ミステリの来し方行く末ぼんやり考えてみた(締め切り絶賛逃避中に…)

書き手と読み手の「難易度」への意識は相当違ってるなあと常日頃思っているが、その原因や、そもそもミステリの成り立ちって何だろうと考えたことを備忘的に連続ツイートしてみた。
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じねん @jinensai

(0)連続ついーと形式でミステリについて思うこと。

2011-06-09 03:31:34
じねん @jinensai

(1)とんがってた若い頃、同好の士たちとは結構衝突した。今振り返ると書き手が書きたいモノと読み手が読みたいモノを全部いっしょくたにしていたように思う。

2011-06-09 03:36:32
じねん @jinensai

(2)中でも「騙し」については、かなり食い違っていたのを覚えている。曰く、簡単に真相が分かるよりは汚い手法でも「騙され」たいという意見が多かったのだ。

2011-06-09 03:39:06
じねん @jinensai

(3)むろんこれは難易度をスケールとした極論なのであるが、書き手意識の強かった私には、どうしても呑めない意見でもあった。「騙され」るにしても、その書き手のルールで「騙され」たい。

2011-06-09 03:46:59
じねん @jinensai

(4)往々にして他作者・他作品のルールが「問答無用」に適用されたりするのは「サッカーをしてたと思ったらラグビーだったでござる」といったような違和感で非常に納得し難い。

2011-06-09 03:48:03
じねん @jinensai

(5)書き手は真相が分かっているし、筆先三寸でいくらでも真相をまげられることも経験上知っている。難易度の高い実験作に挑むなら方向性は「真相の展開(暴露)のし方」へのこだわりという形で表現しがちとなる。

2011-06-09 03:51:11
じねん @jinensai

(6)一方、読み手は「そんなこと知ったことではない」。結果的に現出した真相に「いかに驚いたか」というインパクトを重視する。

2011-06-09 03:56:15
じねん @jinensai

(7)結局、書き手の立ち位置が、書き手と読み手の間のゾーンのどこにあるのかが、その作家の資質を決める。売り上げ至上主義なら読者側に近く、実験的難易度を求めるなら作者側に近い。

2011-06-09 04:01:03
じねん @jinensai

(8)ただ、実際問題この%は取り上げた題材や時勢にも大きく影響されるし、一個人の内面でも峻別できず、昨日・今日・明日、書いてる一瞬一瞬でもブレにブレまくるものでもある。私は書き手として軸がブレブレである。

2011-06-09 04:04:20
じねん @jinensai

(9)結局、私は作品世界の向かいたい方向へ進ませるという、今現在のスタイルに落ち着いた。しばしば自分自身にもたどり着くべき真相が全く見えていないこともあるくらいだ。私にとって「真実はいつもひとつ」ではなくむしろ「正解はひとつ!じゃない!!」だ。

2011-06-09 04:12:29
じねん @jinensai

(10)しかし、一旦アウトプットした作品世界は独立した息吹をそこに宿す。書き継ぐ際に、そうした作品世界からのサイン・あるいはメッセージを如何に無視せず受け取り、汲み上げるかが、創作の醍醐味だ。

2011-06-09 04:15:35
じねん @jinensai

(11)そこには書き手としての自分と読み手としての自分による高頻度のキャッチボールがなされているし、そのキャッチボールは生み出された作品をとおして自分以外の読者へと繋がってゆく…。

2011-06-09 04:21:19
じねん @jinensai

(12)ミステリがいつどこからどうやって始まったのかは諸説あるけれど、ディケンズの『バーナービー・ラッジ』の連載中、その「真相」に気づいたE・A・ポーの「アンサー」的創作魂に、その淵源を求めるのが至当ではないだろうか。雑誌の「犯人当て」クイズはその名残りともいえよう。

2011-06-09 04:30:27
じねん @jinensai

(13)ミステリは書き手と読み手の相互作用によって生み出される。近代以降に出現した理由もそこにあるのだろう。ネットによってスピードと頻度が爆発した昨今、ミステリはどこへ向かうのだろうか。

2011-06-09 04:34:24
じねん @jinensai

(14)以上、ミステリについて思うこと連続ツイートでした(実はペンクラブニュース原稿締め切りから絶賛逃避中)。

2011-06-09 04:45:42