- pareorogas
- 10994
- 13
- 0
- 35
#今日は何の日 1972年10月4日(水)の読売新聞夕刊に載った、日本テレビの新番組広告より。45年前の日本テレビ系では19時から『#アストロガンガー』、20時から『#パパと呼ばないで』を開始。『#光速エスパー』の宣弘社が番組枠を買って『アストロガンガー』を企画し、ナックに製作を依頼していた。 pic.twitter.com/M8noTUO3sv
2017-10-04 23:01:15日本テレビの水曜19時~19時30分枠を買って『#アストロガンガー』を(テレビ局が予算を出さない)持ち込みで製作した宣弘社は、日本テレビが予算を出す自主製作番組でお蔵入り状態の『#白獅子仮面』もスポンサー集めを担当することで、この時間帯の『スーパーロボット #レッドバロン』製作に参加。
2017-10-17 23:58:26『#白獅子仮面』を製作した日本テレビの川口晴年Pは、『#アストロガンガー』の担当者だった藤井賢祐Pの仕事を引き継ぐ形で、1973年4月開始の『#ドラえもん』や7月開始の『スーパーロボット #レッドバロン』に参加後、レッドバロンが終了する'74年4月からは、月曜19時台に移動して『#柔道讃歌』を担当。
2017-10-18 00:19:23日本テレビの水曜19時~19時30分枠を買って『スーパーロボット #レッドバロン』を持ち込みで製作した宣弘社も、川口晴年Pの意向で月曜19時~19時30分枠へ移動。この時間帯の『#柔道讃歌』や『スーパーロボット #マッハバロン』は日本テレビの自主製作番組で、宣弘社はスポンサー集めのみを担当する。
2017-10-18 00:33:38当時の日本テレビでは、川口晴年Pの上司と思われる藤井賢祐Pが長らくアニメ番組を担当するも、1973年頃に不祥事の発覚で失脚。『#パパと呼ばないで』など多くの1時間枠実写ドラマを手掛けた吉川斌Pが、'75年4月からアニメ番組の担当に異動することで、月曜19時台における川口Pや宣弘社の降板も決定。
2017-10-18 00:53:241975年3月末における『スーパーロボット #マッハバロン』の打ち切りは、'75年4月からアニメ番組全般を担当する吉川斌Pが、藤井賢祐P時代の派閥を一掃する際に、藤井Pの部下だった川口晴年Pも巻き込んだ結果なのでは…? という裏事情が、最近の入手情報でようやく見えてきました。
2017-10-18 01:09:33藤井賢祐(日本テレビ)
制作局チーフプロデューサー
主にアニメ番組を統括しており、アニメや子供向け特撮を上野徹、高橋修之、川口晴年プロデューサーなどにプロデュースさせていた。専属下請け会社だった日放映、東京テレビ動画、日本テレビ動画とは深い関係があったという。
73年に『ドラえもん』を企画・放映するが、日本テレビ動画の解散と共に藤井もアニメ制作から姿を消す。
75年からはアニメの統括はドラマ統括をしていた吉川斌Pの担当となり、同時にアニメの下請けは主に東京ムービー(後の東京ムービー新社) となった。
企:冒険少年シャダー(67), 夕焼け番長(68), 怪盗ラレロ(68), 男一匹ガキ大将(69), ゼンちゃんツーちゃん(1969年), 赤き血のイレブン(70), 男どアホウ!甲子園(70), 新オバケのQ太郎(71), ワイルド7(72), ドラえもん(73)
川口晴年(日本テレビ)
『太陽にほえろ!』のプロデューサー陣にも加わっていた。テキサス殉職まで、岡田Pの補佐役としてPになっていたようだ。
1991年5月、国際局海外番組部長
1993年11月、事業局文化事業部長
1994年5月、事業局事業部長
事業局次長兼事業部長を経て
1996年6月、ソフト開発局次長
1997年6月、社長室国際部現職出向・NTVIC上席副社長
1998年12月、社長室現職出向
P:右門捕物帖(69), 新オバケのQ太郎(71), 白獅子仮面(73), スーパーロボットレッドバロン(73), 柔道讃歌(74), スーパーロボットマッハバロン (74), 太陽にほえろ!(75~76), 俺たちの朝(76), 姿三四郎(78)
@Tetsuya_Kuroki 失礼します。こちらも読ませて頂きました。当時の日テレの事情からマッハバロンの打ち切りに至る過程がファンの私にしたらちょっとショックですが。
