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整備兵氏による『旧軍は第一次世界大戦から戦訓を得なかったのか?』

まとめました。
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名無し整備兵 @seibihei

さて、日露戦争後の日本陸軍は、貧乏なせいでWW1以降の近代戦に立ち遅れ、そのせいもあって精神主義に走ったとされる。大筋は確かにそうだろう

2011-06-05 00:19:19
名無し整備兵 @seibihei

では実際にはどうだったろうか。シュリーフェンへの傾倒は早くから出ているが、その一方でWW1の合理的な戦訓を汲み取っているところも無いわけではない

2011-06-05 00:21:20
名無し整備兵 @seibihei

参謀本部の「欧州戦争叢書」では、教訓の一つとして「政略と戦略の調和」を説き、ドイツによるベルギーの中立侵犯や無制限潜水艦戦を非難している。

2011-06-05 00:30:20
名無し整備兵 @seibihei

「従来、戦略は絶対であって政略はこれに従属するとし、両者の調和を顧慮すること無く、これを金科玉条とした時代は、国際関係の単純であった過去の物である」という同書の記述が忘れ去られたのは、今から見ると不思議である

2011-06-05 00:34:42
名無し整備兵 @seibihei

もっとも、同じ本で「一度開戦するや統帥権の確立は戦争指導の一要訣なりとす」としているから、まあ読む人(軍人)は自分の都合のいい方に解釈しただろう

2011-06-05 00:39:05
なつき @Hikasuke333

欧州戦争叢書は名前の通り何十巻もある代物でしてね・・・ RT @seibihei: 参謀本部の「欧州戦争叢書」では、教訓の一つとして「政略と戦略の調和」を説き、ドイツによるベルギーの中立侵犯や無制限潜水艦戦を非難している。

2011-06-05 00:45:42
なつき @Hikasuke333

世界大戦の戦術的観察ではあるまい。大戦間における英仏露連合作戦かな。

2011-06-05 00:48:22
名無し整備兵 @seibihei

大正15年の「戦闘綱要草案」の説明では、「編成装備が著しく我より優良なる敵に・・・対して勝利を獲得すべき戦法があれば、これを記述すべきであるが、そのような敵に対して普通の手段では合理的に勝利を得べき戦闘原則を考案する事はほとんど不可能」と率直に記述している

2011-06-05 00:48:32
46式TAK@よこちん @type46man

クラウゼの言うところの絶対戦争にもっとも近づいた時代がWW2だと考える私にとって、WW1のときに既に右のような認識が存在していたことは(そして、この認識は正しい)ものすごく刺激的なんだよなぁ@seibihei (前略)、国際関係の単純であった過去の物である」

2011-06-05 00:49:48
万世六兵太 @roppeita_mansei

@Hikasuke333 @seibihei WW1で独逸がやったベルギーの中立侵犯についてはシュリーフェンと大モルトケでは考え方が異なっていたようですね。

2011-06-05 00:50:16
名無し整備兵 @seibihei

@Hikasuke333 具体的なに言うなら特第9号「大局より見たる世界戦史(1918年)」付録「大戦より得たる教訓」ですね

2011-06-05 00:50:28
なつき @Hikasuke333

世界大戦の戦術的観察も結構妥当なこと書いてるが、著者一人の考えであってそれが全体として共有されてないという・・・

2011-06-05 00:50:36
名無し整備兵 @seibihei

大正9年の渡辺錠太郎の帰朝報告では、歩兵戦術面での変化を述べており、これはその後の歩兵操典に反映されている。明治の操典では散兵間隔2歩で中隊長先頭の突撃だったのが、昭和に至ると散兵間隔6歩で歩兵分隊ごとの戦闘群単位での突撃になっている

2011-06-05 00:54:02
なつき @Hikasuke333

@seibihei ありがとうございます。ああ、あれでしたか。

2011-06-05 00:54:54
名無し整備兵 @seibihei

大正期も後半になると、「戦闘の主体は歩兵火なりや砲兵火なりや」の論争が生じている。必ずしも論点がかみ合っているわけではないが、いずれも火力を軽視してはいない

2011-06-05 00:55:45
名無し整備兵 @seibihei

@roppeita_mansei 大モルトケは死んでますから・・・

2011-06-05 00:59:43
名無し整備兵 @seibihei

昭和2年度の参謀演習旅行では、鈴木荘六参謀総長が「WW1の教訓」として新戦術を自ら指導している。曰く「砲兵は遮蔽陣地」「陣地の骨幹は砲兵と重機関銃で、歩兵の火力は200~300mの射程で十分」「突撃正面は狭く、縦長に」「敵方斜面の陣地は敵火に暴露するので避けるべき」

2011-06-05 01:07:00
万世六兵太 @roppeita_mansei

@seibihei 大モルトケは生前にもし仮にフランスと再度戦うことになったらベルギーの中立侵犯をする必要がないと考えていたようですね。なぜ一次大戦でドイツ軍の考えが変わったか…。

2011-06-05 01:09:00
名無し整備兵 @seibihei

この合理的な戦術観が何故覆ったのか、それは国力的に「合理的な戦術」が無理になったこともあるだろうし、軍の社会からの孤立からの反動もあったろう。

2011-06-05 01:13:07
なつき @Hikasuke333

参謀本部編『戦後ニ於ケル 英、米、独、仏四国ノ歩兵戦闘の概要』(大正11年)は、歩兵戦術の趨勢中、各国軍を通じて一貫している点は大体次の3点に帰するとしている。

2011-06-05 01:16:16
なつき @Hikasuke333

1.戦闘直接の指揮は漸次下級単位に移ったこと 2.戦闘技術がますます分業的になったこと 3.歩砲兵の協同緊密なるを要すること

2011-06-05 01:16:27
名無し整備兵 @seibihei

@roppeita_mansei シュリーフェンの個人的な要素が強かったようです。大モルトケは当初予防攻撃を含めた二正面作戦を考えていましたが、フランスの復興が進むと「二正面作戦は何としても避けたい」に変わりました

2011-06-05 01:24:52
なつき @Hikasuke333

東欧諸国はバルカン戦争で機関銃の猛威を知っていたはず。

2011-06-05 01:37:19
島の人Part2 @simasyodes

永田鉄山なんかはWWIから「国家総力戦」を見通した動きをしてますわな RT @ginnanso: .@br117 さんの「整備兵氏による『旧軍は第一次世界大戦から戦訓を得なかったのか?』」をお気に入りにしました。 http://togetter.com/li/144806

2011-06-05 23:34:53
島の人Part2 @simasyodes

あっそういえば永田鉄山も渡辺錠太郎も殺されたんだったな、少なくとも旧軍はWWIから学んだが実践できなかった(一部は拒絶反応も)が結論になるんかな? RT @ginnanso: .@br117 http://togetter.com/li/144806

2011-06-05 23:47:31

コメント

対馬守 @enanji 2016年9月29日
いやぁ、懐かしい話題。実際のところはまとめのように大正から昭和初期まで、教訓を生かした訓練はしていたのは事実。  でも、開戦すると第二次上海事変あたりで平時に上記の訓練をしていた常備兵力が消耗し、反対に徴兵で兵数が数十倍に膨張するなかで兵の質は落ちていった感じ。
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