2017.2020 高知の歴史旅

2017年と2020年に訪ねた高知県の歴史スポットや歴史上の人物ゆかりの地を訪ねてまとめてみました。
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◇もえ◇日本史と近代史◇歴女と呼ばないで @MoeK20060408

2020年の元日に訪ねた高知市内の歴史に纏わるスポット、そして2017年12月初旬に大政奉還スタンプラリーの際に訪ねたスポットをまとめていなかったので、加筆しながら併せてご紹介していきたいと思います(`・ω・´)キリッ よろしくお願いしますm(__)m #土佐の歴史旅 #幕末 pic.twitter.com/EqEFpFQqsi

2020-01-07 22:22:15
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◇もえ◇日本史と近代史◇歴女と呼ばないで @MoeK20060408

まずは、2017年12月に訪ねたところからご紹介していきますねヾ(・ω・`) 大政奉還スタンプラリーとは、2017年に京都市が大政奉還150周年を記念して開催した企画です。 北は福島県の会津若松市から南は鹿児島県鹿児島市まで幕末所縁の人物や史跡を訪ねてスタンプを集めるというものでした。 pic.twitter.com/T6t7Gc69gU

2020-01-07 22:56:47
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スタンプを全て集めると、京都市に在る二条城の普段は立ち入れない 大広間 一の間・二の間でプロのカメラマンに記念撮影してもらえるという特典があったのです(((o(*゚▽゚*)o))) 写真がその時に集めたスタンプです(`・ω・´)キリッ ※モザイク加工は当時のイベント部署連絡先のため消してます。 pic.twitter.com/Wak95EQL9a

2020-01-07 22:56:48
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この日は三重県名張市から特急に乗り、大阪の難波で乗り換えて新大阪に出て新幹線で一路、岡山方面へ。 名張に居たのも、桑名のスタンプを集めるためです笑 岡山で特急・南風に乗り換え、移動する事約2時間半で高知に辿り着きました。 pic.twitter.com/60kGf9zhdT

2020-01-07 23:25:34
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「龍馬伝」幕末志士社中 (高知県高知市北本町2丁目10-17) 駅に降り立ち、最初に訪ねたのがここ 幕末志士社中。観光案内所と隣接しています。 幕末志士社中は2010年に福山雅治さんが主演した大河ドラマ『龍馬伝』で実際に使われた「龍馬の生家」のセットを見学出来るパビリオンになっています。 pic.twitter.com/MlLAa7HbsL

2020-01-07 23:25:35
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「龍馬伝」セット・父 坂本八平の部屋と台所 故・児玉清さんが坂本八平役を好演されていましたね(´,,・ω・,,`) pic.twitter.com/sS3YwFhEWH

2020-01-08 21:47:31
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この「幕末維新博」の高知県の地図パネルに点在している史跡の一覧を一目見て 「あぁ、何度かに分けて訪ねる必要ありだな|-`).。oO」 と実感。2020年1月にようやく再訪出来ました。レンタカーも必須だけど、私は一人で運転する自信はありません笑 ※現在は「幕末維新博」の地図パネルはありません。 pic.twitter.com/auGxEQbhns

2020-01-08 21:47:33
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土佐三志士像 (高知県高知市北本町2丁目10-17) 高知駅前の観光広場・こうち旅広場には、日本の近代国家への第一歩に大きく尽力した 幕末の志士 武市半平太・坂本龍馬・中岡慎太郎の銅像が堂々と並んでいます。 2011年(平成23年)7月 三志士像は土佐勤王党の結成150年を記念し pic.twitter.com/jQMRj2VJDY

2020-01-08 21:47:34
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「志国高知 龍馬ふるさと博」の企画として、約600万円をかけ制作・設置されました。像は発泡スチロールやウレタン製で、高さが約5m 重さは400kgもありますが、 四国に台風が接近する度に一時的に撤去される事から SNSでは「脱藩した」などと話題になるようです|-`).。oO pic.twitter.com/5cOmhDswM5

2020-01-08 21:47:35
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吉田東洋先生殉難の地 (高知県高知市追手筋2丁目1-12) 吉田東洋は幕末の土佐藩で藩政改革を指導した土佐藩の上士(上級藩士)です。 1816年(文化13年)東洋は土佐藩上士・吉田正晴の四男として生まれますが、異母兄が早世したため 嗣子になりました。 1841年(天保12年)父・正清の死去により pic.twitter.com/LVZx3bldp9

2020-01-09 22:12:07
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家督を相続した東洋は船奉行として土佐藩に出仕し、のちに郡奉行になると13代藩主・山内豊熈の藩政改革に参与します。 病のため、一時的に藩政から離れていましたが 復帰してまもなく豊熈は34歳の若さで亡くなってしまいます。 やがて山内豊信(容堂)が15代藩主になると 東洋は約3年間土佐を離れ、 pic.twitter.com/vgpEpcmMlf

2020-01-09 22:12:08
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遊歴し京都など上方を訪ねました。1853年(嘉永6年)山内容堂から藩の参政職に起用された東洋は「富国強兵論」などを主張した藩政改革を始めます。 ところが藩の保守派の反対を受けたり、1855年(安政3年)には山内家の親戚で旗本・松下嘉兵衛に対して酒宴の席で無礼をはたらき、失脚。 pic.twitter.com/dBlXscV1Xb

