渡辺秀夫『かぐや姫と浦島 物語文学の誕生と神仙ワールド』(塙書房)を+Mさんが読むスレッド

を+Mさんが読むスレッドシリーズ(?)
7
+M laboratory @freakscafe

渡辺秀夫『かぐや姫と浦島 物語文学の誕生と神仙ワールド』(塙書房)。 平安前期、貴族の間では神仙譚が大流行していた。『竹取物語』というひとつのテキストを支えていた、その時代の物の見方や関連する作品群の知識などより「大きなテキスト」を復元することで、作品固有の深さを再生する試み。 pic.twitter.com/JTZtjuyE7V

2019-11-08 19:38:29
拡大
拡大
拡大
+M laboratory @freakscafe

まず、前提として、日本の古典文学・文化に向き合うためには、固有か外来か、両者を二者択一的、排他的に考えないことが必然的に求められる。仏教、道教、他といった様々な世界観が、日本においては、そのアニミスティックな磁場のなかで、独自の習合を遂げる。アニミズムに基づいたシンクレティズム。

2019-11-08 19:44:13
+M laboratory @freakscafe

ひとつの古典には「固有性と表裏になった文化の多様性」、そのざわめきが聴き取れる、大体においてどんな作品もそうした消息をもっている。 『竹取物語』は、その構成から、口承民話、神仙譚、和歌文学がハイブリッドに結ばれた高次の創作物であることが見て取れる。 pic.twitter.com/R55uke5rmn

2019-11-08 19:59:31
拡大
+M laboratory @freakscafe

著者は、『竹取物語』と、同時代に書かれた浦島をもとにした『浦島子伝』の二作を対比しつつ、その構成のなかから、特に神仙小説世界と響きあう線を引き出していく。

2019-11-08 20:02:43
+M laboratory @freakscafe

≪神仙小説における、神ー人邂逅(神仙と人との出会い/主として美貌の仙女と人間界の男子との遭遇・恋愛)には、「謫降(たくこう)」型と「誤入型」という二つのタイプがあることか報告されている。かぐや姫は天上界で罪を犯した罰としてこの世に堕とされた仙女(天仙)であり、→

2019-11-08 20:10:47
+M laboratory @freakscafe

→浦島は思いがけず蓬莱の仙境へ入り込んだ男(男仙・地仙)であり、それぞれ「謫降」型と「誤入」型に対応している。『竹取物語』と『浦島子伝』は物語と漢文伝記という異なるジャンルの作品ではあるが、その出自はいずれも「神仙ワールド」を共有したものである。≫

2019-11-08 20:13:53
+M laboratory @freakscafe

著者は、神降ろしの方士(シャーマン)の口語りを記録した中国梁代の陶弘景『真誥(しんこう)』も参照しているが、エリアーデによる整理による脱魂 ecstasy 型シャーマンと憑依 possession 型シャーマンの区別にも対応する。神仙譚自体がシャーマニズムの世界像にその根を持っていることが察せられる。

2019-11-08 20:21:42
+M laboratory @freakscafe

さて、まず、竹というモチーフだ。かぐや姫はなぜ、竹から生まれたのか。じつは竹は、神仙ワールドにとってとても重要な扱いをされている。ほんの一例を引くと、神仙譚において、仙人が騎乗する龍が青竹の杖に化す話は少なくない。仙人が持っている竹の杖は、元は龍、或いは蛇、雷である。

2019-11-08 20:27:28
+M laboratory @freakscafe

≪「木にもあらず草にもあらぬ竹」(『古今集』「竹譜」)は、植物としてもかなり特異な存在だが、その性質にみあうかのように、しばしば「竹」は、この世とは隔絶した仙境・仙山に生えるものとして描かれる。≫

2019-11-08 20:31:03
+M laboratory @freakscafe

先程挙げた『真誥』には≪「竹は北斗神の上精であり、玄軒の宿(黄帝・太一君)の気を受けている」、「試みに竹を宮殿の北の屋敷の庭に植えてその下に美人を遊ばせれば、天は北斗神を動かしてお世継ぎを齎し、その子は健やかに育ち長寿となる」とあり、そこに記された詩には竹を「霊草」と呼ぶ≫とある。

2019-11-08 20:37:39
+M laboratory @freakscafe

竹は神仙ワールドにおいて、北斗龍神と深い関わりを持った植物とされており、さらに竹中から人が生まれるというモチーフについても、中国南方の少数民族や台湾地域などに広く見られることを紹介する。