2018-06-18 20:51:33@kattyun_2_23 藤井賢祐プロデューサーがアニメ番組を手掛けた頃の日本テレビでは、藤井Pの都合で『巨人の星』や『タイガーマスク』のアニメ化企画も通らない状況でした。1975年4月からアニメ番組担当に異動した吉川斌Pが、藤井Pの部下だった川口晴年Pの路線も一掃した結果、マッハバロンの打ち切りに至ったようです
2018-06-19 00:10:55@nanashiborger @F4EJ2Phantom @tottekurebeepri レッドバロンは、日本テレビの社員が通常の仕事を終えた後の時間を使って企画を立てており、その企画を編成部に売り込むという経緯でした。レッドバロンの開始が遅れた背景には、のちに不祥事で失脚する藤井賢祐プロデューサーが当時の日テレ編成部の担当だったのでは?と、最近考えています。
2018-09-04 20:17:13@Tetsuya_Kuroki @F4EJ2Phantom @tottekurebeepri 確か原作の方が日本テレビ所属の方らしいですね……藤井プロデューサーと宣弘社ではアストロガンガーしか多分接点がなさそうですが、日本テレビからロボットものは望ましくないとの事で手直しされた経緯とかにも藤井プロデューサーが関わってるかもしれないですね……
2018-09-04 20:19:17@nanashiborger @F4EJ2Phantom @tottekurebeepri 藤井賢祐Pは、本来なら日本テレビで製作すべき『巨人の星』や『タイガーマスク』の企画を門前払いで却下するなど、問題が多い人物でした。当時も企画を何度も門前払いした末に、フジテレビの『マジンガーZ』人気を見て、ようやく『スーパーロボット レッドバロン』の企画を採用したのかもしれません。
2018-09-04 20:30:23@Tetsuya_Kuroki @F4EJ2Phantom @tottekurebeepri あー、それで読売キー局での放送になったのですね……日本テレビ動画でどアホウ甲子園や赤き血のイレブンなどのスポ根ものが通ったのは新倉社長と藤井プロデューサーの繋がりがやはりあったところでしょうか……
2018-09-04 20:40:54@nanashiborger @F4EJ2Phantom @tottekurebeepri 1960年代の日本テレビが、当時の品質面でも水準以下の日本テレビ動画に偏ったのは、藤井プロデューサーと新倉社長の個人的なコネが他社の企画を門前払いにするほど効いたのかもしれません。後任の吉川斌Pが、よみうりテレビの『天才バカボン』などを日テレでリメイクしたのも興味深いところです。
2018-09-04 21:24:53@Tetsuya_Kuroki @F4EJ2Phantom @tottekurebeepri ふと藤井プロデューサー時代ですと日本テレビ動画やナックとの縁が深いですが、解任後はナックとはほぼ縁が途絶えてしまいますね……吉川プロデューサー辺りから東京ムービー関係が以降の作品でもメインになってきますね。
2018-09-04 21:26:30カルトアニメプロデューサー藤井賢祐
藤井賢祐とアニメ制作会社の作品について表で纏めてみました。 pic.twitter.com/hfoqOKnilC
2017-11-02 00:19:09「僕らを育てたシナリオとミステリーのすごい人4 辻真先インタビュー」で日テレの藤井賢祐プロデューサーの悪評(?)が語られていた。巨人の星の放送を断ったり、男どアホウ甲子園を標準語に変更させたりしたのは彼の仕業なんだとか。
2020-04-02 15:00:02日本テレビ版ドラえもんで有名な藤井賢祐プロデューサーのインタビュー記事。出典はアニメージュ1979年4月号。 pic.twitter.com/d2JbETWE6s
2019-08-31 04:43:24本題。日テレの「テレビ夢50年」という社史のデータ編のDVD-ROMを確認してきたんですが、全放送番組一覧というエクセルのDBがついてまして、ゼンちゃんツーちゃんもDBに登録されていました。
2017-11-01 22:34:40放送期間は同じ、曜日は月~金(自分が間違えてメモした可能性あり)。「放送区分」はレギュラーとされていて、「副題数」は78、「出演者他」は野沢雅子とのみ記載されていました。ここまでならば、まあお馴染みの情報です。そして最後に「担当者」というセルがあり、藤井賢祐と記載されていました。
2017-11-01 22:35:20