東方科学考察クラスタDieさんによる連続Tweet―幻想郷における衣服の染色と、我が国における染色発達史―

東方科学考察と呼ばれるジャンルの拡大を目論むDieさんによる連続Tweet(いわゆるたれ語り)です。今回は、我が国における染色の発達についてと、それと今の幻想郷の衣服との微妙なずれについてなどを語っています。
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Die @die3035

平和な土曜の夕方に突如現れる久々な考察TL。夏コミも受かったしね。今回の話は五月にはやると言っていた「染色」のお話。だけどちょっとだけ違うお話。うん、まあ、忙しかったんよ。別にやる気が無かった訳じゃないんよ

2011-06-04 16:28:31
Die @die3035

一応、これ http://togetter.com/li/109720 の続きであり、衣類にまつわるお話の最終章にして夏コミの本の考察準備号になります。なんで、まあ、長いです、はい。かなりね

2011-06-04 16:29:11
Die @die3035

「色」の誕生というのは明確にはわからない。それこそ宇宙の誕生から物体はなんらかの色を持っていた訳だが、その「色」を認識できる生命体が現れたのは何時の話なのだろうか。まあ、ここら辺は話しても仕方がない

2011-06-04 16:30:20
Die @die3035

何にしても、猿から進化した人間は色覚を持っており、人類と呼ばれる種族の誕生と共に色はあった。空の色、草木の色、土の色、花の色、その他様々な色に囲まれてきた。まさに「自然は偉大なる模様である」

2011-06-04 16:31:32
Die @die3035

それを見た我々の祖先が何を思ったのかを知る術は無いが、どうやら「美」という感覚の原型とも言える物を見いだしたのは間違いでもなかろう

2011-06-04 16:32:18
Die @die3035

さて、そのような感覚を覚えた者が、それら色のついたものを手に取り使おうとした事はごく自然な事である。色彩豊かな花で身を飾ったり、肌に色のついた土を塗ってペイントする、なんてこともしてたようだ

2011-06-04 16:33:28
Die @die3035

そんな風に色のある物を使っているうちに、「色」そのものを使いたいという感情でも芽生えたのだろうか。いつしか人間は色を取り出す事を試み始めた

2011-06-04 16:34:06
Die @die3035

あの花の色を使いたい、きらめく日の光や水の色を再現したい。その心情を正確に知る事はできないが、おそらくその動機は自然の模倣であったのだろうと言われている。幼子が見たモノ、考えたモノを絵に描くようなものなのだろう。その手段として色そのものを渇望し、その製造を模索し始めた

2011-06-04 16:36:35
Die @die3035

そして、海岸線に住む者なら美しい貝殻を、内地に住むものなら美しい花や色のついた土を、その対象に選んだ事も想像に難くない。特に花は大体の場所で手に入り、色の種類も多いので主力となった。その手法としては、直接絞る、水につけるあたりが主であったとされる

2011-06-04 16:38:56
Die @die3035

そうして取り出した「色」と、同じく人類誕生以来の友であった「服」とを組み合わせるに至った過程は、装飾欲とやらを持つ人間にとってはそこまで不自然な事でもないだろう

2011-06-04 16:40:19
Die @die3035

このように、人類は自らの着る物にも自然の美を再現すべく、衣類やそれを構成する布、繊維を色で染めると言う事を始める。これが衣類における「染色」の始まりである

2011-06-04 16:41:24
Die @die3035

その起源は相当に古く、エジプトやインドなどに見られる。が、この辺りを掘り返すとタダでさえ多い話がえげつない量になり、そもそも東方考察の前段階の話なので日本に限定して見てゆこう。そこまで踏み込むと一冊の本になるし

2011-06-04 16:42:26
Die @die3035

日本の染色の起源は弥生時代にまで遡り、実際にこの時代の出土品から藍や朱に染められた繊維が発掘されている。この二種は最古の染料でもあり、日本のみならず各国で出土している

2011-06-04 16:43:43
Die @die3035

さて、この弥生時代は「糸で編む」から「布を織る」への過度期である事は前にも言ったが、これは染色においても非常に重要な話である

2011-06-04 16:44:44
Die @die3035

というのは、「編む」に比べて「織る」のほうが圧倒的に編み目の細かさ、つまり布の質(感)が違うのである。実際、編む程度の技術しか無かった時代は繊維は袋か簡単な衣類に使うのが精々であった(おかげで資料がまともに残っていない)

2011-06-04 16:46:02
Die @die3035

しかし、渡来人などにより織る技術が本格化してくると、ただ布全体を大雑把に染めるだけではなく、ある部分の範囲だけ限定的に染めたり、様々な色のついた糸を組み合わせて織ったりする事で布上に美しい文様を描く事が出来るようになる

2011-06-04 16:47:09
Die @die3035

つまり、編むでは時間がかかり難しかった糸で布を作るという行為が、織るという技術が本格化して来た事によって、より早く、より大きく、より精密に製造可能になり、それゆえに布上での表現力が段違いになったのである

2011-06-04 16:47:59
Die @die3035

これらは「せんしょく」という言葉を変換すると、「染色(色を染める事)」と「染織(布を染める事と布を織る事)」の二種類が出てくる事からも両者の関係の深さが伺える

2011-06-04 16:49:13
Die @die3035

これにより、染色は本格的に布の文化、工芸の一つとなり、より多くの色を求めて色の文化は躍進を遂げる。この始まりが弥生時代だろうとされている

2011-06-04 16:50:24
Die @die3035

ここで「だろう」としているのはこの時代の布の出土品が極めて少ないからであり、文献としても古墳時代にさしかかる前の「魏志倭人伝」しか無いため、確証が無いのである

2011-06-04 16:51:33
Die @die3035

実際、本格的に染められた布が出土され始めるのは古墳時代、古墳という遺跡の性質上、布が比較的原型を保ったまま出土する事が多いためである

2011-06-04 16:52:39
Die @die3035

といっても、実際に出土したものは兜なり王冠なり剣なり鏡なりにくっ付いたものであり、美しい文様が描かれた工芸品としての布はこの時代の遺跡からはまだ発見されていない

2011-06-04 16:53:52
Die @die3035

布を織る織機自体もまだ発見されておらず、各地のちょっとした出土品やその後の飛鳥時代において十分高度な技術力を既に保有していた事から、過度期的時期であった事だけが解る

2011-06-04 16:54:52
Die @die3035

ただ、古事記や日本書紀の記述における神々の衣類からある程度の推測は可能である。天岩戸のお話には青い麻布が出てくるし、大国主は大和へ旅立つ時に何色の服を着ようかと迷っていたりもする事から、やっぱりそれなりに技術はあり、文化もあったのだろう

2011-06-04 16:56:13
Die @die3035

飛鳥時代に入ると、大陸の高度な技術や人、仏教がやってきた。この国の文化と仏教が切っても切り離せないのは染色でも大して変わらない。また、「蔵」というモノが出来たため、今日に至るまでほとんど原型を保ったまま美しい文様の布が保存されているのも大きい

2011-06-04 16:57:37
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