかない、となり

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コメント

緑川⋈だむ @Dam_midorikawa 12日前
4つも重複してるまとめはのこり3つ削除すべきでは
石部統久 @mototchen 12日前
Dam_midorikawa ご連絡ありがとうございます。エラーです。削除いたしました。
ティルティンティノントゥン @tiltintninontun 12日前
それを言い出すと、古代中国の秦で嬴政が主張し始めた「皇帝」という語を、ヨーロッパの emperor に当て嵌めるのは間違いてことにならないか?「異民族を束ねる統治者」という共通要素はあっても、制度や風習が全然違うんだからイコールではないわな。外国のことを勝手にネーミングすることは自国文化のをやるより失礼だろ
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 12日前
源頼朝は government of the 武士, by the 武士, for the 武士を志向したんじゃなかろうかとか
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 12日前
陳勝・呉広の乱の「王侯将相いずくんぞ種あらんや」は市民革命っぽいよねとか
dag @digital_dag 12日前
tiltintninontun 実際、そういう認識の元に世界史用語を現地語に置き換える試みが図られた時代もあったけど、最近は下火だね。単純に分かりづらい。
Destroyer Rock @hondapoint 12日前
tiltintninontun 典礼問題とかで調べると面白いですよ。
Destroyer Rock @hondapoint 12日前
士農工商の分類は中世ヨーロッパの「祈る人」「戦う人」「耕す人」に引き摺られた感じはしますね。
kathryn @KathrynJpn 12日前
花魁は江戸時代のアイドルだが、今から思うと高級売春婦だもんな。
マクガン @Makugan32 12日前
勝手にレッテル貼って、レッテルと違うって文句つけるパターンのやつでしょうか?
やじ @yajicco 12日前
tiltintninontun そこは雑でも「皇帝」にまとめておかないとツァーリとは…バシレウスとは…スルタンとは…ハーンとは…みたいになっていって際限なさそう
やじ @yajicco 12日前
「幕府」なんていうのも、江戸時代の後期に発生した呼び名で、逆行して鎌倉「幕府」なんて呼び方をするから成立年はいつなのか、なんて揉めたりしてるのよね
ごん @nadushu_gran 12日前
yajicco あれはあれで、同じ日本史でも中世史と近世史では専門が違うのでそこら辺の齟齬がやっと解消されてきたという感じですな。
やじ @yajicco 12日前
nadushu_gran ですねえ。とはいえ「中世」「近世」という西洋概念を当てはめていいのか、どこを境目にするのかとか揉める要素はいっぱいありますね
春野秋 @rakiharu1 12日前
「大正デモクラシー」っていう語ができたのは昭和29年。 現代の政治もそのうち「平令デモクラシー」などと言われるようになるかも。
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009 12日前
中世とか概念自体が元来相対的(中くらいの昔?)なので中世と認識している時代の人は自身の時間区分を現代と認識している可能性が高い。
bass_ikeda @bass_ikeda 12日前
存在しないものを【在る】と誤認して頓珍漢なことを言い出す様を現在いたる所で見かけるのですが、歴史分野でも同様ですか
UKB0927 @ukb0927 12日前
「封建制」もレトロニムだということなんだな。
カエサル(安部譲二を許銘傑) @caesar_SPQR 12日前
「封建」「幕府」という言葉は古代中国で生まれてその後長く生きてきた用語なのだが、その用語で表されるものの実態となると時代によって異なるわけで、◯◯と呼ばれていてもそれは我々の知る◯◯と違うかもしれないことに気を付けたい。
塩ダレ旨カルビ@ゲーム @siodaresiodare 12日前
広井王子「大正と太正はイコールではないけど、当時LGBTなんて言葉もないしレニは男女としか言えない」
RAM (内調かもしれない) @PLAPAPA 12日前
武士云々は別問題として、「封建制」自体は「地方分権・君主制(封土を君主から与えられる制度)」でしかないものを、その他の概念(家父長制とか)を引っ付けるから、曖昧・複雑になるんではないか?この概念のみであれば、私は「封建制復活論者」です。
南風 @nan_poo 12日前
例をあげて具体的に説明しないと何も主張していないのと同じことです。現にコメ欄で解釈が錯綜してる。
きゃっつ(Kats)⊿1/19日向坂京都個別 @grayengineer 12日前
中世・近世・近代みたいなのも西洋史学からの輸入だし。明治維新以後西洋学問の輸入が進められた結果、歴史学もベースは西洋のものが導入されたので、あちらの時代観や歴史観がモロに反映されているし、当然日本には当てはまらないことも多い。特に害が大きかったのは、日本の近世農民を西洋の中世農奴のような存在として解釈し階級闘争的に捉えるマルクス史観が勢力を持っていたことで、近世の民衆史の研究が相当遅れたこと
94式北海黒竜王V、 @DoomDrakeV 12日前
創作世界を構築するために考えるべき? 歴史って、複雑。
ヤオ @yaochan800 12日前
江戸時代の藩は単なる地方自治体というイメージ。
NightHawks @NightHa22551959 12日前
山ほどある江戸あたりにタイムスリップする漫画なんかでも、主人公が現代の技術で武双。現代の価値観で周りを引きつけるみたいなのが多いけど、実際そうならなさそう。
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 12日前
中国の春秋戦国時代は春秋期が貴族の覇権争いで戦国期は国家の存亡をかけた戦いと見ると、日本の戦国時代とその前にも通じるところがあり、なるほどなぁと思うことも
ヘイローキャット @Halo_nyanko 12日前
室町的封建制とか江戸的封建制とかそんな区分をつくればいいんじゃないかの?
