るろうに剣心の劇中最大最強の敵役の志々雄について、どのようにあの炎の剣を身に着け実用するに至ったか。本編での描写においては無限刃の性能によるものという説明が先行していて、一部では単に武器が強いだけみたいな評価もあるのだが、個人的にはこれに否を唱える推測をしている。
2019-11-10 21:49:42番外編の裏幕「炎を統べる」において、志々雄が若かりし日に駒形由美の家族を殺害したくだりが出てくる(御用盗とも書かれている)のだが、この時、死体の傷には全て刀傷とともに火傷ができていたとされている。しかしこの回想の情景においては、殺害現場には燃えた跡ような様子が見られない。
2019-11-10 21:52:26一方、本編において剣心が巴・縁との因縁を語る過去回想の終盤、闇乃武に通じていた飯塚を暗殺するため志々雄が人斬り抜刀斎の後を継いで「初仕事」を行うシーンがあるが、この時志々雄は焔霊を用い、斬られた飯塚の全身は燃え上がっている。
2019-11-10 21:56:13この志々雄初登場の時期は、劇中の描写からすると元治元年(1864年)末、もしくは明けて元治二年(1865年)の初頭。旧暦を換算するならたぶん1864年末になるはず。この時点でおそらく志々雄は明治11年の劇中で披露した時点の人斬りとしての技術、その基礎を概ね手にしている。
2019-11-10 22:00:34火産霊神とか使えたかは分からないが(斎藤が宇水と戦っている時のセリフや、異常体温などの描写からすると志々雄は炎に焼かれて以降さらに死線を潜り抜けて強くなったという評がある)、なんにせよ1864年末の時点で、おそらく無限刃と、発火に十分な人の脂を蓄えるだけの人斬り経験を身に着けていた。
2019-11-10 22:02:44志々雄は1848年生まれなのでこの時16歳。で、先に述べた由美の家族殺害の時期は、焔霊がまだ未完成に見える描写を考えるとこれより古いのではないかと推測される。御用盗は薩摩藩邸焼き討ち慶応3年(1867年)に関する単語ではあるが、後になって同じように呼ばれたとすれば一応辻褄は合うのでは。
2019-11-10 22:08:56まあそもそも史実的に厳密に区別するなら、長州派維新志士の志々雄が御用盗なのかというあたりも少々疑問ではある。由美の親族殺害のほうが後という可能性はもちろんあるのだが……。
2019-11-10 22:11:04由美は商家の出で1850年生まれ。炎を統べるによれば家族を失って新吉原の苦界に送られた。幕末の頃から新吉原にいるとのこと。志々雄による家族の殺害が1864年以前だとすれば14歳かそれ以下くらい、仮に御用盗の言葉が史実を正確に反映してるなら、17歳くらいで吉原に送られることになったことになる。
2019-11-10 22:16:06ひとつの仮説なのだが、志々雄は1864年、長州藩から人斬りとして暗殺を任される前に既に御用盗的な江戸や各地の治安を脅かし資金を得る倒幕活動していて、その中で刀の酷使の結果傷や欠けを生じていた。その中で志々雄は欠けた刀に染みついた人の脂が斬撃と同時に発火現象を起こすことを発見する。
2019-11-10 22:19:24このへんはたぶん、剣心と違って正確性や先読み、居合い、神速と言った精妙な刀のコントロールを持っていなかったゆえの、荒々しい刀の扱いの結果生じたものではなかったろうか。ともあれこの事実に気付いた志々雄は、刀の発火をコントロールし、炎を起こす剣に昇華することを考える。
2019-11-10 22:20:58そこで、当時殺人奇剣に名を馳せていた刀匠・新井赤空に連絡を取り(剣心がツテを持っていた経緯を鑑みるに、赤空は長州と繋がりがあったのだろうか)、あらかじめ欠けを作っておくことで使い勝手の変化しない刀、最終型殺人奇剣・無限刃の制作を依頼。この刀を持って志々雄は炎の剣を己の物にする。
