「自分の専門分野を超えて広い視野で議論をできる人がいない」 「専門家に任せておけば大丈夫、という時代は終わった」(情報学者・西垣通さん)

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八百屋長兵衛🍡OSAKA @rook0081

> 「ネットの意見をそのまま書くのではなく、それをもとに自分の意見をまとめてください」 東京新聞:ネットと言葉(5)「専門知」から「集合知」へ 情報学者・西垣通さん:文化(TOKYO Web) tokyo-np.co.jp/article/cultur…

2019-12-24 18:47:25
八百屋長兵衛🍡OSAKA @rook0081

>  「専門家という存在は高学歴社会になると、針先のように専門が分化していく。ある特定のことは深く知っているが、全体のことを考えなくなる。自分たちが社会をどうつくっていけばいいのか、という大きな問題が、専門家には分からなくなった。→

2019-12-24 18:48:56
八百屋長兵衛🍡OSAKA @rook0081

> 自分の専門分野を超えて広い視野で議論をできる人がいないように思います」 一般の人が「専門家に任せておけば大丈夫だ」と高をくくっていればいい時代は終わった。では、どうすればいいのか。そこで西垣さんが希望を見いだしたのが、ネット上で人々の知識や知恵を集める「ネット集合知」だった。

2019-12-24 18:49:39
東京新聞:ネットと言葉(5)「専門知」から「集合知」へ 情報学者・西垣通さん

「アムネスティ・インターナショナルが死刑廃止に関するデータをまとめています。英語のページも検索してみてください」  東京・国分寺の東京経済大コミュニケーション学部。西垣通教授(67)のゼミで昨年末、二年生十五人が「死刑制度の廃止」をテーマに「賛成」「反対」の論拠をまとめていた。賛否に分かれてグループで討論するためだ。


夏目漱石 「道楽と職業」 |青空文庫

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/757_14957.html

――明治四十四年八月明石において述――

(抜粋)

開化の潮流が進めば進むほど、また職業の性質が分れれば分れるほど、我々は片輪(かたわ)な人間になってしまうという妙な現象が起るのであります。

言い換えると自分の商売がしだいに専門的に傾いてくる上に、生存競争のために、人一倍の仕事で済んだものが二倍三倍乃至四倍とだんだん速力を早めておいつかなければならないから、その方だけに時間と根気を費しがちであると同時に、お隣りの事や一軒おいたお隣りの事が皆目分らなくなってしまうのであります

こういうように人間が千筋も万筋もある職業線の上のただ一線しか往来しないで済むようになり、また他の線へ移る余裕がなくなるのはつまり吾人の社会的知識が狭く細く切りつめられるので、あたかも自ら好んで不具になると同じ結果だから、大きく云えば現代の文明は完全な人間を日に日に片輪者に打崩しつつ進むのだと評しても差支ないのであります。

極(ごく)の野蛮時代で人のお世話には全くならず、自分で身に纏(まと)うものを捜し出し、自分で井戸を掘って水を飲み、また自分で木の実か何かを拾って食って、不自由なく、不足なく、不足があるにしても苦しい顔もせずに我慢をしていれば、それこそ万事人に待つところなき点において、また生活上の知識をいっさい自分に備えたる点において完全な人間と云わなければなりますまい。

ところが今の社会では人のお世話にならないで、一人前に暮らしているものはどこをどう尋ねたって一人もない。この意味からして皆不完全なものばかりである。

のみならず自分の専門は、日に月に、年には無論のこと、ただ狭く細くなって行きさえすればそれですむのである。ちょうど針で掘抜井戸を作るとでも形容してしかるべき有様になって行くばかりです。

何商売を例に取っても説明はできますが、この状態を最もよく証明しているものは専門学者などだろうと思います。昔の学者はすべての知識を自分一人で背負って立ったように見えますが、今の学者は自分の研究以外には何も知らない私が前申した意味の不具が揃っているのであります。

私のような者でも世間ではたまに学者扱にしてくれますが、そうするとやっぱり不具の一人であります。なるほど私などは不具に違ない、どうもすくなくとも普通のことを知らない。

