2011年6月11日

「障害受容」を取り巻く同調圧力

元は@ynabe39さんの発言にはじまる一連の論争への私なりの感想から出発しましたが、その論争の「傍流」でのささやかなやりとりです。障害当事者やご家族の「障害受容」についての同調圧力が基本テーマです。
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chitose @kasega1960

障害を受け入れられない当事者や家族を「受け入れられない」心の狭さこそ気になることがある。時として「障害者の(親の)会」は、「障害受容」のための宗教団体のように見えることがある。すべてがそうだとは言わないし、個々の家族の内情に介入するつもりはないが。

2011-06-10 23:24:14
Τακäħjrö Ιŋøüé @inotti_ele

@kasega1960 受け入れたり、別の面(時期)では受け入れなかったり、親子で切磋琢磨しながら更なる高みを目指していくとも書かれた論文もありましたね、確か。いや違うか、受け入れざるを得ない状況はいいとしても、無理に強要すべきではないのでしょうね。

2011-06-10 23:30:09
chitose @kasega1960

その点なんです。私が言いたいのは。 RT @inotti_ele: @kasega1960 //受け入れざるを得ない状況はいいとしても、無理に強要すべきではないのでしょうね。

2011-06-10 23:48:27
chitose @kasega1960

@kasega1960 @inotti_ele 変な言い方かもしれませんが、障害者であることを受けいれられない当事者や家族をも受け入れられることこそ「障害者受容」だといいう逆説があると思うのですよ。

2011-06-11 00:01:55
Τακäħjrö Ιŋøüé @inotti_ele

@kasega1960 そうですね。障害者受容で、逆に当事者同士でも温度差があるというか色々と話を深めたいのに話のネタが触れない時もあるんですよね。

2011-06-11 00:21:00
chitose @kasega1960

@inotti_ele 確かに、ここはこの点について触れていい「場」なのだろうか?ということにセンサーを張ると、ピリピリすることがあります。

2011-06-11 00:25:14
Τακäħjrö Ιŋøüé @inotti_ele

@kasega1960 五人話してて内四人が盛り上がってると言う事もあります。後は、話題の振り方、盛り上げ方、引き出し方って何気に気を使いますね。

2011-06-11 00:30:24
chitose @kasega1960

@wktktakayuki @ynabe39 @wakabafukada 障害者であることを受けいれられない当事者や家族をも受け入れられることこそ「障害者受容」の場だという逆説があるかと。これはたいへん難しいかも知れませんけど、口に出せない「空気」を作っていることもままあるかと。

2011-06-11 01:23:02
地下猫 @tikani_nemuru_M

障碍者の愚行権の問題ですね RT @ynabe39: NHKの「きらっといきる」で「障害者がみんなきらっと輝いているわけではない、輝いている障害者だけを取り上げるのはおかしい」という当事者からの投書が取り上げられたときのことはよく覚えている。

2011-06-11 01:24:35
鈴木有海 @alumirage

@kasega1960 健常者を自称する人がその他を十把一絡げにしている感をあちこちから覚えるのはうがちすぎですかね? 障害が個性かはさておき、障害の個性はあるのになあ……。

2011-06-11 01:28:27
chitose @kasega1960

何かできあいの「知的理解」に強引に惹きつけてませんか? RT @tikani_nemuru_M: 障碍者の愚行権の問題ですね RT @ynabe39: NHKの「きらっといきる」で「障害者がみんなきらっと輝いているわけではない、輝いている障害者だけを取り上げるのはおかしい」//

2011-06-11 01:28:38
chitose @kasega1960

@alumirage 何か「外野が騒いで」、勝手に思い込みがちではありますよね。

2011-06-11 01:33:19
地下猫 @tikani_nemuru_M

はい。なにもかも借り物ですがそれが何か? RT @kasega1960: 何かできあいの「知的理解」に強引に惹きつけてませんか? RT @tikani_nemuru_M: 障碍者の愚行権の問題ですね

2011-06-11 01:36:09
鈴木有海 @alumirage

@kasega1960 障害者でも幸せになれますが本人や周囲の負担は半端ないですよね。だから平均して不幸。それ以前に相対的に語られても意味がないと言うべきでしょうか。その労力で保証制度をまともにしてくれた方が嬉しいなあ……。

