茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第2371回「空気のような現代アートのリテラシーが及ばないところに現れる幻想としてのポピュリズム」

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茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート2371回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。

2019-11-08 07:50:57
茂木健一郎 @kenichiromogi

オーストリアのウィーンで開かれている日本に関する美術展で、会田誠さん @makotoaida や、Chim↑Pom @chimpomworks の作品がおそらく問題になって、日本大使館による「公認」か「推薦」のようなものが取り消されたという件について、今朝は考えたいと思う。

2019-11-08 07:53:18
茂木健一郎 @kenichiromogi

まず会田誠さんやChim↑Pomの作品だけれども、ぼくの認識では、現代アートに関する国際的な標準的慣行に照らして言えば全く問題がないと思う。国家や社会のことをとりあげる批評性は現代アートと不可分で、もちろん批評性があるからと言って良い作品である保証はないが、批評性があるからダメでもない

2019-11-08 07:55:04
茂木健一郎 @kenichiromogi

現代アートについてのリテラシーの問題で、批評性があるかないか、あるテーマを取り上げているかどうかということでその作品を評価することはできず、アートとしての評価は、その作品に実際に向き合った時に感じること(クオリア)に依拠するしかないということ。批評性を単独で取り出しても仕方ない。

2019-11-08 07:56:19
茂木健一郎 @kenichiromogi

現代アートに批評性はつきものだけれども、批評性だけを取り出して作品をあれこれ言うのは不毛だというのは世界的に標準なベストプラクティスであるが、それほど高度なものではなく、日本の美大に通う学生だったら、空気のように知っているし感じていること。それを前提にみんな作品を作っている。

2019-11-08 07:57:25
茂木健一郎 @kenichiromogi

今回のウィーンの展覧会に来た現地の方々も、会田誠さんとかChim↑Pomの作品が政治的ニュアンス、ないしは日本の現代社会に対するある種の批評性を含んでいたとしても、それ自体は作品を見る上での要素ではあるが、本質は別であるというのはおそらくごく当たり前に共有されていることだと思う。

2019-11-08 07:58:58
茂木健一郎 @kenichiromogi

もちろん、どの社会にもさまざまな方がいらっしゃる。日本の社会のあり方を見ると、美術について、以上のような現代アートにおける前提が空気のように共有されているとは言い難いと思う。学校における美術教育、NHKの日曜美術館の番組づくりの雰囲気、公募展の性質を見ているとそう感じる。

2019-11-08 08:00:16
茂木健一郎 @kenichiromogi

さて、ウィーンの日本大使館の方々は、個人個人で見れば、以上に述べたような現代アートの文法をおそらくご存知なのだろうと推定する。しかし、そこに議員の方や大臣の方々がいろいろ関与してくる。議員や大臣が気にされているのは日本の「世論」である。「世論」は、必ずも現代アートを理解しない。

2019-11-08 08:01:31
茂木健一郎 @kenichiromogi

議員は選挙で選ばれ、その中から大臣が出る。政治家を醸成しているのは日本の世論、「平均値」のようなものである。その「平均値」は幻想かもしれないが、政治において一定の力を及ぼす。その日本の世論の少なくとも一部は、アートの批評性の部分だけを取り上げてあれこれ言われる傾向があるようだ。

2019-11-08 08:02:51
茂木健一郎 @kenichiromogi

結局、このような問題を構成する社会的パラメータを、長い時間かけて変えるというか育てていくしかない。たとえば、日本にターナー賞のようなその受賞が社会的事件になるような現代アートの賞があったらいいのにと以前から思っている。伊藤若冲賞ではどうだろうか?

2019-11-08 08:04:30
茂木健一郎 @kenichiromogi

現代アートの表現が批評性と切り離せないが、批評性自体で作品の質が担保されるのではないという当たり前のリテラシーがあれば、批評性をプロパガンダと勘違いする認知的失敗は減る。アートコミュニティだけにリテラシーが留まっていてはダメ。日曜美術館あたりが、少し番組づくりを変えてくれないか。

2019-11-08 08:06:59
茂木健一郎 @kenichiromogi

今回のウィーンでの日本展に批評性のある作品が入っていたことは、現地の人にとっては日本の文化的成熟を示すものであったはず。大使館の行為については、どの国でも政治家が介入することはあって、幻想としてのポピュリズムに走りがちだけど、日本人が全員そうではないと正しく理解されているはずだ。

2019-11-08 08:08:14
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート2371回「空気のような現代アートのリテラシーが及ばないところに現れる幻想としてのポピュリズム」をテーマに11のツイートをお届けしました。

2019-11-08 08:09:19