2020-01-09 22:12:08
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謹慎処分になった東洋は私塾・少林塾(鶴田塾)を開き、義理の甥 後藤象二郎や板垣退助・岩崎弥太郎ら若手藩士の教育にあたりました。 彼らはのちに「新おこぜ組」と呼ばれる一大勢力となり、幕末期の土佐藩の動向に大きな影響を与える事になります。 pic.twitter.com/LYlwz89tAW

2020-01-09 22:12:09
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1857年(安政4年)に赦免された東洋は藩政に復帰すると、藩の参政となる後藤象二郎・福岡孝弟らを起用し「流通機構の統制強化」「西洋の兵器の採用」など改革を断行しました。 しかし、この改革は保守派や尊王攘夷を唱えていた武市半平太率いる土佐勤王党と対立してしまいます。 pic.twitter.com/6um7JVTlu4

2020-01-09 22:12:09
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1862年5月6日(文久2年4月8日)22時頃 東洋は城から帰宅途中、武市半平太の命を受けた土佐勤王党の那須信吾らの手にかかり、襲撃され 暗殺されます。享年47。 暗殺前、東洋は城で16代藩主・山内豊範と共に『信長公記』を聴講しており 内容は奇しくも信長が殺される「本能寺の変」の段だったそうです。 pic.twitter.com/qr5cibgpiZ

2020-01-09 22:12:10
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実際の暗殺場所は ここからやや南寄りだったといわれています。 2017年12月当時は工事中でパネルが貼ってありました。現在は石碑が再設置されたようです。 #土佐の歴史旅 #幕末

2020-01-09 22:12:10
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土佐藩15代藩主・山内容堂生誕の地 (高知県高知市追手筋2丁目7-13) 1827年(文政10年)11月27日 山内容堂(豊信)はこの地に誕生します。容堂という名は隠居後の名前で、藩主時代は豊信と名乗っていました。 容堂の生母は下級武士だった下士平石氏の娘・瀬代で 10代藩主・山内豊著の側室でした。 pic.twitter.com/ltCW8c9T10

2020-01-09 22:52:40
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通常、藩主の子は江戸屋敷で養育されますが、容堂は元々は藩主になる予定ではなかったので高知城下で生まれ育っています。 父は11代藩主の弟で、本家藩主が相次いで急死した為に容堂が15代藩主となり、その政治手腕で薩摩の島津斉彬らと共に「幕末の四賢候」と評されました。 pic.twitter.com/SonlR0BBWV

2020-01-09 22:52:41
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山内容堂邸跡 (高知県高知市鷹匠町2丁目1-8) 高知市内の鷹匠公園の北側入口付近に山内容堂公邸跡の石碑が在ります。 ここは南邸と呼ばれており、山内容堂は追手筋の追手邸(前述)で生まれた後、6歳から22歳で藩主になるまで ここ南邸で過ごしました。 pic.twitter.com/uJ8L1HRPBp

2020-01-09 22:52:42
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青年時代はあまり勉学に励まずお酒ばかり飲んでいたそうで、13代・14代と藩主が相次いで急病死し、15代藩主となってからはそれまでの自分を悔やみ、読書を好むようになったそうです。 ちなみに14代藩主・豊惇は在職期間が僅か12日という短さで急死した為、山内家はお家断絶の危機に瀕します。 pic.twitter.com/oUg93iBZ0v

2020-01-09 22:52:42
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旧山内家下屋敷長屋跡 (高知県高知市鷹匠町 ホテル三翠園敷地内) 幕末の1866年(元治元年)土佐藩15代藩主・山内容堂の下屋敷(南御屋敷)として侍屋敷7軒を召し上げ建てられた、その下屋敷内に在った長屋です。 pic.twitter.com/1gdo3RPFjZ

2020-01-11 21:21:53
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下屋敷は明治に拡張され、山内家の本邸として使用されていたそうですが、戦後に売却され 現在は三翠園というホテルになっています。 この長屋以外では門と物見亭が現存しているらしく、物見亭は1867年3月22日(慶応3年2月17日)に山内容堂と西郷隆盛が会見した場所としても知られています。 pic.twitter.com/iUFKs2F91W

2020-01-11 21:21:54
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武市半平太の生家跡とお墓 (高知県高知市 仁井田3021) 高知市街地から約10km、車で30分ほど 南国市の近くに武市半平太旧宅と半平太を祀った瑞山神社と瑞山資料館、そしてお墓が在ります。 1829年10月24日(文政12年9月27日)武市半平太は土佐国吹井村(現:高知県高知市仁井田)に生まれました。 pic.twitter.com/ewNOxC34LJ

2020-01-11 21:21:55
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武市家はもともと土地の豪農でしたが、1726年(享保11年)半平太より5代前の半右衛門が郷士に取り立てられ 1822年(文政5年)に白札に昇格します。 「白札」とは身分は郷士のままですが、当主は上士に準じた扱いとなり郷士の中でも名家になれました。

2020-01-11 21:21:55
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