パルルの歴史

名古屋市中区新栄にある「パルル」の歴史です。全三部作のうちの第一部です。 #korepar #3rdP
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白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルルの歴史(1) 「パルル」とは、名古屋市中区新栄にあるコミュニティ・スペースです。 地下鉄東山線「新栄町駅」から徒歩10分。ビジネスビルが立ちならぶ広小路通りから路地に入り、オレンジ色の光がやわらかく漏れるこじんまりとしたスペース、そこがパルルです。 #korepar

2011-06-06 19:37:25
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルルの歴史(2) 窓がないので、室内の明かりは全て電球です。時計がないので、思わず時間を忘れてしまいます。木のテーブル、椅子やソファー。ミキサーやスピーカー、ピアノなどの音楽機材が置かれ、本棚にはギッシリのCD、本。パルルはまるでアングラな秘密基地のようです。 #korepar

2011-06-06 19:38:44
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルルの歴史(3) 「パルル」は、もとは「新栄画廊」として1980年にスタートした場所でした。 美術品の展示が主ではありましたが、パフォーマンスをやったり、音楽をやったり、映像をやったり、当時からちょっと珍しいことをやっていたところでした。 #korepar

2011-06-06 19:39:27
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルルの歴史(4) 「新栄画廊」は、1990年に「カノーヴァン」という名前に変わります。きっかけは、ここのオーナーの新見永治さん(@shimmieiji)が、同年にイギリスなどヨーロッパを訪れ、「アート」と「社会」のつながりを目の当たりにしたことでした。 #korepar

2011-06-06 19:39:54
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルルの歴史(5) 新見さんが特に関心を持ったのは、イギリスで、面白いアートに取り組んでいる場所は、お茶を飲んだりできるスペースも一緒に併設されているということでした。つまり、色々な人が集まる仕組みが、ひとつの「場所」に出来ていたことに新見さんは衝撃を受けます。 #korepar

2011-06-06 19:40:20
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルルの歴史(6) 新見さんは、日本に帰ると早速それを実践しました。つまり、新栄画廊が「社会的な動き」と「アート」が合流する場所になるために、そこを、お茶が飲める場所として再発進させたのです。これが「カノーヴァン」が生まれた経緯です。 #korepar

2011-06-06 19:41:01
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルルの歴史(7) ところで「カノーヴァン」とはウェールズ語で「中心」という意味です。英語でいえば「center」と同意です。ウェールズとは、イギリスを構成する国の一つですが、そこは日本にとって馴染みの薄い土地かもしれません。では、なぜウェールズなのでしょうか? #korepar

2011-06-06 19:41:28
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルルの歴史(8) 新見さんはこう語ります。 「中心(center)」は世界に一つだけしかないというわけではなく、私たちが知らないような場所にも存在しているのだ。だから、「中心はいろいろな場所に点在している」という思いを表現したくて、この名前をつけたのだ、と。 #korepar

2011-06-06 19:41:53
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルルの歴史(9) 「カノーヴァン」はいわゆる「カフェ」として、お茶を出し、様々なイベントを行っていました。そんなこともあって、当時のここは「カフェ・カノーヴァン」と呼ばれることもあります。スタッフも、常に一人二人は居るような運営体制になりました。 #korepar

2011-06-06 19:43:09
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルルの歴史(10) 数年経つと、「カノーヴァン」の周りにカフェがますます増えていきました。本格的な食事を出す所も珍しくなくなりました。そこで、飲食事業が中途半端だと感じた新見さんは、それを強化して、ここを再々度スタートする事に決めました。「パルル」の誕生です。 #korepar

2011-06-06 19:43:39
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルル(11) 「パルル」は2006年にスタートしました。飲食事業の強化のため、改修工事で厨房を設置しました。飲食専門のスタッフも、多い時には4、5人が入りました。ランチ時に客席が足りない時は、隣にある化粧品店跡の場所も活用して、営業に力を入れました。 #korepar

2011-06-09 15:32:21
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルル(12) 「パルル」の意味は、ウェールズ語で「おもてなしの場所」です。文字通り、飲食やイベントで、訪れる人を「おいしく」「楽しく」もてなしていました。しかし、一見うまくいっているように思えた「パルル」でしたが、その活動規模は徐々に縮小していきました。 #korepar

2011-06-06 19:44:42
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルル(13) その原因を、新見さんは2つ挙げます。 1つ目は「スタッフの多忙化」です。「パルル」のスタッフさんは皆、他のお店でもお手伝いをしている人達でした。そちらの方が忙しくなり、「パルル」は休みの日が増えていったり、開店時間が短くなっていきました。 #korepar

2011-06-06 19:45:18
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルル(14) 2つ目は飲食とイベントが中途半端になった」ということです。古くから続いているイベントの流れは、もちろん「パルル」でも健在でした。しかし、それらのイベントは大抵夜に行われるのです。すると、どうしても飲食とイベントが両立し難い日が多くなりました。 #korepar

2011-06-06 19:45:49
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルル(15) そういうわけで、「パルル」は飲食事業を2010年2月いっぱいで終了しました。しかし、この場所はこれで終了することはなく、むしろその後は、いわゆる「フリースペース」のような形で、どんどん多目的に使われるようになっていっています。 #korepar

2011-06-09 15:32:47
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルル(16) 音楽・美術・映像などのアート関係のイベントはもちろん今でも多いですが、その他にも講演会、会議や勉強会、個人カフェ、ノマドワーカーの場所として使われたり実に多様です。東日本大震災の際は、救援物資や義援金を募るセンターとして機能もしました。 #korepar

2011-06-06 19:47:04
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルル(17) さて、最後にパルル隣の化粧品店跡の話をしましょう。 ここは、2010年2月から、「hinten」というアート・ギャラリ-に姿を変え、現在に至っています。2階がギャラリーとして活用され、若いアーティストのための発表・情報交流の場になっています。 #korepar

2011-06-06 19:47:34
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルル(18) 「hinten」と「パルル」を含めた総合的な呼び名が、「よろずアートセンターはち」です。「はち」は「アートの『なんでも』を扱う総合センター」ですが、hintenとパル ルはそれぞれ独自の活動をしているのが現在の段階です。 #korepar

2011-06-06 19:49:14
白川陽一(名古屋市青少年交流プラザ) @shirasan41

パルル(19) 「パルル」という場所は、30余年の歴史と共に進化・深化してきた場所です。そして、ここにきて「パルル」はまた変革の時期を迎えました。答えなき大海に泳ぎ始め、壮大な「社会的実験」を試みることになったのです。詳しくは「これパル」編で。(執筆:白川陽一) #korepar

2011-06-06 19:49:45