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今日は『うるしの日』 惟喬親王がうるしの製法を虚空蔵菩薩から伝授された日が、平安時代の11月13日であることから制定された日。 今回はうるしの食器が似合う「梅椀」のレシピをご紹介します。 lnky.jp/61ysyNM #うるしの日 #鈴木登紀子 #しいたけ #きょうの料理
2019-11-13 07:30:14円空作の小さな惟喬親王像を見たことがあるけど、漆の他にも轆轤の技術を伝えたという伝承があるらしい twitter.com/sakana6634/sta…
2019-11-13 07:47:46あと円空さんの生誕地(推定)で円空仏見てきました 円空さんは木地師の出身かという説があり、資料館では木地師の生活展示もありました。木地師に轆轤の技術を伝えたのが惟喬親王(小野宮)という信仰があり、小さな親王像も展示されてました。木地師の人が拝んでいたのかな pic.twitter.com/bVrcxy9gnY
2018-05-05 18:03:11あと円空さんの生誕地(推定)で円空仏見てきました 円空さんは木地師の出身かという説があり、資料館では木地師の生活展示もありました。木地師に轆轤の技術を伝えたのが惟喬親王(小野宮)という信仰があり、小さな親王像も展示されてました。木地師の人が拝んでいたのかな pic.twitter.com/bVrcxy9gnY
2018-05-05 18:03:11@sakana6634 惟喬親王は「木地師の祖」ということで、轆轤の技術だけかと思い込んでいましたが、漆の技術についても、伝承がのこされていたんですね。 たしかに、木地から漆というのは自然な流れですが……
2019-11-13 09:15:02@sakana6634 以前、日光彫りの木地師の方とお話しをする機会があったのですが、現在でも木地師の方たちは、惟喬親王と、その隠棲の地とされる滋賀県東近江の小椋谷を、自分たちの原点として意識されていますね。
2019-11-13 09:18:13@jinja_origin そうですね、木地師と漆師も近しかったのでしょうし。さっきちらっと調べたら、東近江には親王を祀った大皇器地祖神社があるんですね。なるほど…
2019-11-13 11:02:35…という話が昼間出ていたんたけど、ちょうど図書館に寄ったので探してみたらお誂え向きの冊子が見つかりました。わぁ…。すごい、これ小野宮お好きな人には垂涎なのでは… pic.twitter.com/WZxhr9inM9
2019-11-13 21:47:47「京都の伝説民話一 惟喬親王」(京都府立総合資料館資料部) 38頁の小冊子ではあるが、史料や地元の顕彰会発行書籍などから引いた親王の事績、昭和43年当時の京都近郊から滋賀の史蹟や伝承の残る地への現地聞書きで構成されている。調査当時も親王は地元の人から敬愛されていた様子が窺える。
2019-11-13 23:05:28木地師関連を引用すると 『(小椋庄の伝承)…樵夫に逢われた。親王の一行を、あやしむので、お供の人々が「これに居給うは先帝の一ノ宮です」と説明した。樵夫は大いに驚き、深山の案内をした。親王は開拓をはかり、仮殿を造営された。親王が新居にはいられると、都から跡を慕つて来る人もあつた。→
2019-11-13 23:18:59→親王は、大木が朽ち倒れて腐り去るを惜しみ、ロクロで引いて日用の食器を作るよう、指導された。椀や折敷を作らせた。親王は木地師の祖神である。 開拓済民の業が、志の通り緒に就いたので、(姓を賜った)小椋実秀を奉行職とし、友の人々を領地に土着させた。』
2019-11-13 23:19:00→「近江国輿地志略、巻七十三に、 蛭谷村 筒井正八幡神社、惟喬親王の霊を祀る所なりと。日本国中ろくろ師の元祖なり。天下のろくろ師悉、当社に詣ふで祈り、当社より免許を出す…(中略)と。 ここに八幡宮がある。もとは筒井の山中にあった...」
2019-11-13 23:33:11→「(同じく蛭谷の八幡宮に関して)ここに全国の木地師を廻つた時の氏子訪問帳があり正保四年(1647)から明治二十六年(1893)に及んでいる。これを氏子狩帳と称する。氏子狩りは天正四年(1576)から始まるといい、根源丹という練薬を携えて氏子を訪れた。…」
2019-11-13 23:33:12→「当社の氏子狩帳は、近年注目され研究調査されることとなつた。」 うん、『氏子狩』で検索するとこの氏子狩帳に基づいた事例がwikiに載ってた。
2019-11-13 23:37:50輿地志にあった当社から全国の木地師に免許を出していた、というのも、氏子狩りをして登録した木地師に免状を与えた、ということのようで、親王を木地師の祖とする信仰が全国に浸透して残っているのにはこの影響もあるんだろうな。
2019-11-13 23:45:17ふむふむ、京都の法輪寺… 「平安時代、惟喬親王が、うるしの製法が未熟なのを憾み、当寺に参篭して本尊虚空蔵菩薩より教示をうけたという。これにちなみ、その参篭の満願の日である11月13日に…」うるし祭りを行う。と。 京都観光Navi ja.kyoto.travel/tourism/single…
2019-11-13 23:54:15惟喬親王に関する漆工と木工の祖という話はそれぞれ出所は別口みたいですね。法輪寺の件が「京都の伝説民話」に載せられていなかったのが不思議ですが…。大原の親王の陵墓(かと言われ、一応複数ある墓のうち唯一宮内庁に認定されているという五輪塔)のことは記載があるんだけど。
2019-11-14 00:12:26惟喬親王というと、私は伊勢物語の「小野の雪」なんだけど、あれも旧臣と心を通わせる話だったし、「京都の伝説民話」に拾われている各地の逸話も、里人や近習から慕われるようなものが多かった。あと、愛鷹に水を飲ませた場所だとか飼っていた雌鶏の塚だとか、慈しみ深い人物像がつくられていたんだな
2019-11-14 00:26:44なお、惟高親王(通称を小野宮など)は平安前期の皇族で、文徳帝の一宮、生母は更衣紀静子(三条町/紀有常の姉)、祖父は紀名虎。後ろ盾の強かった四宮惟仁親王(のちの清和帝)との勢力争いに負けたとされる。のち出家し小野、近江各所に隠棲し、各所に伝説を残し、木地師の祖ともされている。
2019-11-14 01:06:42そういえば以前見た円空作の惟高親王像は確か束帯姿(文官装束)だった…と、思うけど、僧形の扱いではなかったのかな。他の図像資料も見られたらいいんだけどな…。
2019-11-14 01:16:02