やし○ @kkr8612 12日前
NightHa22551959 時期や藩によっては蘭学者だ!死ね!される可能性も普通にあるしなあ…
denev @_denev_ 11日前
mikumiku_aloha 単に、自分がお山の大将になりたかっただけでしょう。自分を武士だとさえ思っていなかったのでは?
ゆゆ @yuyu_news 11日前
江戸時代、割と中央集権的だし、むしろ州が集まってる国家的だよね。
さかべあらと(うさ月見団子) @sakabe_arato 11日前
nan_poo まとめには含まれてないけど、この辺のやり取りとかでしょうかね https://twitter.com/Lkpi8dEIKmF7bi1/status/1192287689048915968
めんつゆ @kerosenev7 11日前
mikumiku_aloha それはあるね。当時の東国武士の最大の関心は、土地境界問題と財産相続。これらを裁定する《法》と《裁判所》が必要だった。でも京都政府は民事訴訟にあまり関心がない。ってのがニーズとして有り、鎌倉はその需要に応えたんだと思う。
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 11日前
_denev_ 現場の農地の管理や防衛は武士がやっていて土地に来ない貴族が所有者としてエラそうにしている貴族支配の社会から武士の平家が有力者になるけど平家も京都に居るうちに貴族化て背景があるんじゃないかと。 「実際に仕事してるの俺たちじゃん」って
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 11日前
年表に「~制」って書いたって現実はそんなにきれいに制度通りの社会じゃないのは当たり前。「同じようなもん」と見出す人がいなければ林檎は林檎と名付けられずそれぞれが赤い皮の食べると甘みと酸味が~ってなる。「林檎」ではなくその品種レベルで区別したい人もいる
きゃっつ(Kats)⊿1/19日向坂京都個別 @grayengineer 11日前
yuyu_news その後の明治時代と比較すると、相対的には分権的ですよ。
きゃっつ(Kats)⊿1/19日向坂京都個別 @grayengineer 11日前
mikumiku_aloha どちらかというと社会特に東国は実態として武家の自治に移行していたけれど、名目上の律令制度がそれに合わない状態になっていたため、非公認というかグレーみたいな中途半端な状況だったのが背景としてあり、それをまあ律令の枠の中でちゃんと公認制度化するうえで、既存の征夷大将軍という、本来は臨時の征伐軍司令の役職の権限を使って、律令上の軍政全権委任の仕組みを自治の裏付けに用いた、という感じなんでしょうね
きゃっつ(Kats)⊿1/19日向坂京都個別 @grayengineer 11日前
歴史、特に日本史は、そういう社会の変化に対して革命的に制度を根底から作り直して対応するよりも、既存の制度の解釈や運用を変更することで合わせていく、みたいなことが多かった気がします。大化の改新にしろ名維持維新にしろ、実質は大きな変更だけど、できるだけ既存の制度の調整で済ませようとしがちだった感はあります。明治のときも内閣制度になる前は太政官制度であくまで律令の延長上だし。その前の幕末の幕政改革も政治総裁職などの新規ポスト増設だけだったりとか
mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 11日前
grayengineer 国家としてのまとまりも、きっちり枠があるわけではなくあちこちに影響力の濃淡がある感じでしょうし。法律は情報通信の技術によって国家としての支配が届く範囲が時代によって変わったり