映画『アイリッシュマン』狂猫病による感想&解説その7 「ドア」(ネタバレ有り)

マーティン・スコセッシ監督作品『アイリッシュマン』についてのレビューです。 作品のポイント、構成などについて解説しています。 今回は作品の主題でもある、主人公フランクの変化について。 そして誰もが考え込んでしまうあのエンディングの意味も少しだけ……  ※大いにネタバレを含みますので未見の方は注意
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狂猫病 @kyobyobyo2

映画「アイリッシュマン」は、主人公フランク・シーランという一人の人物の変化を主題に描いた物語である そしてその変化が親友ジミー・ホッファとの葛藤を通じてもたらされるという物語構造については、先に述べた

2020-02-03 23:37:03
狂猫病 @kyobyobyo2

フランクの変化を捉える上でまず重要なのは、もともと彼が何者であったのかという点だ これについても、ある程度は前述した フランクは自分の属するコミュニティを厳格に規定し、そのコミュニティを守るために全力を尽くそうとする 要するに「内に優しく、外に厳しい」を地で行くキャラクターだ

2020-02-03 23:43:10
狂猫病 @kyobyobyo2

しかしここで、ストーリー展開上、一つの矛盾が生じている 物語序盤早々、フランクが犯罪の世界へ踏み込むきっかけとなる場面だ 食肉配送のドライバーとして働いていたフランクは自社の食肉を盗み、マフィアの高利貸しスキニー・レイザーへ格安で売り払ってしまう

2020-02-03 23:51:06
狂猫病 @kyobyobyo2

自分のコミュニティである食肉配送会社を、フランクは明確に裏切っている この一見して矛盾している事象に、フランクというキャラクターのもう一つの重要な性質を見出すことができる それは「自分の属するコミュティを常に探し求め、渡り歩く」という性質だ

2020-02-03 23:55:11
狂猫病 @kyobyobyo2

フランクはラッセルとの出会いの場面で、「よく行く場所は?」と尋ねられ、答える 「キャラハンズとか、ボッチクラブかな」 二つとも酒場の店名だ 「キャラハン」とはアイルランド由来の姓であり、「ボッチ」とはボッチャ、後に彼らが刑務所内で遊ぶことになるイタリア生まれの球技のことを指している

2020-02-04 00:00:46
狂猫病 @kyobyobyo2

つまりフランクは物語開始時点で、アイルランド系の酒場とイタリア系の酒場を行ったり来たりしていることを示唆している レイザーと出会うのはもちろんイタリア系の酒場だ フランクはここで会社に見切りをつける この場面で流れているブルースは「I hear you knocking」という曲だ

2020-02-04 00:07:17
狂猫病 @kyobyobyo2

まさにフランクは「マフィア」という非合法コミュニティのドアをノックした この曲のサビは、以下のように続く 「あんたのノックが聞こえる でも入ってきちゃいけない あんたのノックが聞こえる もといた場所に帰ったほうがいい」 フランクの運命を暗示する歌詞だ

2020-02-04 00:12:06
狂猫病 @kyobyobyo2

だがフランクは一時的には、自己の安泰な居場所を確立する マフィア内では「ペンキ塗り」として、家庭内では離婚を経験するものの新妻を得て、多数の娘に恵まれた(うち一人はフランクの仕事の暴力性を嫌悪するが) この安定状態を揺るがすことになるのが、ジミー・ホッファとの邂逅と、その殺害である

2020-02-04 00:19:39
狂猫病 @kyobyobyo2

物語第二幕の後半から、フランクのアイデンティティを揺るがす大事件が立て続けに起こる ジョーイ・ギャロ殺害に始まり、盟友ラッセルとの事実上の「結婚式」、そして親友ジミーの殺害だ この過程で、フランクは無二の親友と最愛の娘ペギーを同時に、それも自らの手で失う体験をすることになった