区役所へ出す転居届の書き方も分らなければ、地面を売るにはどんな手続をしていいかさえ分らない。綿は綿の木のどんな所をどうして拵えるかも解し得ない。
玉子豆腐はどうしてできるかこれまた不明である。食うことは知っているが拵える事は全く知らない。その他味淋にしろ、醤油にしろ、なんにしろかにしろすべて知らないことだらけである。知識の上において非常な不具と云わなければなりますまい。

けれどもすべてを知らない代りに一カ所か二カ所人より知っていることがある。そうして生活の時間をただその方面にばかり使ったものだから、完全な人間をますます遠ざかって、実に突飛なものになり終せてしまいました。

私ばかりではない、かの博士とか何とか云うものも同様であります。あなた方は博士と云うと諸事万端人間いっさい天地宇宙の事を皆知っているように思うかも知れないが全くその反対で、実は不具の不具の最も不具な発達を遂げたものが博士になるのです。それだから私は博士を断りました。

しかしあなた方は――手を叩いたって駄目です。現に博士という名にごまかされているのだから駄目です。例えば明石なら明石に医学博士が開業する、片方に医学士があるとする。そうすると医学博士の方へ行くでしょう。いくら手を叩いたって仕方がない、ごまかされるのです。

内情を御話すれば博士の研究の多くは針の先きで井戸を掘るような仕事をするのです。深いことは深い。掘抜きだから深いことは深いが、いかんせん面積が非常に狭い。それを世間ではすべての方面に深い研究を積んだもの、全体の知識が万遍なく行き渡っていると誤解して信用をおきすぎるのです。

現に博士論文と云うのを見ると存外細かな題目を捕えて、自分以外には興味もなければ知識もないような事項を穿鑿しているのが大分あるらしく思われます。ところが世間に向ってはただ医学博士、文学博士、法学博士として通っているからあたかも総ての知識をもっているかのように解釈される。
あれは文部省が悪いのかも知れない。虎列剌病博士とか腸窒扶斯博士とか赤痢博士とかもっと判然と領分を明らかにした方が善くはないかと思う。肺病患者が赤痢の論文を出して博士になった医者の所へ行ったって差支はないが、その人に博士たる名誉を与えたのは肺病とは没交渉の赤痢であって見れば、単に博士の名で肺病を担ぎ込んでは勘違になるかも知れない。

博士の事はそのくらいにしてただ以上をかい撮んで云うと、吾人は開化の潮流に押し流されて日に日に不具になりつつあるということだけは確かでしょう。それをほかの言葉でいうと自分一人ではとても生きていられない人間になりつつあるのである。

自分の専門にしていることにかけては、不具的に非常に深いかも知れぬが、その代り一般的の事物については、大変に知識が欠乏した妙な変人ばかりできつつあるという意味です。

 私は職業上己のためとか人のためとか云う言葉から出立してその先へ進むはずのところをツイわき道へそれて職業上の片輪という事を御話しし出したから、ついでにその片輪の所置について一言申上げて、また己のため人のための本論に立ち帰りたい。順序の乱れるのは口に駆られる講演の常として御許しを願います。

 そこで世の中では――ことに昔の道徳観や昔堅気の親の意見やまたは一般世間の信用などから云いますと、あの人は家業に精を出す、感心だと云って賞めそやします。いわゆる家業に精を出す感心な人というのは取も直さず真黒になって働いている一般的の知識の欠乏した人間に過ぎないのだから面白い。露骨に云えば自ら進んで不具になるような人間を世の中では賞めているのです。

それはとにかくとして現今のように各自の職業が細く深くなって知識や興味の面積が日に日に狭められて行くならば、吾人は表面上社会的共同生活を営んでいるとは申しながら、その実銘々孤立して山の中に立て籠っていると一般で、隣り合せに居を卜していながら心は天涯にかけ離れて暮しているとでも評するよりほかに仕方がない有様に陥って来ます。

