『涼宮ハルヒの消失』、これは「長門有希」と呼ばれるヒューマノイドインターフェイスが「自我」を確立する物語であり、同時に「キョン」と呼ばれる人間の男の子が「自我」を確立する物語である。
- susan0smith1985
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涼宮ハルヒの消失 観終わり。9年8ヶ月ぶり3回目。@EJアニメシアター新宿。この可能性世界の共犯者であることを、私はもう、否定できない。いくつもの「別の可能性」を切り捨てて、この世界を選び取った責任が私にもある。なんの疑問を持つこともなく受け身のままでい続けたら無垢でいられたのに、 pic.twitter.com/9ioqUewhBa
2019-12-29 16:18:12いつしか、自らの「望み」によって「選択」することを覚えてしまう。それが「自我が芽生える」ということなのだろう。この世界が業の奔流であることを知り、そしてまた自らの「望み」が業の奔流の一部であることを知る。自らの「望み」が他の誰かを害することがあり、そして他の誰かの「望み」が自分の
2019-12-29 16:18:13害になることがある。徹頭徹尾受け身でいれば永遠に「被害者」でいることができたのに、「望み」を抱くことでときに自分が「加害者」となることを知る。「望み」を抱き、能動的に「選択」することを覚え、「被害者」にも「加害者」にもなりうる「自己」を確立する。そして自らの「望み」を護るためには
2019-12-29 16:18:13業の奔流と、世界に数多に存在する理不尽と闘うことが必要であると知る。自らが業の一部であることを積極的に肯定し、そして自らの「望み」を護るために闘うことを覚悟する。
2019-12-29 16:18:13『涼宮ハルヒの消失』、これは「長門有希」と呼ばれるヒューマノイドインターフェイスが「自我」を確立する物語であり、同時に「キョン」と呼ばれる人間の男の子が「自我」を確立する物語である。
2019-12-29 16:18:14京アニ作品の『涼宮ハルヒの消失』、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』、そして、片渕須直監督作品の『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』、加えて新海誠監督作品『天気の子』が自分の中で完全に繋がった。自らの「望み」という業を護るために世界に害なす存在としての自己を肯定していくこと。
2019-12-29 16:18:14人間に「自由意志」がほんとに存在するかどうかはわからない。世界はあるがままに流れる。その流れに「自由意志」が介在しうる、人の「意志」が世界の流れを変えうる、というのは錯覚にすぎないのかもしれない。それでも、こんなふうに、"自らの「望み」を護るために世界に害なすことも辞さない覚悟"を
2019-12-29 16:18:15幸か不幸か「自我」と呼ばれうるものを獲得してしまった者は、もはや「無垢」でなどいられるはずもなく、罪も罰も穢れも業も痛みもその身に宿して生きていくか、あるいはそれを能動的に手離していくか「選択」し、何しろ「当事者」として生きていくより他ない。
2019-12-29 17:35:45関連まとめ