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面白主義と鬼畜系の功罪と終焉

まとめました。
1980年代 月刊漫画ガロ 面白主義 鬼畜系 悪趣味 ニュー・ウェーブ
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〄虫塚"KERA"虫蔵〠 @pareorogas
『ガロ』1976年1月号「面白主義」宣言。80年代に台頭した「面白主義」はここから始まった。 pic.twitter.com/2yirZvG76H
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〄虫塚"KERA"虫蔵〠 @pareorogas
面白主義の流れで登場した糸井重里原作・湯村輝彦作画の『ペンギンごはん』は「ヘタウマ」の嚆矢。『ガロ』発の「ヘタウマ」は80年代的アマチュアリズム(プロっぽさからの脱却)の象徴となった。蛭子能収のいう「素人の時代」の到来である。 pic.twitter.com/Uk8lbfCv0h
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TKD @dj_tkd
今から思えば「面白主義」がガロから発せられたというのも意味深い。
パンス @panparth
「面白主義」の嚆矢は南伸坊とか嵐山光三郎とか70年代ガロ編集部に見出せるわけですが、いずれも全共闘時代にに若干落ちこぼれてたルサンチマンから発生してるんじゃないかとか、そういう話を前にしました
浅羽通明 memo @asaba_memo
(※糸井重里は)「”いわゆる思想”」からの自由を訴えて「面白主義」を打ち出した80年安保のイデオローグだった。 これを、糸井の意図を超えてであれ、”いわゆる思想”=左翼、「面白主義」=高度消費社会肯定と敷衍すれば、すなわち「新保守主義」そのものとなることは明かだろう。
コメカ @comecaML
秋元康には実は「統治」への欲望は無くて、70年代的なセンチメンタリズム&80年代的な面白主義を、今でも延長し続けてる人なんじゃないかと思ってて。そういうイズムを官僚的に遂行する処理能力があるっていう、謎の人材なんだよな。だからこそタチが悪いんだよ。倫理的判断というものを重視しないし。
後藤寿庵 @juangotoh
僕は80年代ニューウェーブの後半の、サブカル系のヘタウマとなんかおもろいことやればOKな空気の中でデビューしたので。
自然誌古典文庫B室 @dokurohigh
@kan_ei_sen ガロ系=COM系ぢゃないやつ COM系=ガロ系ぢゃないやつ ニューウェーブ=80年代初頭の音楽を括るのに使用された「新しい風潮」の作品をマンガでも使用された?らしい。ちなみに使用が推測される村上知彦の「黄昏通信」(1979年2月ブロンズ社刊)や同社のコミックスや「漫金超」でも一切使用されていない
LOLWUT!? @LOL_W_U_T
80sニューウェーブマンガの何がニューウェーブだったのか、改めて考えたんだけど、アヴァンギャルドさや不条理はオマケみたいなもんで、「上手なマンガ」「濃密なマンガ」へのオルタナティヴだったんかな。と思った。「ヘタウマ」ってそういうことじゃないかと。
佐々木 宏人 @hiroto_sasaki
ニューウェーブがヘタウマ的な言われ方してたのは、プログレとかクロスオーバー、フュージョンブームで超絶技巧がもてはやされた直後で、演奏技術のレベルが高過ぎておかしかった時期だったからだと思うの。
河田拓也(For Everyman) @hitokirigoro
『タモリ伝』初期のタモリとその周辺には、カウンターカルチャー、サブカルチャー→面白主義に連なる、アマチュアリズムの自由さが横溢。読んでいて楽しい。年と共に積極性を引っ込めて、意固地にもならず、空気のように軽くいられるって本当に凄いことだけど、どうしても自分は率先して讃えたくない。
Yukiyo Matsushita @Yukiyobrightcod
面白主義が90年代には面白くなかったというのを、誰かガロとの関連で書誌学的にきっちり論じた方が良いのではないかしら。そして、ヘタウマやサブカルがシノギで何をしないとクリエイターとしてもたないか、というところに、とても邪悪かつアクチュアルで、本当にポストモダン以降がそれで良いのか?
