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出雲蕎麦を中心とした地蕎麦の流れ。

至極簡単な出雲蕎麦とその界隈についてのまとめです。 ※1:備忘録兼ねてますんでその辺ご了解下さい、まとめとくとざっと流れがわかるもので。 ※2:流れがわかってもあんまいいこと無いんですよ? ※3:蕎麦の伝播には諸説ありますが、作物としての蕎麦と、調理方法や加工方法の伝播にはまた違いがある事はご了解下さいね。 続きを読む
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ooi@n_m @JDSDE214

大山蕎麦が出雲蕎麦の発祥だって話が大山蕎麦関係の団体から出てきたことがあって、色々話を聞いてみると、大山寺と鰐淵寺の関係もあって寺方蕎麦が伝わったんじゃ「ないか」って話だったときの脱力感足るや。>節子、ソレは「だったらいいな」ってはなしだ。

2019-05-19 17:07:51
ooi@n_m @JDSDE214

蕎麦切りの発祥に関しては色々話があって、概ね京都あたりで自然発生したのでは無いか(公家や寺辺りで蕎麦料理に関するおぼろげな記述が幾つかある)、と言うのと、戦国時代に臨済宗の寺院で蕎麦切りを振る舞ったという文書が出て来ている。

2019-05-19 17:07:52
ooi@n_m @JDSDE214

ちなみに大山寺や鰐淵寺は天台宗で禅宗では比較的料理辺りも修行の一環として重視されるんだけど、天台宗にそう言うものが伝わっていたかどうかは定かでは無い。(臨済宗や曹洞宗では割に聞く話なのだが) や、文書が出て来たらソレはソレで新たな事実なので読んでみたいんではあるが。

2019-05-19 17:07:52
ooi@n_m @JDSDE214

ちなみに、出雲蕎麦の伝来としては松平直政公の信州からの国替えによるモノでは無いかと言う伝承に傍証が出つつある、松江で会合の後に蕎麦切りが振る舞われた、と言う日記が出て来たり、直政公が江戸で親戚等に蕎麦振る舞いを行った、と言う記録が出て来ている。

2019-05-19 17:07:52
ooi@n_m @JDSDE214

今の所そこまでさかのぼれると言うだけの話で、寺方蕎麦の伝来があったのでは無いか、となればそれはそれで重要な新発見と言う事になるのだけどね。

2019-05-19 17:07:52
ooi@n_m @JDSDE214

ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%8E… この辺とか辿ってみると色々出てくる。

2019-05-19 17:13:51
ooi@n_m @JDSDE214

今はその辺、公式サイトの方ではぼやかされてますが、この由来間違って覚えてると「戦争やぞ」になるんだけどね… tottori-guide.jp/828/829/8426.h…

2019-05-19 17:25:43
ooi@n_m @JDSDE214

や、ホント、江府町の方は修正されてなくてね… town-kofu.jp/kanko/15/4/ "以来、大山山麓では盛んにそば作りが行われるようになり、甘皮までたっぷり挽き込む製法によって、独特の黒い色と素朴な風味の「大山そば」が作られるようになりました。" や、ここで止まっとけば問題無いんですが。

2019-05-19 17:29:37
ooi@n_m @JDSDE214

"そば通の方なら、おや?と思われるはず。 そう、この大山そばの作り方が、後に出雲地方へ伝えられたのが、「出雲そば」の始まりとも言われているのです。" 何処で言われてんだ?って話なんですわ…

2019-05-19 17:29:37
ooi@n_m @JDSDE214

まあ、何と言うか、笑って流しとけばいいじゃ無いか、と言えばソレまでなんですが、たまに勘違いした人が講釈に使う事があるんで…笑いが乾くというか。

2019-05-19 17:36:22
ooi@n_m @JDSDE214

なので、今の所わかってるネタだけ挙げときますが「大山蕎麦が出雲蕎麦の起こりである」ってのは、ぶっちゃけホラだから、ご注意下さい。 ただ、根拠文献とが出て来てたら是非教えて下さい、伝播ルートが複数あるってのはおかしな話じゃないし、文献による裏付けがあると色々わかることもあります。