2019-11-10 22:23:22その後、志々雄は禁門の変で大きく立場を変えた長州藩、また妻・巴を失って人斬り抜刀斎としての心境の変化させた剣心の後継として人斬りとして暗殺を行うことになる。その後約2年の活動を下手のち、維新成功が決定的となったなかで志々雄は口封じをされることになった――という感じ。
2019-11-10 22:25:37無限刃の発注が志々雄によるというのはけっこう無茶な仮説だが、一応根拠は無いこともなくて、新井赤空が没するのが明治3年のことというのがある。赤空が剣心に逆刃刀を渡したのが鳥羽伏見での戦いの勝利の後ということを考えると、赤空が逆刃刀真打を打ちあの「刃打ち」の句を刻んだのはそれ以前。
2019-11-10 22:27:59無限刃は「最終型」と銘されているように、赤空が刀匠としての晩年に打った剣であると推測できる。逆刃刀がいつ頃作られたのかははっきりしないが、やはり殺人奇剣を作り続けた後に心境の変化をこめた作刀であろうとは思われる。兄弟刀の表現の通り、だいたい同時期の作刀ではないだろうか。
2019-11-10 22:30:49で、この逆刃刀も原則としては相手を打ち据える前提の運用で(刃のほうはあえて必要が無ければ斬らないだろう)、半打撃武器のようなもので、刃を作らないことで欠けを発生させず長期間安定して運用できる刀ということもできる。実際逆刃刀は剣心がずっと使いながら10年折れず曲がらずであった。
2019-11-10 22:33:25逆刃刀と無限刃の制作時期が同じだとすると、この時期に赤空が打った刀は、どちらも長期間使用しても使い勝手の変わらない刀であり、赤空が自分が死没する、刀のメンテナンスが出来なくなることを織り込み済みで作られたようにも思われる。もしかすると病気などで死期を自覚していたのかもしれない。
2019-11-10 22:35:21まあこれ即イコール志々雄が無限刀を発注したという証拠にはならないんだけど、赤空の心境込みでそれなりにありそうな経緯ではないだろうか、という感じ。 赤空が何を思って無限刃を打ったかは明瞭ではないのだが、逆刃刀にまるで人を守る意志があるかのように描写された一方、北海道編では(続
2019-11-10 22:37:32明日郎の手に渡った無限刃が再び炎の剣として蘇る描写があることから、やはりなにかしらの宿命じみた物を感じさせる。本編描写であっさりひっくり返りそうなところではあるんだけども。
2019-11-10 22:38:57志々雄前史としては、その活動地域もやや気になる。志々雄は京都出身で、飯塚暗殺や若き日の宇水と戦った場面も概ね京都であろうと思われる。京都時代にさんざん遊郭で遊んだといった話もあった。人斬りになって以降は原則、京都中心で暗殺を行っていたのだろうか。
2019-11-10 22:40:24いっぽうで由美は武蔵国出身であり、商家の娘であること、家族を失って新吉原に売られたことを考えて、家族が斬られたのも恐らくは武蔵か江戸(当時はまだ)。人斬りになって以降の志々雄が江戸まできて薩摩藩邸焼き討ちの事前準備に御用盗をおこなっていたのか?という疑念がある。
2019-11-10 22:42:34宗次郎とはじめてであった時、志々雄は警官を斬っているがこの時は炎の剣で片付けていない。この時点で炎は使えなかったのかとも水素基出来るが、あれは地主の家の敷地内なので場所で目立つことをしたくなかったか、全身火傷で技を撃つ余裕がなかったで一応説明できる気はする。
2019-11-10 22:45:39なお宗次郎も相模国出身なのだが、米問屋は没した父の妾腹の子として宗次郎を引き取っているので、よほど捻っていなければあの劇中での舞台は相模国だろう。志々雄があの火傷まみれで京都から逃げてきたとも思えないので、志々雄の口封じもまた東京近辺で行われたのだろうか。
2019-11-10 22:48:32あの大やけどを負った志々雄が、出身地で詳しいだろう京都ではない関東でどうにか逃げ延びていられたのも、もともと志々雄に浪士活動時代の関東近郊での土地鑑があったからではないかという推測をする。
2019-11-10 22:49:55