戦国時代『騎馬隊』はあったの、無かったの?(=”兵種別編成”はあったの?)どうやって戦場の手柄を論証するの?〜戎光祥ヒストリカルセミナーより

戦国時代「騎馬隊」は無かった、いやあった、とかって、地味に歴史クラスタで話題が続いてますよね。そんな議論を見つけたので保存させてもらいます。時系列がちょっと前後しますのでご注意ください
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日本史bot @JapaneseHis_bot

【長篠の戦い】1575年,三河国長篠を舞台に行われた徳川家康・織田信長連合軍vs武田勝頼の戦い。この戦いにおいて武田軍の2倍近い兵力を有していた徳川・織田連合軍は多くの鉄砲を活用し,当時最強と言われた武田軍の騎馬隊を打ち破った。twitpic.com/diiyf6

2019-12-09 11:36:15
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Gonza @Gonza_Orc

武蔵国の住人。ウマ娘トレーナー。中世史(南北朝界隈)が最近面白い。

Gonza @Gonza_Orc

最後の座談会。 武田騎馬隊については「ある」「ない」で論争もあったが今現在は「ある」だそう。 フロイスの「武士は下馬して戦う」はフロイスの活動範囲である西国の話で、東国では騎乗して戦える武士も多い、とのこと。 #戎光祥ヒストリカルセミナー

2019-12-14 18:41:15

※「最後の座談会」とは何かは、あとで紹介します

樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

フリーの編集者・ミリタリーライター(一応研究者)・イラストレーター(ときどき)。申し訳ありませんが鍵アカでフォローされる方は、覗かれているようで気味が悪いのでブロックします。

樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

@Gonza_Orc 騎馬武者あるなし論よりも兵種別編成していたか否かが、歴史的には大切ですし、兵種別編成を諸兵種協同部隊にしていたかどうかが軍事的には大切なんですよね(騎馬武者アリやナシやはそ意味で下らい議論なんですよ)

2019-12-14 18:45:25
Gonza @Gonza_Orc

@saemonhiguchi 兵種別編成については今日のセミナーでも丸島先生が「1560年頃までには武田や北条は諸将が分担して集めた兵を兵種別に再編する、ということはやっていた」と言及されてました。

2019-12-14 18:58:13
Gonza @Gonza_Orc

金子&丸島先生が悩まれていたのが信長が細川藤孝に送った文の「通路も~」以降の解釈。 以下途中から引用。 敵之備雖為節所、十八日押詰鉄炮放候、通路も不可合期候、却而擒候、此節根切眼前候、猶追々吉左右可申送候、謹言、 五月廿日 信長(黒印) 長岡兵部大輔殿 #戎光祥ヒストリカルセミナー

2019-12-14 20:34:16
Gonza @Gonza_Orc

長篠の戦いに「鉄砲三段撃ち」のような解釈が付随してしまった理由に、丸島先生も陸軍参謀本部の「大日本戦史」の影響を挙げられていた。 参謀本部の戦史研究の種本が軍記モノとは思わなかったのか、参謀本部が種本にするぐらいだから信憑性がある、となったのか。 #戎光祥ヒストリカルセミナー

2019-12-14 22:16:31
Gonza @Gonza_Orc

今回の「長篠の戦い」は武田方を丸島先生、織田(徳川)方を金子先生が解説してくれたけど、同じように「賤ヶ岳の戦い」を羽柴と柴田、「川中島の戦い」を武田と上杉みたいに各勢力に詳しい先生にそれぞれの視点から解説して頂くってのは面白いかもなー。 #戎光祥ヒストリカルセミナー

2019-12-14 23:15:43
Gonza @Gonza_Orc

武田騎馬隊が有名になってしまった理由として、もともと武田傘下では上州小幡氏が「馬の扱いが上手い」とされていたのが、主語が大きくなって「武田が」となってしまったらしい。 #戎光祥ヒストリカルセミナー

2019-12-15 09:02:37
石井晃(2022年3月鳥取大学退職) @ishiiakira

鳥取大学教授。工学部機械物理系学科社会物理学研究室。神戸大学計算社会科学センターフェロー。計算社会科学研究会主査。研究分野は社会物理学、計算社会科学。 使用してるのは、MacBookAir, iPad Pro, 自分の頭。

https://t.co/N6pnvIl3Ra

石井晃(2022年3月鳥取大学退職) @ishiiakira

@Gonza_Orc @medieval_oota @saemonhiguchi 兵種別編制はあったと思いますが、合戦の個々の手柄をどう評価したかは気になります。「あの田中率いる槍隊で大手柄を立てた者は、鉄砲隊を指揮していた山田、その方の家中であるそうな」なんて感じで軍監が手柄を査定してたんですかね?

