20代後半の女性にこの映画は何かと聞かれ「ブレードランナー、40年近く前の作品だよ」と答えたらまさかの反応が

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Mirage @MirageYM

「昔」の概念が太平洋戦争後30年前後で止まってる気がする。やっぱりカラーテレビとカラー写真の存在が大きいんだろうな。

2019-11-22 16:02:57
和哉 @MaxiRem

最近の教科書を見る機会があって、ファミリーコンピューターが登場した頃の写真が載ってたのだが、それが白黒だったのに唖然とした。 twitter.com/yoshikiyamamot…

2019-11-22 20:00:56
山本佳希 @yoshikiyamamoto

20代後半の女性に「この映画は何ですか?」と聞かれたから、「『ブレードランナー』だね。1982年の映画だから、もう40年近く前の映画だよ」と言ったら、「え?その頃って白黒じゃないんですか?」と言われて絶句しました…

2019-11-22 14:38:21
中里十 @nakazatomitsuru

「1980年代をモノクロ写真で表現する」という時代錯誤のテンプレの影響だと思うけど、いろいろ考えさせられる>「え?その頃って白黒じゃないんですか?」 →

2019-11-22 16:02:07
中里十 @nakazatomitsuru

1970年代頃、カラー写真(1970年代以降)とモノクロ写真(以前)の時期的な境目を利用して、「昔の写真であることをモノクロで表現する」というテンプレが生まれたわけだけど、そのテンプレだけが伝わって、「1970年代にカラー写真がモノクロ写真に取って代わった」という情報は消えてしまった。 →

2019-11-22 16:05:29
中里十 @nakazatomitsuru

SFアニメのビデオチャットで、「通信状態が悪い」ことを表現するのが砂嵐なのとも通じるものがある。今の中学生の95%は、アナログテレビの砂嵐を実物で見た記憶がないはず。 こういう「テンプレ表現だけが伝わってる」例って腐るほどあると思うので、収集家がいてほしい。

2019-11-22 16:10:01
サクラドクテンオー @closerdoc11

でもまあ、40年前はインターネットも携帯電話も無かったという話を聞いていたら、そういう風に思うのもやむを得ないと思う

2019-11-22 16:27:46

まひわり @Mahiwari_jpnn

もうちょっとHD以前と以後、カラー化前後といった程度の細かい区切りは欲しい。

2019-11-22 20:31:23
Compass Rose @hms_compassrose

「昭和」「江戸」が果てしなく拡大していくあの現象

2019-11-22 20:25:51
めくじ @namekujidouraku

@yoshikiyamamoto 20代の子には、僕が子供の頃(1970年代後半)は、田畑を耕すのにも荷物を運ぶのにも、まだ馬が活躍してる時代だと思われてました。(馬が主力ではないにせよ)

2019-11-22 22:57:19
てん メモ:昆布茶 @duxnp

自分の生まれる前ってなんとなくそんな感じの認識になりがちですよね

2019-11-22 19:10:27
七御 @70xMusic

まあ自分が産まれる前と明治時代はほぼイコールよ

2019-11-22 20:22:45
リョージィ@やったね高カロリー大家族 @ryozy13

それは祖母がまだ若く恐竜がいたころのことだが

2019-11-22 19:45:33
槙/MAKI @maki_0

真珠湾の頃はたぶん、70年前の維新前後のことを覚えてる世代がいなくなって…!とか嘆かれてたんだろな

2019-11-22 21:13:10

関連リンク

リンク Wikipedia カラー映画 カラー映画(カラーえいが、Color motion picture film)は、モノクロフィルムを使うモノクロ映画(白黒映画)に対して、カラーフィルムを使用し自然のままの色を再現した映画をいう。 「映像に色をつける」という試みはサイレント映画時代の初期から試みられており、当時は1コマ1コマ手作業で着色されていた。その後カラーフィルム自体は1916年に二原色式テクニカラーが開発されるが、青や黄色が表現できないなど、色彩再現力が不完全であった。1932年にはそれらの欠点を克服した三原色式の改良版テクニカラー 1 user 2
リンク Wikipedia 白黒テレビ 白黒テレビ(しろくろテレビ)とは、映像が白黒であるテレビ放送あるいは受像器。 白黒テレビ放送の搬送波では輝度の信号が送られ、受像器で信号を変換し画像を作る。 1925年、イギリスのジョン・ロジー・ベアードやアメリカのチャールズ・フランシス・ジェンキンスらが各々白黒テレビの実験を行った。 既にカラーテレビの構想も存在しており、3年後の1928年にはジョン・ロジー・ベアードが三原色の色フィルターを用いたカラーテレビの実験を行っている。 この間、1926年に日本の高柳健次郎が初めてブラウン管を用いた受像機に「イ 1 user 2