- koyomi_yuuka
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「物体とは「延長」、空間的ひろがりであり(後略)」 デカルトの「二元論」(?)について 存在(?)を「思考するもの」と「延長するもの」とに分けたのですよね? 「延長」とは、モノとして空間上(?)にあるコト(?)なのか? あれ?わかんなくなってきちゃった (『西洋哲学史-近代から現代へ』読んでる) pic.twitter.com/yDyhlYrvdI
2020-02-03 09:54:06「デカルトが著作で表明している見解、(中略)所論は、けれども、デカルトの後継者たちを失望させた」 なるほど〜っ 「脳の中心にある小さな腺」は「思考するもの」か「延長するもの」か? 「延長するもの」の集まりがなぜ「思考するもの」になり得るか? (『西洋哲学史-近代から現代へ』読んでる) pic.twitter.com/8IOAqjf9lA
2020-02-03 10:47:01「ここから皮肉な経緯が展開していく(後略)」 なるほどっ!! 先ほどのわたしのツイートは、この「皮肉な経緯」をたどる出発点だったかもしれないのですねっ では、デカルトの「神」とは? (『西洋哲学史-近代から現代へ』読んでる) pic.twitter.com/mBH0lsdABR
2020-02-03 10:55:09「時間とは「その部分が相互に依存せず、またけっして同時に存在しない」ものであり(後略)」 むむむ 難しいですっ💦 デカルトの語る時間とは、パラパラマンガの一コマのようなものなのでしょうか? (『西洋哲学史-近代から現代へ』読んでる) pic.twitter.com/cr1hsRlquu
2020-02-03 11:08:43「物体について明晰判明に知ることができるのは、その延長であり、さらにその限定によって生じるかたち、位置、運動である」 また「存在」について語るので、存在、時間、空間、物質、もの...という言葉が使えないので「延長」と表現しているのですかね? (『西洋哲学史-近代から現代へ』読んでる) pic.twitter.com/YNru8qAU3w
2020-02-03 11:13:32すなわちここで書かれている「延長」とは、位置、運動、時間、物体...といったものを「多」とする「一」を考えているのですかね? むむむ?
2020-02-03 11:15:31う〜ん、なるほど? 無理やりまとめてみると、デカルトは中世のルネッサンス期に神学と結びつくことで復活した哲学を、宗教からさらに切り離して(ピタゴラスを始祖とするような?)自然科学への関心へ回帰させたって感じですかね? 「神」の意味合いがスコラ派とデカルトでは違っている気がしたのです
2020-02-03 11:20:53「第2章 近代形而上学」 ...前章のデカルトの話は、ぼんやりと書かれていることがわかったのか?と言った感じで、無理矢理まとめてデカルトが神学と哲学の仕分けを始めたと(わたしが)してみたのでした しかし、2章がまったく理解できず デカルトで宗教から徐々に離れていくのか?と想像したのですが pic.twitter.com/DoiflEClZY
2020-02-05 22:37:43お? スアレスの主張はデカルトと違ってずいぶんと宗教色が濃いな...と、感じていたのですが、スアレスはデカルト以前の人なのですね スアレスは「数学や論理学の諸真理は神意思から独立していると主張していた」のでふ デカルトはスアレスを考えながら独自の解釈を展開していったという感じですか?
2020-02-05 22:45:45スアレス→デカルト→スピノザ→ライプニッツ... と、思考が広がっていると考えれば良いのですかね? pic.twitter.com/fzRAwWZAN2
2020-02-05 22:48:40マールブランシュをすっ飛ばしてますね... アウグスティヌスは内側に「神」をみたというのか「真理の観念を見ることで」神を見るとしたところ、マールブランシュは精神は無限ではないけれども、無限なものを覚知することができるとしたところがポイントなのですかね?
2020-02-05 22:56:44さて、スピノザは 「唯一の実体を、こうして「私たちは神、あるいは自然と呼ぶ」」 と書かれているように、キリスト教的世界観から、(古代哲学のような?)自然や循環・発生(?)のような疑問に戻っているように感じました (『西洋哲学史-近代から現代へ』読んでる) pic.twitter.com/3tFLUr1SKB
2020-02-05 23:03:12スピノザの主著『エチカ』も出版前に発禁処分となったようなので、(ルネッサンス期に神学と哲学が接近したのに対して)神学と哲学の分離が進んだのだと思うのです
2020-02-05 23:06:50で、スピノザは哲学史(?)から葬り去られようとしていたところ、生前から親交のあったライプニッツにバトンがわたると... ひとまずは、こんな感じの理解でも良しとして先に進んでみようとおもいます (『西洋哲学史-近代から現代へ』読んでる)
2020-02-05 23:09:51えっとですね ロック→ライプニッツ→バークリーときて、(わたしの脳内変換として)脳に電極を指して、「触っている」と感じるように電気を流した時に、そこにものは存在するのか?ただ、モノがあるのだと感じているだけで、そこにものは無いのではないか?と、妄想していたのです
2020-02-07 20:35:07「必然的な存在者という概念から、その存在者の存在を推論している」 また、なんとも難しいことが書いてありますが... カントの『純粋理性批判』のキモとしては、人が考えられることの限界を示したということですかね? (『西洋哲学史-近代から現代へ』読んでる) pic.twitter.com/7z7kTZEAXG
2020-02-08 11:08:52「神が存在する」として、「神がいることを推論」しているので、「神が存在する」ように感じてしまう... と、いった感じなのでしょうか? 人には生来的に備わっている「理性」があって、それによって世界を捉えているという主張の根幹となる「純粋理性」を批判しているってことなんですかね? むむむ
2020-02-08 11:13:04えっと、「理性」によって認識される「理性(そのもの?)」とは、「理性」の範囲外に存在しているので、「理性」では認識することができないってことなのかな?
2020-02-08 11:30:11...いや、わからないから、わかりたくて読んでいるので、わからなかったり、勘違いするのは良いのです わかってることはするっと読めるけど、わかってないから読むのに苦労するってだけの話なのです
2020-02-08 11:35:59「貨幣とは商品世界における紙であるからだ」 デカルト→...→カント→ヘーゲルと続きて、整理が追い付かずにあっぷあっぷしてるのですが、この付近を読みながらヘーゲルは「神」を人間の手元まで下ろしたのかな?と感じていました (『西洋哲学史-近代から現代へ』読んでる) pic.twitter.com/qPZ1YcTPZS
2020-02-08 22:53:20ヘーゲルの語る存在(?)とは、他者との関係によって生まれると言っていたのでは無いか? 存在とは、ある種の信頼関係であり、マルクスの言う貨幣に繋がってくるのか? そんなことを想像していたのです
2020-02-08 22:55:54ヘーゲルが神を人間の手元におろしたと言うよりも、ヘーゲルのフォロワーが、そう解釈を広げていったという感じなのでしょうか? ...うまく整理できないですっ💦
2020-02-08 22:58:23マルクスの貨幣と価値、そして信頼と存在の話はぼんやりとしか理解できていないですが興味深いですっ 存在とは、お互いの信頼であり、信頼が貨幣であるのなら、貨幣に神や存在意義というのか、強い力(?)を見出してしまうのもわかるような気がします もう少し知りたい
2020-02-08 23:06:24「神は死んだ!神は死んでいる!私たちが神を殺したのだ!」 おぉ、ニーチェですねっ 相変わらず理解できていないのですが、少しだけ近づいた気がしますよ (『西洋哲学史-近代から現代へ』読んでる) pic.twitter.com/7Sfe5Q0Nnp
2020-02-08 23:10:44