認識論者に聞け - 懐疑論、デイヴィドソン、ウィトゲンシュタイン
認識論の入門書を買ってみた。Pritchardの"What is this thing called Knowledge?"と"Knowledge" http://www.amazon.co.jp/dp/0415387981/atakada-22/ref=nosim/
2011-05-25 09:15:59@at_akada まあ分析的認識論に関しては、日本では言語哲学とは比にならないくらい誤解があふれていますね。下手に専門書読んで誤解するより、こういう学部向けの入門書を読めばいいと思います。向こうの専門家も、結構授業のためにとかで入門書結構読みますからね。
2011-05-25 12:33:50@kasa12345 Pritchardの本はもちろん @kasa12345 さんのブログで紹介されてるのを見て購入しました。ほんとに何も知らないので、まずはやさしいところから入ろうと思ってます。
2011-05-25 12:47:15@kasa12345 すいません、お言葉に甘えてPritchardの本について、質問なんですが、懐疑論にかかわる現代の議論のなかでデイヴィドソンみたいなタイプの懐疑論論駁ってどう位置付けられるんでしょうか?
2011-06-01 19:30:26@kasa12345 今たまたま調べてたらPritchardが書いた記事でデイヴィドソンについても触れられているものがあったんですが、扱いは小さいですね。「マイナーな選択肢の1つ」というくらいでしょうか。 http://bit.ly/kxeqmV
2011-06-01 19:34:49@kasa12345 ちなみにデイヴィドソンの議論というのは、「信念の解釈には大部分の信念が真であることが必要」というタイプのものを想定しています。このタイプの議論では懐疑論的シナリオの否定を、われわれが知っていることになるのでムーア主義の変形としても捉えられそうとも考えました。
2011-06-01 19:38:49@at_akada これはOxford Bibliographies Onlineだかに書いたやつですね。Davidsonの議論は認識論でほとんど議論されることはないぐらいマイナーです。理由は、信念が大部分真だと示すだけでは、懐疑論論駁には不十分。
2011-06-01 20:06:38@at_akada また、信念が大部分偽であることが形而上学的に不可能であるとしても、認識的可能ならば、懐疑論の成立のためには十分、といったところですかね。他にもDavidsonの議論の細部に対する批判はいろいろあります。
2011-06-01 20:08:34しかし、このPritchardの文献リストに載っている論文、本で読んだことないの1冊だけだ。まあ懐疑論は日本で書こうとしていた博論のテーマで随分勉強したし、去年ちょっと情報をアップデートしたりもした。僕が特に詳しい認識論の分野は、これと文脈主義、知識論になると思う。
2011-06-01 20:20:06@kasa12345 ありがとうございます。「懐疑論は形而上学的に不可能だけど認識論的に可能」ということになるんですね、おもしろいです。Pritchardの記事にあったSternの本などを読めばその辺りの批判も読めるでしょうか?
2011-06-01 20:20:27@at_akada この議論には二つのタイプがあり、一つは複雑な論証で哲学者が反懐疑論論証を提示できたとしても、それができない一般の人は依然として懐疑論の餌食のままであるというもの、他方はより直接的に様相の種類の区別に訴えるものです。
2011-06-01 20:31:05@at_akada 後者に関しては、James Beebe (2010). Constraints on Sceptical Hypotheses. Philosophical Quarterly 60 (240):449-470 が要領よくまとめています。
2011-06-01 20:31:50@kasa12345 ありがとうございます! Beebe(2010)は、Webにドラフトもありました。おもしろそうなので読んでみたいです。 http://bit.ly/kvofpN
2011-06-01 20:38:16そういえば、Pritchardの記事には「ウィトゲンシュタイン的アプローチ」という項目があり、マッギンなどが紹介されてます。Pritchatd自身、ウィトゲンシュタインと懐疑主義について書いたことがあるようです。http://bit.ly/inKhmG
2011-06-01 20:22:08@at_akada PritchardはWittgensteinならびに、彼に影響を受けたタイプの文脈主義にも論文を多く書いていますね。この辺は昔読んでたいへん勉強になりました。
2011-06-01 20:39:54@at_akada まあWittgenstein流の文脈主義は、いわゆる意味論的文脈主義とは全く異なるので、同じ名前で呼ぶのはかなり問題なんですが…日本でも山田圭一さんが、この立場ですね。Wittgensteinの認識論については現在論文を準備中です。
2011-06-01 20:46:01@at_akada ただこの論文は日哲のときの飲み会で構想を話したら、一部にひどく受けが悪かったので、ちょっとモチベーションが下がってますね。広義の文脈主義と言われる立場は、もう無数にあります。その辺りも徐々にブログあたりで紹介していきたいですね。
2011-06-01 20:54:52@kasa12345 「文脈主義」に関する文脈主義が必要ですね(文脈によって、こういう単語の解釈が変わるのはあたりまえですが)。ブログ記事も期待してます
2011-06-01 20:57:44内容は、Wittgensteinは(1)内在主義者か外在主義者か、(2)基礎付け主義者か整合説論者か、(3)文脈主義者かそうでないのか、という3つの問いに現代認識論の観点から答えるというもの。自分ではそれなりに書く価値があるとおもったんだけどなあ…
2011-06-01 20:57:09@kasa12345 個人的にはそういう20世紀の哲学者の議論が、現在の観点からどう位置付けられるのかは関心ありますけどね。どういう反発があったのかはわからないですが...
2011-06-01 20:59:41