2019-11-08 20:40:47
+M laboratory @freakscafe

一方、日本において、竹は古来「多気」と記され、その成長の速さから、ある種の呪力・精力の象徴として扱われていた。それが新来の仙境・仙人・崑崙山等が直接イメージされる神仙世界の竹のイメージが重ねられたのではないか、と著者は推測する。

2019-11-08 20:45:24
+M laboratory @freakscafe

≪古来必ずしも明示的には現れにくかった竹の霊性は、新たな神仙譚の乗り物を得て、あらためてより強力な呪性を発見的に付与されたということなのであろう。文化の移入・摂取は、常に習合的なものである。受け手側に受け入れる素地(の自覚)があって初めて、摂取・受容されるのである。≫

2019-11-08 20:48:24
+M laboratory @freakscafe

【+M】 そもそも私は竹が好きだ。昔から強い思い入れがある。筍は好物だし、尺八も吹く。竹を喰らい、竹を奏でている。竹が、北斗龍神の化身だと知って、より愛着が湧いた。私は龍も大好きなのだ。龍-オロチ-海-雲-雷-川-水-弁財天-芸能の神話系列。そこに竹が加わった! twitter.com/freakscafe/sta…

2019-11-08 20:54:54
+M laboratory @freakscafe

池田瓢阿『籠と竹のよもやまばなし』(淡交社)。 竹の生態から、編み方、竹花入、籠花入他の茶道での諸道具をめぐる歴史や蘊蓄、名具の紹介等など、竹芸、籠師の著者による竹をめぐるエンサイクロペディア。 pic.twitter.com/If00oWlghN

2019-04-01 13:24:50
+M laboratory @freakscafe

さて、今引いた箇所はごくごく一部に過ぎないのだが、竹というモチーフについて、その神仙譚における存在感の強さを、作者は文献を博捜して説得的に論じている。「竹」と言えば、神仙という連想が働くくらいには、平安前期の貴族社会では、常識的な教養として共有されていた。

2019-11-08 20:58:59
+M laboratory @freakscafe

竹だけではない、かぐや姫が発する様々な「超能力」に、著者は方術の対応を読み取っていく。 そして、仏教の輪廻転成説に影響された仙人-人-鬼との転成の世界観、さらに仙界の社会構造についても説明され、竹取物語の構成自体が神仙の世界観が援用されていることが論じられる。 pic.twitter.com/3CTwZbm3KQ

2019-11-08 21:09:03
拡大
+M laboratory @freakscafe

かぐや姫は、そもそも何の罪を犯して、地上に追放されたのか。その罪について、なぜ物語では省略されているのか?著者は、かぐや姫の罪を、女仙が溺れやすい罪「情欲・愛欲に溺れること」にあった、それは当時の神仙ワールドに対する常識から、書かずとも分かることであった故に書かれなかったとする。

2019-11-08 21:13:27
+M laboratory @freakscafe

≪求婚譚(恋愛譚)が基本である物語文学が、ひたすら結婚を拒絶するかぐや姫を主人公として描き通すのは、それが、情欲・欲想が禁じられた天界へ帰還するための必須条件であったという、神仙小説における謫仙女の定型をふまえるからであろう。≫

2019-11-08 21:16:26
+M laboratory @freakscafe

竹取物語は、そのプロットにおいて、謫仙小説と同型の構造を持つ。 ただ、謫仙小説が、仙界への昇天の条件として「すべての喜怒哀楽・俗念を断ち切ること」を持つのに対し、竹取物語でかぐや姫は綿々と情愛の大切さを訴える。 pic.twitter.com/RZBpLZ6nRa

2019-11-08 21:21:14
拡大
+M laboratory @freakscafe

≪『竹取物語』は、当時大流行していた、世間の熱愛の渦中にあった神仙ワールドの世界観を十二分に生かしつつ、なお、これを一つの材料として相対化し、むしろ、仙道修行からは最も忌避される、人間感情、恋愛・恩愛をこそ、かけがえのない地上的な価値として提起し、浮き彫りにしようとした≫。

2019-11-08 21:24:00
+M laboratory @freakscafe

【+M】芥川の『杜子春』も同じような換骨奪胎を行なっていた。神仙的な「人間性の超脱」に対して、むしろ「情への埋没」を志向する。ただこの「情」を、近代的な「人間の情」と言い切ってもいいのだろうか。「情」については、国学系統、とりわけ宣長ー折口の緒論を参照しつつ再考の要があるだろう。

2019-11-08 21:28:40