11/23 「甲府と戦国大名武田氏」武田氏研究会創立三○周年記念シンポジウム私的所感

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日光81 @nikko81_fsi

四本の報告終了。平山先生発表も興味深いが、個人的には丸島先生発表が特に興味深い内容。佐々木館長は武田氏屋形の具体的な発掘成果を概略。屋形の変遷推定年代については気付きあり。数野氏発表にはやや疑問あったかな。所管は後ほど。さて討論。 twitter.com/nikko81_fsi/st…

2019-11-23 14:58:39
日光81 @nikko81_fsi

さて振り返っていきますかね。期待に違わぬ充実した時間でした。また一般参加可能な武田氏研究会シンポジウム、講演会があれば足を運びたいと思います。 twitter.com/nikko81_fsi/st… pic.twitter.com/OGW6616A7l

2019-11-24 11:12:08
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①数野雅彦氏発表。甲府を城下町として研究されてきた研究史と丸島先生の成慶院甲斐国供養帳に記載のある地名を甲府の歴史研究に活かす点が興味深い。前者については甲府開創を語るには甲府以前からあった一蓮寺の重要性の背景が浮かび上がってくるように思えた。 twitter.com/nikko81_fsi/st…

2019-11-24 11:20:12
日光81 @nikko81_fsi

後者については、まずは取り掛かりという感もあるが、まず八日市場が地名としての初見(天文4年)で、街路名称の初見が天文14年の信虎追放後という点に注目。信虎から信玄期にかけての甲府の発展状況を想像できる研究が、意外な供養帳の研究から進む予感。

2019-11-24 11:26:40
日光81 @nikko81_fsi

そもそも中世の守護館は計画的な都市ではなく、雑多に武士や証人が散在する有り様。ここに信虎が都市の空間意識を持ち込み、面的整備に取り組む方向性を示すことが画期となり徐々に計画的な都市が形成。信虎が京を鏡とした都市空間を意識できた背景は何だったか興味がわくところ。

2019-11-24 11:28:04
日光81 @nikko81_fsi

甲府建設時の若い信虎が単独で京を意識した都市形成を志向たりえたのか、そこには守護家としての家格の高さとそれに相応しい新たな「府中」のあり方をデザインできる有能なブレーンの存在を思わせるが甲斐統一戦に明け暮れる中、内政的な知恵袋たり得る人材を今のところ想像ができない。

2019-11-24 11:31:05
日光81 @nikko81_fsi

一方、(1)「都市政策の限界」(2)「保守的で中世的な価値観」(3)「室町幕府を意識した城下町」「幕府権力を後ろ盾に領国支配を正当化」というのは、やはりいただけないと云わざるを得ない。

2019-11-24 11:35:33
日光81 @nikko81_fsi

(1)については、後の丸島先生発表とも関連するが、中世→近世の段階発展を前提とした考え方のように思え、「また当時の風習や伝統的価値観を乗り越え」る必要性が果たしてあったのか、近世城下町の「商業区域空間の分離独立」への至る直線的な過程で「遅れ進み」を考える点に疑問を感じる。

2019-11-24 11:39:26
日光81 @nikko81_fsi

(3)については戦国大名としての定義の問題に関わると感じた。幕府の後ろ盾で支配を正当化するのであればそれは守護大名の段階であり、「形式的に推戴することはあっても、より上位の権力を想定しない独自の判断で行動するのが戦国大名」だとすると、一向に武田は戦国大名ではないことになってしまう。

2019-11-24 11:42:54
日光81 @nikko81_fsi

②平山優先生発表。甲府が発展していく信玄勝頼期について。領国拡大に伴う甲府の人口増加と人々の精神的な拠り所を造営していく過程のご紹介。室町幕府の在京制、鎌倉府の管轄国における在倉(在鎌倉)制と擬えた「在甲制」の考え方に興味をもつ。 twitter.com/nikko81_fsi/st…

2019-11-24 11:48:18
日光81 @nikko81_fsi

これは室町幕府の後ろ盾…ということではなく、独立した権力体である戦国大名が自領国において「小さな幕府」を志向し、その参考事例として室町幕府・鎌倉府を捉えていたと理解した。その「在甲制」の実態も供養帳の地名・人名から推測できる点も興味深い。

2019-11-24 11:52:23
日光81 @nikko81_fsi

年代別の甲府在住の家臣一覧。いわゆるわたしでも知ってる有名な人というと、永禄年間では甘利虎泰や春日弾正、三枝虎吉、今福昌常、両角昌守(虎光子)くらいで、後世の屋敷図に出てこない人々がほとんど。そのような人も含め、甲府に密集して居を構えていた様子が想像できる。