Yukiyo Matsushita @Yukiyobrightcod
70sの宝島というか植草甚一が著作で紹介してるようなサイケデリアについての契機なんか、あんまり実感持って受け止めた団塊なんか居ないのではと思う(ウッドストックの話とかレタスやナツメグでドラッグの代用になるみたいな結構他愛ない話もそうだが)。そして面白主義みたいなのにサイケデリア
Yukiyo Matsushita @Yukiyobrightcod
自分が書いたことも何故か含まれてるので余計なのだが、この90年代に終わるはずだった70年代からの特に面白くなさ(と、バンドブーム中年)が、何故か2000年からこっちに持ち越されて他人の権利侵害しながら厚い層を成してるということをきっちり批判しないと、ザハ・ハディドが受容されなかったことも
Yukiyo Matsushita @Yukiyobrightcod
無いし、そのまま流れで90年代になってオウムもそうだったのだと思うが、イタい主張と政治が合流する面白さと、なんかオウムとかもブツとしてのLSDや精神変容はあったのだろうがサイケデリアと呼べるものは多分無かった(自分はその頃にドゥルーズを読み始めたので生々しく覚えてるのだが、中沢新一の
Yukiyo Matsushita @Yukiyobrightcod
ような人が日本でドゥルーズがいまいち読まれないのは、結局サイケデリック系のドラッグがピンと来ないカルチャーだからだと言っており、結局現在に至るまでカウンターとかオルティネートというのは精神や感覚がどう変容するかではなく、いかに政治的にイタくて人目を引く「面白い」主張をするかなので
Yukiyo Matsushita @Yukiyobrightcod
ある。N国とかも多分そう)。
Yukiyo Matsushita @Yukiyobrightcod
然し若年層の人がブロムのようなものにハマってるのが社会問題だというのも含めて、なんか25年くらい何の進歩もなくそんな感じなのか。。と愕然とした。
柳樂光隆 《Jazz The New Chapter》 @Elis_ragiNa
いろんなものの起点に80年代ごろにあった何かがあるってのはいろんなジャンル/カテゴリーである気がしてて、その「面白がる」みたいなことをもう一度考えたほうがいいんだろうなってのは割と広く共有されてるだろうから、これからきっちり総括されていくんだろうけどね。
柳樂光隆 《Jazz The New Chapter》 @Elis_ragiNa
80年代末〜90年代の悪趣味系含めたサブカルのあれこれについて今、語るのは明らかに必要で。ただ、今は「振り返って断罪する」というよりは、あそこから何が生まれたのか、何の起点だったかを考えるために必要だと思うんだよな。あの時代、なぜ多くの人があれをエンタメとして楽しんで消費できたのか。
柳樂光隆 《Jazz The New Chapter》 @Elis_ragiNa
その悪趣味系みたいなところとかを楽しんでたメディアに並んで取り上げられていた音楽とか、その辺の読者層に好まれてた音楽が何かとか考えると話が難しくなりそうですねって感じがあるよね
柳樂光隆 《Jazz The New Chapter》 @Elis_ragiNa
その難しさというのは、当時は自由を標榜してて進歩的であると自負していた人たちの場所にそういう悪趣味系的なものがあり、リアルタイムでその場にいた人たちがイマイチ今の時代のコードに乗り換えきれないところというか。みたいなことを音楽を軸に考えると感じたりする。
一本道ノボル @ipponmichi_tw
さんざん90年代が再評価されて軒並みトレンドになっているけど、いまいち誰も取り上げてないものが、当時のサブカルで隆盛を極めた「バッドテイスト(悪趣味)」だよね。個人的にはこれを台湾観光に応用すると面白いと思っていて、一人で実践しているというわけ。佐藤さんの「奇界遺産」は少し近いか。
シブヤメグミ @megg637
1990年代サブカルチャーの中にいて、政見放送やカルト宗教を面白がっていた自分に、いまの自分は計り知れない嫌悪感を覚えている。あの頃の自分に言いたい。そのツケ、きっちり回ってくるよって。 pic.twitter.com/kfxUW9nsHC
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