2019-05-19 17:39:34
ooi@n_m @JDSDE214

や、ホント文献色々出てくるんで、大名の動向とか日記を丹念に当たるといつ頃に蕎麦切りの記述があるって今でも出てくるんですよホントの話。

2019-05-19 17:50:22
ooi@n_m @JDSDE214

そんな私が朝から何をぼんやり考えているのかと言うと、出雲蕎麦の伝播ってどうなんだろうなあ、と言う事だったりする。(をい

2019-07-02 10:23:35
ooi@n_m @JDSDE214

もうちょっと分かりやすく言うと「蕎麦切りの伝播」において出雲地方や石見地方にどう伝播して言ったのかしら、それからどう伝播したのかしら、なんだけどね。

2019-07-02 10:33:20
ooi@n_m @JDSDE214

(よし、誰も見てないから今の内だ) 今の所、蕎麦の原産地は概ね特定されてて中国南部と言われてる。 蕎麦自体は弥生時代に遺跡から花粉が見つかったとかあるので、その辺は米と似た様な時期かその前に伝播したと思われる、問題はその利用方法だ。

2019-07-02 10:57:12
ooi@n_m @JDSDE214

その頃は蕎麦は米と似た様な使われ方をしていたと思われる、イネ科以外の穀物(五穀には含まれない)だけども、煮たり、案外で粉にしてたかもしれないが、おおよそ室町辺りまではそう言う食べられ方をしていたのではないか、と言う話ね。

2019-07-02 10:57:13
ooi@n_m @JDSDE214

ここまで、蕎麦を麺にして食べると言う習慣は基本的に無くて、麺にするのって概ね小麦だったんですな、そうめんが一番記録としては古くて、冷や麦、うどん(麦切り)だったと言う、ただ、あまり庶民の間で食べるようなものではなかったっぽい。

2019-07-02 11:00:57
ooi@n_m @JDSDE214

それが変わってきたのはどうも室町の頃らしく、貴族階級で荘園から送られてきた蕎麦とかの消費、お寺の賄い(って言っていいんだっけ?)辺りで蕎麦切りが試みられたッぽい、コレが記録とかに残るのは戦国時代の信州は木曽地方なんだけどね。(臨済宗のお寺に蕎麦振る舞いをした記録が残ってる)

2019-07-02 11:19:14
ooi@n_m @JDSDE214

戦国時代の始まりとも言うべきか、応仁の乱以降、荒れた京から各地方に僧侶が移動してった話はいくらでもある訳で、寺のネットワークを通じて蕎麦切りが地方に伝播してった可能性がかなりあるし、信州は特にそうだったとも言える。

2019-07-02 11:50:52
ooi@n_m @JDSDE214

寺にしてみれば何か事があったときに手軽におもてなしの出来るor炊き出しの出来る手段が増えるのはいいことな訳で、そう言う点でも蕎麦と言う穀物が手段の一つとして増えた事はいい事だったのだろう、んで、それが其々の地方に伝わっていくと。(だらだら続きますよ)

2019-07-02 11:57:26
ooi@n_m @JDSDE214

ンで、戦国以降蕎麦切りの伝承や、所謂老舗の創業辺りが後にこの頃興ったとかいう記録として残されていく訳です。(大阪城建設の頃大坂に砂場という蕎麦屋が出来たというお話しとか。)

2019-07-02 13:10:25
ooi@n_m @JDSDE214

この辺りで蕎麦の伝播ルートが寺以外にも増えます、何の拍子か寺から民間や武家に伝わった蕎麦切りが戦国から江戸期の国換えやら移住やら旅行やら何やらの移動に伴っていろんな地方に伝わっていくんですね、大方の地蕎麦はこのとき伝播したものでは無いか、と考えられています。

2019-07-02 15:54:03
ooi@n_m @JDSDE214

また、江戸では蕎麦が寺方や武士階級、民間でも広まり色々発展して蕎麦切りの本場であった信州辺りでは逆輸入されるほどでした。 このとき、江戸を経由しないで信州辺りから直接国替えで蕎麦が伝播したのでは無いか、と思われる地蕎麦はより昔の形を色濃く残しているといえます。

2019-07-02 15:54:03
ooi@n_m @JDSDE214

んでまあ、出雲蕎麦に話を持っていくんですが、現在、いわゆる伝説も含めて 1.大山寺経由で蕎麦切りが伝わったんだよ!説 2.江戸期の国替えの時に蕎麦切りが伝わったんだよ!説 3.大森銀山の奉行だった大久保長安が連れてきた職人から蕎麦切りが伝わったんだよ!説 ぐらいですかねえ…

2019-07-02 16:07:39
ooi@n_m @JDSDE214

1.大山寺経由で蕎麦切りが伝わったんだよ!ってのは正直微妙でして、鳥取県とかでの大山蕎麦の由来でよく書かれては居るんですが、幾ら平安期の話とは言え、その頃蕎麦切りがあった訳じゃありませんで。 pref.tottori.lg.jp/145165.htm

2019-07-02 16:33:29