2019-12-15 10:03:22
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

@ishiiakira @Gonza_Orc @medieval_oota 基本的に、武士のみが個人の論功行賞の対象で、さらに武士の組は、現代で言う「一般方向」を指示されるのみでかなり勝手に動いてました。あと飛び道具(弓・鉄炮)は武士の場合、お互いに確認しあってますね。以上が、おおむね文書で証明されるところ。

2019-12-15 10:24:17
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

@Gonza_Orc そういえば、着到定に見る騎馬の割合、後北条のほうが上ですよね。

2019-12-15 10:26:37
太田資正と中世太田領あれこれ(資正研) @medieval_oota

埼玉の戦国武将・太田資正(三楽斎)と岩付太田氏の研究に取り組む“日曜史家”。著作は『玉隠と岩付城築城者の謎』と『太田資正と戦国武州大乱』(共著、第二章担当)。いずれも、まつやま書房から。下野国出身。中世太田領研究会所属。10年ほど岩槻に住んでいました。ameblo.jp/medievaloota/

太田資正と中世太田領あれこれ(資正研) @medieval_oota

@saemonhiguchi @ishiiakira @Gonza_Orc 教えてくださってありがとうございます。 論功行賞は、軍功をあげた武士個人が対象。 この武士という単位が難しいところですが、誰の家臣であるか、兵種別編成後に誰の指揮下に入ったかというが、どう評価されたのは確かに気になるところですね。

2019-12-15 11:10:39
石井晃(2022年3月鳥取大学退職) @ishiiakira

@medieval_oota @saemonhiguchi @Gonza_Orc どなたかの本(歴史研究者の著書)に、兵種別編制は手柄の評価が困難(鉄砲隊指揮者の家中の騎馬武者は全員騎馬隊に、とか)なので、明治以前に兵種別編制はあるわけない、という議論を読んだことがあって。私は勝つために兵種別編制はあったと思いますが、軍功の評価法は気になってるんです。

2019-12-15 11:15:44
太田資正と中世太田領あれこれ(資正研) @medieval_oota

@ishiiakira @saemonhiguchi @Gonza_Orc ご指摘、ごもっともです。 個人的には、兵種別編成後の指揮官の評価が、特に気になります。

2019-12-15 11:19:24
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

@medieval_oota @ishiiakira @Gonza_Orc なので頸を取ることが手柄の証明になるんでしょうね。あと、足軽衆の指揮官(武士)も追撃戦になると勝手に頸を取りに行くみたいです。真田信繁の頸を取ったのが越前松平の鉄砲指揮官なのは、それの証左でしょう。で、それはダメで組の手柄と明確になるのは島原の乱と、ずっと時代が下ります。

2019-12-15 11:24:54
太田資正と中世太田領あれこれ(資正研) @medieval_oota

@saemonhiguchi @ishiiakira @Gonza_Orc なるほど。 指揮することに注力するスタイルでは、手柄にならなかった、ということですね。

2019-12-15 11:28:39
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

@medieval_oota @ishiiakira @Gonza_Orc どうでしょうか? その場の論功にならなくても「足軽を使うのが上手い」とかって人事考課の一環になる気もします。現在と同じように、行賞は難しいし、立場によって価値も違いますからね。何やっているのかわからないヒトでも出世するし、その逆もありますから。

2019-12-15 11:32:47
太田資正と中世太田領あれこれ(資正研) @medieval_oota

@saemonhiguchi @ishiiakira @Gonza_Orc なるほど、現代の人事でも、数字に直結して評価される部分と、そうでない部分がありますよね。 この辺り、数字(首級)評価と、そうでない部分(指揮あるいは後方ロジ)の評価のバランスが、どうなっていたかは興味深いですね!

2019-12-15 11:35:35
石井晃(2022年3月鳥取大学退職) @ishiiakira

@medieval_oota @saemonhiguchi @Gonza_Orc 軍勢が強い武将は、そのあたりの評価が上手いから、家臣が全力で戦うのかもしれませんね。

2019-12-15 11:37:38

ツイートをちょっと遡ります。こういうセミナーでの話題だったそうです