テリー・ライスさんの「セーラームーンのOPについて」
あー、今調べてみたら、無印セーラームーンの最終話は絵コンテ幾原監督なのかあ・・・。Rの劇場版がやっぱり無印のラストシリーズを髣髴とさせていたのはそういう経緯でリベンジって事だったのか。それはセーラームーンの中の人的にも、か。入院して、声優がちびうさの人に代わってたんですよね
2011-06-09 23:56:25ちなみにセーラームーンの主題歌の「ムーライド伝説」はRまでとS~SuperSではアレンジが違っていて、Rまでの光GENJIっぽいアイドル歌謡の曲調から、ウテナの「絶対運命黙示録」を代表するJ・A・シーザーの合唱曲っぽい曲調に変わっています。(幾原監督はRの途中からSDに)
2011-06-10 00:06:28次の日
ところで昨晩、セーラームーンのOP曲のアレンジの違いについて、呟きましたがもう一つ。セーラームーンシリーズの監督は佐藤順一監督、幾原監督、五十嵐卓哉監督と流れていくんだけど、それについても少し面白い点が一点。
2011-06-10 10:56:46サトジュン監督は手がけている作品が長続きすることからも分かるように、アニメ作品の土台を作る人に長けている人のように思える。だからサトジュン監督が手がけたRまではOPにお城が出てくる。
2011-06-10 11:00:46一方、幾原監督は設定された舞台の中で際立った演出をされる方なイメージ。面白くするためなら何でもしそう。なもんで、面白くなればお城を破壊することもいとわなさそう。そうしなくて面白くなればその限りじゃないけども。だから幾原監督体制のSとSuperSのOPではお城が出てこない。
2011-06-10 11:10:21面白くなれば、お城がどうなってもいい。その証拠にSuperSを終えた後、ビーパパスを結成して、作ったアニメが「少女革命ウテナ」。これのOPを思い出していただければ分かるはずですが、お城がさかさまな上に崩壊していきますよね。劇場版になるとお城は動く巨大物体としても描かれていた。
2011-06-10 11:13:49作劇のためには舞台の破壊すらいとわないのが幾原監督。イメージのたどり着く果てに残ったたった一本の芯の美を描いてしまうのも幾原監督の凄さといえるでしょう。
2011-06-10 11:15:53さて、それで最後は五十嵐卓哉監督。五十嵐監督は幾原監督のアナーキーともいえそうな舞台の発展かつ破壊や、サトジュン監督のような舞台の土台作りに秀でているわけではないんですよね、何が秀でているかというと場の締めと再生が上手いのイメージ。
2011-06-10 11:21:36だからシリーズ最終作のセーラースターズのOPで崩れ行くお城(街かもしれませんが)を元通りに(復活)させていると。それはスタドラやホスト部についても同じことが言えて、関係や理の破壊を描いておいて、なおかつそこからの再生を踏み出す話になっている。
2011-06-10 11:25:11サトジュン監督はある程度、舞台が育つのを見ると監修にまわる傾向にあるので五十嵐監督とは逆に終わらせるのが苦手っぽい気はするなあ。それはともかく。セーラームーンのOP(&ウテナのOP)を見るだけでも、監督の特性が垣間見えるんだなあというお話でした。
2011-06-10 11:33:12その後
なんだかまとめていただいたのに恐縮ですが、一つ思い違いをしてたので訂正を。ウテナのOpで崩壊しているのは決闘場の方でしたね・・・。失礼いたしました。何度も見てるというのに、思い込みでモノを語っちゃいけませんよね、ホントに。でも、舞台の崩壊を描いてるのは間違ってはないと思います。
2011-06-11 11:48:38