2019-11-24 12:00:23
日光81 @nikko81_fsi

元亀年間に入ると、知っている人名でかつ居住地が「府中」とだけではなく小路名称が付記される事例が出てくる(小路名自体は天文、弘治、永禄にも付記された事例はある)。今福石見守が八幡小路、楠浦若狭守が聖道小路、市川宮内助昌房が広小路、跡部大炊助勝資が八幡小路…などなど。

2019-11-24 12:07:16
日光81 @nikko81_fsi

虎落小路に土屋新丞(天正四年)とあるのが特に興味深い。実は古府中村(町)の字名として武田氏屋形の北西に「土屋敷」とあって、土屋氏屋敷と推定されている場所がある。甲府市教育委員会による「虎落小路」の立て看板もある。字名、供養帳の双方からよりここは土屋氏屋敷らしいと思えた。

2019-11-24 12:11:37
日光81 @nikko81_fsi

しかも、天正四年と長篠合戦の翌年である。「老母による逆修」ということは、この「土屋新丞」とは昌続と同じく長篠に出陣した近親者であろうか。

2019-11-24 12:14:37
日光81 @nikko81_fsi

その他、有名人では山県善右衛門(三枝昌貞)が御前小路にいてやっぱり屋形に近いなぁだとか。あと小路名はないけど、春日惣次郎が春日弾正の供養をしていて「あぁ…」とか思っちゃうなど(香坂弾正クラスタに届け)

2019-11-24 12:18:06
日光81 @nikko81_fsi

武田滅亡後はまた違った興味深さを帯びてくる。諸事あって居が甲府でなくとも元は甲州人なのでということで、元住まいの地を記して引き続き甲州を担当する成慶院に供養をお願いしている点。三枝昌貞の後を継いだ弟昌吉が「甲州府中御前小路」として、文禄二年に父母の供養。当時下野足利庄居。 twitter.com/nikko81_fsi/st…

2019-11-24 12:24:12
日光81 @nikko81_fsi

甲州府中古籠屋小路には内方の逆修として「馬場美濃守」の名前が見える。いわゆる二十四将屋敷案内とは場所が違っていて、屋形大手の北、躑躅が崎から北に伸びる通りが古籠屋小路である。実は馬場屋敷はこちらなのかも?

2019-11-24 12:29:08
日光81 @nikko81_fsi

話が逸れたが、こんな風に武田家臣が集住している様子がわかって楽しい。譜代家臣だけではなく、他国国衆の人質の在府や亡命者の庇護も含めると相当な人口増があったであろうことがよりハッキリとイメージができる。

2019-11-24 12:31:44
日光81 @nikko81_fsi

加えて商工業の発展については、八日市場の常設市場であった可能性の指摘が見逃せないが、より興味を引いたのが勝頼公が発給している天正二年、柳町宿中に宛てられた跡部美作が奏者の朱印状。余所の宿中と同様、家の造作を見栄えよくするようにという指示である。勝頼公、そんな指示出しているんだ!!

2019-11-24 12:36:22
日光81 @nikko81_fsi

都市景観を思案する勝頼公、ってすごくない?

2019-11-24 12:37:22
日光81 @nikko81_fsi

③佐々木満甲府市武田氏館跡歴史観長の発表。現地説明会で断片的に武田氏館の発掘状況を聴く機会はあったが、長年の発掘調査から得た成果を概観できる貴重な機会。武田神社参道石垣の改修時の土塁断面からわかる、屋形の変遷が特に興味深い点。 twitter.com/nikko81_fsi/st…

2019-11-24 12:41:09
日光81 @nikko81_fsi

永正16年の造営期(1期)と火災を受けた天文初期(2期)に比べ、3期から大幅に変容を見せる様がおもしろい。土塁の高さが2m程度から4.5m程度と2倍以上になっているだけでなく、表面が粘土でコーティングされている様子までわかるのだという。この時期と思しき本曲輪土橋に石積遺構があるらしい。

2019-11-24 12:45:02
日光81 @nikko81_fsi

3期は天文の火災以降、時期をおかずに造成されたようだが、4期で西曲輪が造営され、土塁の高さもさらに倍の8m規模になっている。ここで重要な指摘は1~3期までの土塁の土質は丁寧に土を固めた様子がわかるらしいのだけれども、4期は急ピッチで進められたように思える点だ。

2019-11-24 12:48:25
日光81 @nikko81_fsi

この4期をいつ時点に比定するか。オフィシャルには天文20年の西曲輪造営時点とされていて、これにどうしてももやもやするところがあったのだけど、1期との軸線のズレと城下町設計全体への影響を考えた結果という解説でなるほど…と思っていたが、この急ピッチ痕でまたわからなくなってきた。

2019-11-24 12:52:00