2020-02-04 00:24:02
狂猫病 @kyobyobyo2

フランクの衝撃は、ジミーの妻ジョーに電話を掛けるシーンに完全に表現されている このシーンは俳優陣の演技や演出もさることながら、編集も秀逸だ フランクはジョーが電話に出た瞬間、意識を失わんばかりに動揺する 一瞬のぶつ切りのようなカットで、多くの観客にもそれが伝わっただろう

2020-02-04 00:31:39
狂猫病 @kyobyobyo2

フランクはこの一連の葛藤を通じて、何者に変化したのだろうか? この作品の、最も重要な問いだ ヒントとなるのは、やはり「ドア」だろう

2020-02-04 00:33:04
狂猫病 @kyobyobyo2

誰もが気づいたと思うが、「ドア」はこの作品の重要なモチーフだ あらゆる場面で「ドア」(車のドアも含む)が登場し、登場人物たちはそれを様々な視線で眺める 特に重要なのは、エンディングにも登場する「半開きのドア」というモチーフだ

2020-02-04 00:36:13
狂猫病 @kyobyobyo2

「半開きのドア」を主人公フランクが見つめるのは作中で3回 ジミーと出会った後のシカゴのホテルに泊まる場面、ジミーを殺害した直後の場面、そして前述したエンディングの場面だ この一連の場面に、フランクの変化の一端が表れている

2020-02-04 00:42:02
狂猫病 @kyobyobyo2

シカゴのホテルで、ジミーはフランクを同室に泊め、自分の寝室のドアをわずかに開いた就寝する 表情を見ればわかる通り、これはフランクにとってかなりの驚きであったことだろう ジミーはほぼ見ず知らずの、それも銃を携帯したフランクをあっさりと信用し、仲間として受け入れてしまったのだ

2020-02-04 00:45:36
狂猫病 @kyobyobyo2

ジミーがフランクの親友となった理由も、この描写一つで観客には直観的に理解される フランクには持ち得ないものを、ジミーは持っていた ジミーが人を惹きつけた理由であり、巨大な組合組織の長となった要因でもある 作中ではジミー自らの言葉で、「union」と「solidarity」とその特性は表現されている

2020-02-04 00:53:20
狂猫病 @kyobyobyo2

フランクの特性はその正反対で、まさに「孤独」だ ジミーを殺害した直後、フランクは家の奥の半開きのドアを見て、一瞬だけ絶望の表情を浮かべる 銃撃し破壊したものの重要性を、その瞬間に理解したのだ フランクは、自分の人生において最も重要な「連帯」を失った

2020-02-04 00:59:07
狂猫病 @kyobyobyo2

第一幕の終盤は、フランク一家とラッセル一家のボウリングの場面だ 一方で第三幕の開始は、刑務所内でフランクとラッセルがボッチャに興じる場面である この二つの場面を対比してみれば、フランクの失ったものがひと目でわかる構造になっている フランクに唯一残されたのが、盟友ラッセルとの繋がりだ

2020-02-04 01:02:42
狂猫病 @kyobyobyo2

しかしこの時点で多くの観客にも予感されるように、その唯一の繋がりすらもフランクは失ってしまう ラッセルは刑務所内の教会に通いだし、入院し、墓場に行く 出所したフランクはすぐに妻に先立たれ、娘たちには見捨てられている

2020-02-04 01:06:01
狂猫病 @kyobyobyo2

この作品をしっかりと観つづけてきた観客には、もうこのフランクの描かれ方の意図が理解されていることだろう これは紛れもない、私たちの物語だ 人は孤独に生まれ、成長するに従ってコミュニティを拡大し、老いる中でそれを縮小させ、やがて孤独に死ぬ 人であれば逃れられない運命だ

2020-02-04 01:11:50
狂猫病 @kyobyobyo2

エンディングで、フランクは司祭に自室のドアを少しだけ開けておくよう頼む 死を目前にしたフランクは、その隙間の先に一体何を期待しているのだろう この解釈は、私たち観客それぞれに任されているはずだ 隙間の先に見えるフランクが、答えを求めるかのようにこちらを見つめている

2020-02-04 01:21:23