「ア・ゴースト・ストーリー」レビュー『焦点はどこにあるのか?』

ア・ゴースト・ストーリーのレビュー。ネタバレあり
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou
「ア・ゴースト・ストーリー」観賞。 うーむ。あまりレビューが必要な作品とは思わないけど一応記録のため。 一言で言えば「ゴースト/ニューヨークの幻」をタルコフスキーが撮った、そんな映画。 以下ネタバレ。 pic.twitter.com/zypFp4ce6f
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou
所謂ワンアイデアもの。監督が幼い頃ハロウィンの時にこの格好して無言で突っ立ってたら周囲の友達にガン無視された経験から着想を得てるんだと思う。 主な登場人物はケイシー・アフレックとルーニー・マーラの夫婦2人で、ケイシーのほうは映画が始まってすぐ死んでしまう。 pic.twitter.com/Da92pOUmjt
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou
で、自分の死後ただひたすら過ぎていく世界を小学生のいたずらレベルの幽霊の恰好でずっと彷徨う、というだけの話。 最初は生きた人間とただ突っ立ってるだけのゴーストの同居が面白いけど、正直途中で飽きる。 pic.twitter.com/FNV6tYojR0
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou
マイナスの発想で出来てる作品は好みなんだけど、この作品は引き算が下手な気がした。焦点が絞り切れてない。 例えば奥さんの悲しみを超長回しの「パイをガツガツ食って吐くシーン」で表現してるシーン。別に長回しの必要がないし、特に深みのあるサブテキストも感じない。 pic.twitter.com/KLdTX2wiT2
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou
「台所に座り込んで土産のパイをガツガツ食う」そりゃあ、悲しさを表現してるよね。と当たり前の解釈をするしかない。 中盤のパーティで男が宇宙観を語っちゃうシーンもなんだかな。それわざわざ長々と演説させちゃうんだって感じで。 pic.twitter.com/A73oJeCMRF
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou
唯一面白かったのは、奥さんが引っ越して幽霊が家に取り残されたまま別の家族が越してきちゃうシーン。 幽霊がポツンと立ってるのに急にホームビデオみたいな演出になって「あ~取り残されちゃった」って感慨がよく伝わってきた。 pic.twitter.com/Pq7PHo3hOw
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou
その後住人が入れ替わって住居も壊されて超高層ビルが建って~というところで「んん?」となった。やりたいことはわかるけどそこまで丁寧に描いてきたのが急に雑な飛躍になったなぁと(段々時間が飛んでくのはわかるが) そっから時間軸が家が出来る前の遥か過去に遡るってのもいまいちピンとこない展開
齋藤 雄志 @Yuusisaitou
んで時間軸が一周してきてゴーストの前に主人公夫婦が越してくる。映画の序盤に起こってたポルターガイストはこいつの仕業だったとわかる。 「・・・で?」という感じ。 pic.twitter.com/QYBEQt4VCL
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主人公の幽霊をこの世に繋ぎとめてる「奥さんが遺した手紙」はマクガフィン。結局最後まで内容はわからないまま。 正直ここが一番のガッカリポイント。そこに何か人間性を込めないなら半端に描いてきた家族観に意味が発生しないと思う。どこの誰でもいいじゃんかと。 pic.twitter.com/f2GumbEj0Q
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数ある「幽霊もの」の一つとしては斬新なアプローチで面白い。そういう観点では見て損はない。でも作品としては納得感が薄かった。 pic.twitter.com/0lFgQTiGTy
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タルコフスキーでいう「水」とか、そういう象徴性が足らないような気がした。ここまで観客を突き放した描き方をするならもう少し映す事物に何か象徴性を帯びさせて間接的に語るという見せ方をしてもよかったと思うが。 というかコレ主体となる幽霊は出ずっぱりだし抱いてる感情もわりとわかりやすい。
齋藤 雄志 @Yuusisaitou
観客を突き放してるのか、客観的に描いてるのかが半端。それでいて幽霊の最大の関心事の「奥さんの手紙の内容」はわからないまま終わるって・・・うーん、フェアじゃないと思う。 バランス取りが個人的に納得出来なかった。 pic.twitter.com/e64cBVICZY
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou
(ア・ゴースト・ストーリー追記) 物語論では「視点」と「語り手」という概念がある。 その物語世界に誰が登場し、誰の視点で、誰が語るのか、といったことである。 誰かの内面に則して描かれる場合は「焦点化する」と言われる。
齋藤 雄志 @Yuusisaitou
本作は一見客観的に描いてる風だが、別に画面の中に幽霊が居なくても物語的には大して変わらない。仲睦まじい夫婦が悲劇によって離別したというセットアップである以上「喪失の物語」であることにかわりはないわけである。 pic.twitter.com/Pu00WGhr1v
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou
通常なら「カメラ→被写体の生者」だけで成立するところの間にわざわざ幽霊を置いて「カメラ→生者を見つめる幽霊→被写体の生者」にしている。 おまけにこの幽霊には怒り、悲しみ、嫉妬という感情が伺える。れっきとした「焦点化」がなされているわけである。 pic.twitter.com/PyPpRonWAp
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou
つまりこの作品はタイトルにもある通り「幽霊が主人公の物語」なわけである。 主人公であるなら、ちゃんと目的と帰結が設定されるべきだ。物語の主人公は何らかの目的があり、それが成就されるかが問題となってくる。 pic.twitter.com/n7D2BqtAYk
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou
最初から目的なんてないならわかる。しかしこの作品はわざわざ「妻の遺した手紙」という意味深なアイテムを残している。 幽霊に焦点化し確かな目的を設定するなら、最後にそれが何なのかを明かすべきだと思う。これはマクガフィンとして扱っていいアイテムではない。 pic.twitter.com/DvHqh3wmce
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou
マクガフィンというのは「本来の目的があるうえで物語を推し進めるためだけに存在しているギミック」である。 本作の焦点化された主人公である幽霊君には「手紙」以外に関心事がない。ならばそれはマクガフィンとは呼べない。 むしろ「成仏する」ということをマクガフィンとして相対化するべきだと思う
齋藤 雄志 @Yuusisaitou
「成仏すること」に意味を持たせずマクガフィンとして名目上の目的(ゴール)とし、「手紙の内容」を主人公の目的として、観客と共にしっかり内容を見る、本来はこうなんじゃないかと思う。 現状では「引くところが違う」引き算が下手なのである。
齋藤 雄志 @Yuusisaitou
しかも劇中では最後に幽霊が手紙を開いた瞬間に消失する。つまり幽霊自身は「手紙を見て成仏した」と解釈するのが妥当だ。 それを観客に見せるかは監督の匙加減である。内容にはあまり関係がない。内容を開示したところで同様の無常観は表現出来たはずである。 pic.twitter.com/j0qDRe90GU
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou
全ての事象を客観的に描いてございというポーズを取っておいて幽霊の明確な目的も設定して観客の興味をけん引していたくせに、最後は特に理由もなく監督に無理やり没収される違和感。 私はここが観客に対して不誠実な映画だと感じた。 pic.twitter.com/di2JMc7NEq
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou
とりあえず映画のほとんどシーツ被って突っ立ってるだけのケイシー・アフレックのギャラはいかほどだったのだろう。 pic.twitter.com/Mgk1cW8v4V
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