+M氏2019年末間近の遊雅な囀り(抄)

+M氏の視点の展開を楽しむスレッド。「私」ではないわたし。“ただ、えてして一流の専門家が魅力的であることが多いのは、専門領域の創発性に、自己内対話の活性度が強く相関しているからだ。” 自己内対話、足りているか?しっかり自己と向き合っているか。
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+M laboratory @freakscafe

市場にコンセプトをリリースするというのは、そのコンセプトのもとで従来の商品やサービスを再定義するということである。 再定義することで、商品やサービスの価値が変わる。

2019-12-09 10:55:40
+M laboratory @freakscafe

多くの人は、仕事が嫌だというわけではなく、ひとつには職場の内外の人間関係、もうひとつには決まり切った作業を強いられることの二点にストレスを感じているのだと思う。 この二つが、解消、或いはすこしでも緩和できれば、ストレスはかなり減るし、そうなれば仕事は嫌なばかりではなくなる。

2019-12-09 11:14:59
+M laboratory @freakscafe

仕事の人間関係の何がストレスになるかといえば、「無能で自己中で此方の事情をまるで考慮しない上司や部下や客」に振り回されることがきついわけだ。 劣悪な環境下でも、もし、自分のペースで仕事ができるなら、じつは然程のストレスは感じないで済む。

2019-12-09 11:29:27
+M laboratory @freakscafe

そして、自分のペースで仕事ができるなら、単調なタスクにもリズムが生まれ、ひどく消耗、疲弊することもなくなる。要は、仕事が嫌だという大部分は、「自分のペース」を保つことができれば、かなり緩和する。 だが、「自分のペース」を保つということは、とても難しい。

2019-12-09 11:32:34
+M laboratory @freakscafe

自分のペースで仕事するには、 1.まず「自分のペース」を掴むこと。そのためには時に無理もしてみて、自分の「伸び縮み」の幅を知っておくことも重要になる。 2.無理を強いてくる内外の人々との交渉力をつける。交渉には柔軟な表現力が要る。さらにそもそも交渉が可能な立場に立っている必要がある。

2019-12-09 11:40:42
+M laboratory @freakscafe

特に、2の部分は、その人の性格、コミュニケーションにおける傾向性のようなことが関わってくる。 だから、残念だが、無理な人は無理かもしれない。その場合、組織内政治や接客、営業といった人間関係の力学からできる限り間接的で居られる立場を模索した方が賢明かもしれない。

2019-12-09 11:46:21
+M laboratory @freakscafe

だが、多くの人は「自分はそういう人間関係を巧くやりくりするのは苦手」と思い込んでいるだけで、じつはそうでもないような気もする。 要は「自分のペースを掴む」というフェーズが曖昧なので、つい流されてしまうというだけのことではないか。

2019-12-09 11:50:13
+M laboratory @freakscafe

私もフリーのようなものなので、フリーの人間の心理はよく分かる。仕事を断ることが怖くて、キャパオーバーになり、おざなりな仕事になってしまうことがある。これはまずいやり方だ。むしろキャパに余裕を持たせ、一つ一つの仕事にオーバーアチーブ気味に対処した方が、中長期的には必ずプラスになる。

2019-12-09 11:59:49
+M laboratory @freakscafe

断っておくと、私がここで書き連ねたことは、「誰にも適用できる一般的な処方箋」ではない。 能力として、自分のエゴにこだわらず状況に溶け込むことのできる洞察力や、その洞察を相手に応じて表現できる高度な言語化能力が要求される。 高いハードルだが、しかし、越えられないハードルではない。

2019-12-09 12:12:04
+M laboratory @freakscafe

自分は、状況の中心にいるわけではない。状況は、多変数の織物なので、誰も、その中心にはいない。 だから、自己中心的な思考は、端的に誤謬であり、誤謬を通そうという無理が、歪んだ世界像を結ぶ。 世界を、他者を歪めないためには、状況に溶け込んで、“場に考えさせねばならない”。

2019-12-09 12:45:01
+M laboratory @freakscafe

「洞察」とは、私が主語の座を降りて、言わば「場のエージェント」として考え始めたとき、初めて作動する知の働きである。

2019-12-09 12:48:09
+M laboratory @freakscafe

私は「場のエージェント」であり、あなたもまた「場のエージェント」であり、だから状況は最初から共有されている。ただ、状況を見ている視点、パースペティヴが異なるだけだ。 だから、洞察的直観は、状況を共有する人間に対しては、本来いかようにも表現できる。

2019-12-09 12:58:14
+M laboratory @freakscafe

状況は単一ではない。「宇宙」や「生態系」のような包摂性の高い状況もあれば、「国家」や「特定の専門家共同体」のように包摂性の低い状況もある。私は、さまざまなレイヤーの状況にけるさまざまなエージェントとして現象している。

2019-12-09 13:02:48
+M laboratory @freakscafe

そして、その複数のエージェント間においても、何かしらのコミュニケーションは成立する。そのコミュニケーションのためのコードが「準同型結合」、すなわちアナロジーの働きということであろう。

2019-12-09 13:05:57
+M laboratory @freakscafe

一つの状況とは、一つの系のことであり、連鎖する記号体系のことだ。記号の連鎖を、言語や数字や画像に翻訳すれば、人間が操作可能になる。 翻訳された擬似的な記号を操作することに長けた人間が、いわゆる「専門家」だ。

2019-12-09 13:28:28
+M laboratory @freakscafe

「専門家」として優れていても、その人に人間的な深み、魅力があるとは限らない。人間的な深み、魅力は、自己内でのエージェント同士の交流レベルが高いことに起因する。 ただ、えてして一流の専門家が魅力的であることが多いのは、専門領域の創発性に、自己内対話の活性度が強く相関しているからだ。

2019-12-09 13:32:00
+M laboratory @freakscafe

ところで、社会的に認められている「専門領域」が、一つの系として破綻しているなんてことはざらにある。それは、社会的な擬制としての「専門領域」であるに過ぎない。例えば大学では、様々な「専門領域」が打ち立てられるが、それが系として成り立っているのかどうか。

2019-12-09 13:48:43