映画『アイリッシュマン』狂猫病による感想&解説その2 「魚」の臭い(ネタバレ有り)
- kyobyobyo2
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『アイリッシュマン』ジミー・ホッファ殺害に関する一連のシーンの中で、車に乗り込んできたジミー本人が「魚」の話題に参加する もう拭いたから大丈夫だというサリーを小馬鹿にしながら、運転席のチャッキーに向かって「魚を積むな。絶対に臭いがとれない」と助言する場面だ
2020-01-28 20:12:47ジミーが言うように釣りをしたことがあれば、あるいは鮮魚を扱ったことがあれば、これは実感できることだろう 魚の臭い、特にその生臭さはたいていが強烈で、布地に染み込むと容易に拭い取ることができない 鼻のいい人間であれば、その死臭めいた臭いをすぐに嗅ぎ分けることができる
2020-01-28 20:18:46「知ってるよ(I know)」と返すチャッキーの言葉をジミーは信じない それは当然だ 知っていれば後部座席に、凍っているとはいえ剥き出しの魚を置いたりはしない 「よく憶えておけ、人生で役に立つ」とジミーは念押しをする
2020-01-28 20:22:39魚の臭いは死臭そのものだ ジミーは決してそれに触れようとはしない ではどうしても触れなければならない場合があったとして、彼はどうするだろうか? 簡単なことだ 常に背後に控えているフランクに囁けばいい ちょっとその魚をどかしてくれないか、と
2020-01-28 20:30:01フランクは嫌な顔ひとつせず、こころよく引き受けるだろう それが彼の仕事であり、友情の示し方でもあるからだ 頼まれて魚をどかすたびに、フランクの手には死臭が染みついていく 洗っても絶対に取れない死の臭いが、フランクの手からは漂っている
2020-01-28 20:34:41フランクには並外れて鼻のいい娘がいる ペギーだ 言葉にこそ出さないが、ペギーは父親の手から漂う死の臭いを嫌悪している 父親と同じく「魚」を扱っているであろう仲間たち、ラッセルおじさんやその周囲にも、あの生臭さが常に渦巻いている どれほど親切にされようが、それだけは受け入れられない
2020-01-28 20:40:15死の臭いは、暴力の臭いだ 夜中にこっそり出かけていく父親は、帰ってくるたびにより強く臭いを発するようになっている 食事中であってもテレビを見ていても、あるいは家族で余暇を過ごしている最中でも、その臭いからペギーは顔を背けているが、ときに思いついたように凝視することもある
2020-01-28 20:47:06ある日父親が連れてきたジミーおじさんからは、そうした臭いが一切しない ペギーは喜び、すぐにジミーに懐くことだろう 臭いのせいで年相応に甘えることができなかったペギーには、満たされない父親への愛情が充満している ジミーは、ファーザーコンプレックスを抱えたペギーの愛情の対象なのだ
2020-01-28 20:56:25仮りそめの父親と娘の構図は、男と女の構図へと変化するものなのだろうか 肉体的には、そうはならないだろう だが精神的には繋がってしまう 記念式典で、ジミーとペギーが踊っているのを見るフランクの表情は、娘が恋人と睦み合っているのを目撃した父親の表情そのものだ
2020-01-28 21:06:25この作品には別の父と娘の構図が長尺でクローズアップされるシーンがある 結婚式における、弁護士ビル・ブファリーノとその娘のスローモーションシーンだ はっきり言ってしまうと、ビルは大した登場人物ではない なぜこのような脇役がここまでクローズアップされるのか訝しく思う観客もいることだろう
2020-01-28 21:12:03これはフランクが手に入れられなかった心象風景そのものだ この光景を、ペギーの父親として体験することはない 自分の「父親」であり精神的な「恋人」であったジミーを奪った、死臭のする男をペギーは決して許しはしないからだ フランクも先んじてそれを理解し、憧憬の眼差しでビル父娘を見つめている
2020-01-28 21:19:52フランクは進んで自らの手を汚していく 寡黙で不器用な彼には、それ以外に親友と娘への愛情の示し方がわからなかったからだ それが両者を同時に失う原因になるとは、神の観る視点からでもなければ知りえなかったことだろう
2020-01-28 21:32:33