これでは相互を了解する知識も同情も起りようがなく、せっかくかたまって生きていても内部の生活はむしろバラバラで何の連鎖もない。ちょうど乾涸びた糒のようなもので一粒一粒に孤立しているのだから根ッから面白くないでしょう。

人間の職業が専門的になってまた各々自分の専門に頭を突込んで少しでも外面を見渡す余裕がなくなると当面の事以外は何も分らなくなる。また分らせようという興味も出て来にくい

それで差支ないと云えばそれまでであるが、現に家業にはいくら精通してもまたいくら勉強してもそればかりじゃどこか不足な訴が内部から萌して来て何となく充分に人間的な心持が味えないのだからやむをえない。したがってこの孤立支離の弊を何とかして矯めなければならなくなる。

(以下略)

東京新聞・連載「ネットと言葉」

八百屋長兵衛🍡OSAKA @rook0081

> <ごあいさつ 当館は、読書のためだけに過ごす場所です><スマートフォンの電源を落とし、心静かに本の世界に潜り込んでみませんか> 東京新聞:ネットと言葉(1)脱スマホ「夜の読書館」 詩人・菅原敏さん:文化(TOKYO Web) tokyo-np.co.jp/article/cultur…

2019-12-24 18:53:51
東京新聞:ネットと言葉(1)脱スマホ「夜の読書館」 詩人・菅原敏さん

 ウィンドウズ95が登場し、「インターネット元年」と言われた一九九五年から二十年余。ネットの世界には今、言葉があふれている。それは時に誰かを傷つけたり、物事を単純化しすぎたり、自分の正義を声高に叫んだりするものになりがちだ。押し寄せる言葉の海の中で、私たちは自分の言葉を見失ってはいないだろうか。ネットの言葉と、どうつきあっていけばいいのだろうか。表現者や研究者を訪ねた。

八百屋長兵衛🍡OSAKA @rook0081

> <ネットの匿名掲示板等を作家は見ない方がいい><中には有益な意見もあるが、それを見付ける為(ため)に、悪意の深淵(しんえん)を覗(のぞ)き込む事はない> 東京新聞:ネットと言葉(2)温かみあるか見極める 漫画原作者・小池一夫さん:文化(TOKYO Web) tokyo-np.co.jp/article/cultur…

2019-12-24 18:54:25
リンク 東京新聞 TOKYO Web ネットと言葉(2)温かみあるか見極める 漫画原作者・小池一夫さん <ネットの匿名掲示板等を作家は見ない方がいい><中には有益な意見もあるが、それを見付ける為(ため)に、悪意の深淵(しんえん)を覗(のぞ)き込む事はない>。
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> ネットの世界では偏見に基づく言葉が大量に発信され、瞬く間に広がって人々の考え方や行動に影響を及ぼす > それを単なる感覚ではなく、数字で実証した 東京新聞:ネットと言葉(3)えたい知れぬ「空気」立証 社会心理学者・高史明さん:文化(TOKYO Web) tokyo-np.co.jp/article/cultur…

2019-12-24 18:55:28
リンク 東京新聞 TOKYO Web ネットと言葉(3)えたい知れぬ「空気」立証 社会心理学者・高史明さん ネットの世界では偏見に基づく言葉が大量に発信され、瞬く間に広がって人々の考え方や行動に影響を及ぼす。そう感じている人は多いだろう。
八百屋長兵衛🍡OSAKA @rook0081

> 浴びせられた言い掛かりの数々を、そのまま転載した > その数は二日で約四十件。「レイシズム可視化プロジェクト」と名付けたツイッター上の実験だった。 東京新聞:ネットと言葉(4)可視化で消える中傷 映画作家・想田和弘さん:文化(TOKYO Web) tokyo-np.co.jp/article/cultur…

2019-12-24 18:57:43
リンク 東京新聞 TOKYO Web ネットと言葉(4)可視化で消える中傷 映画作家・想田和弘さん 「何この人?日本人じゃないんだね」「この人朝鮮半島系でビンゴだと思う。容姿に特徴が出てる」…。 昨年十月、映画作家の想田和弘さんのツイッターに、こんな中傷の…