2011-06-11 01:46:45
chitose @kasega1960

障害を受け入れられないことは「愚行」でしょうか? RT @tikani_nemuru_M: はい。なにもかも借り物ですがそれが何か? RT @kasega1960: RT @tikani_nemuru_M: 障碍者の愚行権の問題ですね

2011-06-11 01:52:59
chitose @kasega1960

ご趣旨に賛成いたします。RT @alumirage: @kasega1960 障害者でも幸せになれますが本人や周囲の負担は半端ないですよね。だから平均して不幸。それ以前に相対的に語られても意味がないと言うべきでしょうか。その労力で保証制度をまともにしてくれた方が嬉しいなあ……。

2011-06-11 01:58:15
地下猫 @tikani_nemuru_M

客観的な愚行などありません。愚行とは常に特定の視点から生み出されるモノです。 RT @kasega1960: 障害を受け入れられないことは「愚行」でしょうか? RT @tikani_nemuru_M: はい。なにもかも借り物ですがそれが何か?

2011-06-11 02:11:55
chitose @kasega1960

@tikani_nemuru_M なるほど、そういう留保と意図があるわけですね。

2011-06-11 03:31:17
chitose @kasega1960

了解しました。 RT @tikani_nemuru_M: 愚行権はアンチ・パターナリズムのレトリックとして有効だと思います。障害者のおかれた状況を考えると、使い勝手のよい言葉かもしれないな、と。

2011-06-11 03:22:57
chitose @kasega1960

だとすればこの脈絡で「愚業」という言葉をお使いになった意図をはまりかねます。 RT @tikani_nemuru_M: 客観的な愚行などありません。愚行とは常に特定の視点から生み出されるモノです。 RT @kasega1960: 障害を受け入れられないことは「愚行」でしょうか?

2011-06-11 02:29:40
chitose @kasega1960

私には「良い人でない」ことが即「愚業」というのはピンと来ません。障害を不幸と感じるのは「悪い人」とみられるとすればおかしいかと。RT @tikani_nemuru_M: 障害者はよいヒトであることが求められ、実質的な自由がないということです。自由とは愚行が認められることですから

2011-06-11 02:52:46
地下猫 @tikani_nemuru_M

障害者はよいヒトであることが求められ、実質的な自由がないということです。自由とは愚行が認められることですから。 RT @kasega1960: だとすればこの脈絡で「愚業」という言葉をお使いになった意図をはまりかねます。

2011-06-11 02:42:02
地下猫 @tikani_nemuru_M

「愚行」とは、多数派の気にくわない言動のことですよ。愚行が認められないようでは、多数派の専制に陥ります。 RT @kasega1960: 私には「良い人でない」ことが即「愚業」というのはピンと来ません。障害を不幸と感じるのは「悪い人」とみられるとすればおかしいかと。

2011-06-11 02:55:42
chitose @kasega1960

なるほど。でもそれを「愚行」と表現した時点jで多数派の価値観に「甘んじる」みたいで、何かイヤじゃありません?RT @tikani_nemuru_M: 「愚行」とは、多数派の気にくわない言動のことですよ

2011-06-11 03:00:59
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コメント

はやし @HayashiS1972 2011年6月11日
障害を受容出来ない者も受容してこその障害の受容であるとのこと、確かにそれはそうです。しかし、受容出来ない理由として差別感情の内面化もありうる訳だから、障害を受容しない社会を受容することが障害を受容することという矛盾を生みかねない。
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chitose @kasega1960 2011年6月12日
それはごもっともです。むずかしいですね。
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chitose @kasega1960 2011年6月12日
なおynabe先生の議論の「本流」は, http://togetter.com/li/147085 が非常に洗練されたまとめになっています。
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chitose @kasega1960 2011年6月12日
ただ、私はこの問題に関して、「潔癖さ」より「人間臭さ」のゆとりがどうても欲しいです。ただでさえ障害自体でも大変なのに、そこまで「人間的な高み」まで要請する権利が誰にあるのかということですね。それはs障害者が障害者に対してでも同様です。
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