- ryuseiasahina
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たとえば、北斎の崩れる波のように、 あるいは、カールルイスの走る姿のように、 一貫したルールがあるようで、そこから、少し崩れるものは美しい(わざとらしくない) けれど、 水槽の壁に波が幾重にも重なる時、 あまりのランダムさ、一貫性のなさに美しくない、 と感じる時もある、とか。
2020-02-09 12:29:33あるいは、視線を向けられると緊張する時もある、 そこで視線をそらされて、ホッとする。 あるいは、その相手が他のものに夢中になると、なおさら。 その無防備さを見たいのか。 無意識、というか。
2020-02-09 12:31:09無限と言う時、 それは実は、私にはとても数えきれません、想像しきれません、想像が(まだ)止まりません、想像しきるには飽きてしまいます、 ということで、 その人の有限性に関わるのかなぁ、 とか。 だから、なにかはわからないけど。 有限性、よくわからない。
2020-02-09 19:31:52フリードが支持してた作家の絵を見れてよかった。 ポロックからミニマルアートになるのは想像できないけど、 それらを挟むと、なんか、そうなるわなぁ、 って感じ。
2020-02-09 19:33:27「私は孤独」と書くと、 わかるとか、大丈夫と言われたり、 あるいは、その言葉が「私」に寄り添う感じがするけど、 「彼は孤独」と書くと、 「私」は孤独のまま、「私」について書ける?し、 その言葉も孤独な感じがする、 っていうことなのかなぁ。
2020-02-09 19:36:50なぜ、そういったものを無限と言うかと言うと、 そういう自分の限界を見せつけられるものを強いものとしておきたい、 自分が飽きっぽいという弱さを誤魔化したいという弱さ、有限性?から? とか、 テキトー。
2020-02-10 01:08:24グリーンバーグは額縁は演劇にもある、 としたけど、 フリードは額縁を意識した作品も支持した? 額縁を意識すると、キャンパスの側面に気づいてしまうまで、 あと、一歩じゃないか、とか。 リテラリズム?(まんまじゃねぇか)という言葉、なんか好き。
2020-02-10 01:11:43そういう話ではなかったと思うのだけど、 語用論より非語用論が重要とか主張すると、 それは語用論的コミュニケーションだけど、 解釈次第だけど、非語用論的にも言えそうだなぁ、 とつぶやくと非語用論「的」? そういう演出の言い方でしょ、という解釈もできる?
2020-02-10 02:23:30抽象表現演劇という言葉があるのかわからないけど、 (表現主義はある?) あるとしたら、 なんか、日本庭園っぽいのかなぁ、 結局、風景の演劇かぁ、 やっぱ、結果を想像しちゃダメかぁ、とか。
2020-02-10 12:01:23形式主義的様式、とか言えないか、とか。 もちろん、形式を持ち込んだあとに様式化されることはあるだろうけど、 もっと、はじめから。 あるいは、印象派とかのタッチの物質性の延長の、 様式の変遷の流れの中にある形式主義、とか。
2020-02-10 12:03:31ゲームで3Dポリゴンモデルを回転させるのと、 構想力を作動させるのって、近いのかなぁ、 とか。 身体が対峙するシアトリカルな経験以外に、 ヴァーチャル、シミュレーショナルな経験があるのかなぁ、 とか。
2020-02-10 12:21:04ノーアクティング、シンプルアクティングの話は、なんか面白かったけど、 難しい。。 録音で聴くと、終盤と質疑応答の、 たぶん、原稿を読んでない部分が声の抑揚が大きくて聞きやすい。
2020-02-11 01:03:00観者spectator視点というのは、 なるほど、 俺だけど、なんかムカつく、 と感情を込めて言う時、 それはもう演技とするなら、 それ芝居がかってて、クセェよ、 と言いたいだけなのでは? なんで、芝居くささを感じるのか、 とか、 そういうのが気になる。 (というか、それを扱ってるの?)
2020-02-11 01:06:16カービィは、物語や意味より形式、現前を見えるようにするのを演出家の仕事とした? それは、絵の物語でなく物質性、というのとは違う?
2020-02-11 01:07:49シアトリカル、というのは、フリードを自分なりに意識してるけど、 微妙い言葉だなぁ、とか。 フリードの言うシアトリカルは、身体が対峙する、参加に近い(ニーチェ、実践的?な)感じを指してる気がするけど、 でも、シアターって、観客席で、むしろカント的観客をイメージしやすい気も。 違うかな。
2020-02-11 07:05:44