哲学院生のアライさんによる性・出生の哲学話

哲学院生のアライさんによる哲学話 - Togetter https://togetter.com/li/1416702 からの抜粋なのだ!
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哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

哲学話㉘ ①【フーコーは同性愛とどう向き合ったの?】 今回はフーコーと同性愛との関係について述べられた論稿を扱うのだ!フーコーは性解放運動に一定の理解を示しながらも参加せず、自分の本性として同性愛を認めるのではなく「懸命に同性愛者になろうとするべき」だと述べていたそうなのだ。 pic.twitter.com/Ukk5TVSJCH

2020-02-06 11:15:56
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②【文献】 ・慎改康之「セクシュアリティと欲望の真理:フーコーと性解放運動」、『現代思想』第31巻第16号、120-128頁、2003年 seidosha.co.jp/book/index.php… (この哲学話では、以下の慎改氏のホームページからダウンロードしたものを使っています。) meijigakuin.ac.jp/~french/shinka…

2020-02-06 11:15:57
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③【運動】 『聖フーコー』を書いたハルプリンはフーコーを性解放運動の聖人と位置付けているけど、フーコー自身は運動に関わったことはないと明言しているのだ。彼は運動に理解を示しながらも、その先の「生の新しい形式」の創造、「懸命に同性愛者になろうとする」ことの必要性を説いていたのだ。 pic.twitter.com/wa4K51JIxi

2020-02-06 11:15:58
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④【運動の理解】 フーコーは「自分の性を選ぶ権利」を重視し、同性愛解放・フェミニズム運動をある程度支持しているのだ。しかし、フーコーによれば、権力は単純な支配・被支配の対立の一方ではなく、そうした対立をも可能にするものであるから、「抵抗」も権力に関係してしまうのだ。 pic.twitter.com/QB4KnC1SE6

2020-02-06 11:16:00
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⑤【戦略】 それでも「解放」は権力に囚われているのではなく、権力の内部から状況を変えられる「戦略的状況」の中にいるのだ。つまり同性愛者を病人として扱うことを逆手に取ることで、「その病気の内容を教えてあげよう」という挑戦、「病気なのになぜ蔑視するのか」といった異議が可能になるのだ。

2020-02-06 11:16:00
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑥【戦術的多義性】 ただし、ここではただ一つの戦略的な言説が権力に対抗するのではなく、それぞれ矛盾し、異なるたくさんの言説が氾濫するのだ(言説の戦術的多義性)。矛盾する戦略的言説の乱発よって権力は内側から弱体化していくのだ。これが実際、性解放運動で起きたことなのだ。 pic.twitter.com/LOCQFTcZA8

2020-02-06 11:16:01
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⑦【転倒】 同性愛・性倒錯・少年愛・心的両性具有など様々な言説が医学・法解釈・文学から出てくる、さらにもともと抑圧のために用いられた医学用語を逆手にとって同性愛者が自分自身について語る…こうした多様な言説によって状況が転倒したのだ。でもフーコーはさらなる「別の肯定」に向かうのだ。

2020-02-06 11:16:02
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⑧【本性】 フーコーはこうした解放について「一つの人間の本性」なるものを想定することに注意を促しているのだ。彼は、<本性としてのセクシュアリティが隠蔽されてきたから、開放すべき!>みたいな形で想定される本性ではなく、権力によって「産出」されたセクシュアリティを問題にしたのだ。

2020-02-06 11:16:02
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⑨【主体】 同性愛・性倒錯はかつて⑴違法だったけど、19世紀以降は⑵「特異な一つの本性」となったのだ。⑵においては「主体をそうした行動に駆り立てる原動力」が主体に帰属していることが前提されているのだ。 pic.twitter.com/UiafPdvntI

2020-02-06 11:16:04
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⑩【権力のメカニズム】 この本性としての性倒錯理解は、「自己に関する知」が自分を機能させる道具となる「権力メカニズム」によって生じたのだ。自己知が重要であるなら、同性愛者にも知るべき自己、つまり「倒錯性」という「一つの種族」があり、それを自らに当てはめる、というわけなのだ。

2020-02-06 11:16:04
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⑪【隷属化】 こうした自分で自分にそうした自己知を当てはめるメカニズムを、フーコーは「隷属化(assujettissement)」と名付けているのだ。これは自分のアイディンティティに隷属する「主体(sujet)」と、他者に隷属する「臣下(sujet)」というsujetの二重の意味を含意しているのだ。 pic.twitter.com/q3wMHJxC8L

2020-02-06 11:16:06
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⑫【同性愛者になろうとする】 フーコーはこうした本性としてのセクシュアリティを拒否し、内なる自己の発見としての同性愛の自認をめざすのではなく、「懸命に同性愛者になろうとするべき」であると述べているのだ。このことはハルプリンの『聖フーコー』でうまく整理されているのだ。

2020-02-06 11:16:06
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑬【クイアー】 ハルプリンによれば、ホモフォビアによって生じた「同性愛」は、それに対する「戦略的逆転」によって中身が不明確になり、「本質なきアイディンティティ」となったのだ。しかし、むしろこの不明確な「クイアー・アイディンティティ」として引き受けることが同性愛者になることなのだ。 pic.twitter.com/29cBcgwFMO

2020-02-06 11:16:08
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哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

用語説明 ・ホモフォビア:同性愛嫌悪(する人)。 ・クイアー:もともと変態みたいな意味。同性愛者に対して使われた。 (ここでは変態というネガティブな形で中心から排除されたアイディンティティを逆に利用する、そんな文脈で述べられていると思われるのだ、たぶん)

2020-02-06 11:16:08
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⑭【性の歴史】 さらに、フーコーは『性の歴史』で、「自らを欲望の主体と認めつつその欲望のなかに自らの真理を探索するという任務」をどのように西欧人が引き受けるようになったのかを分析しているのだ。

2020-02-06 11:16:09
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑮【フーコーの思想】 これらを踏まえると、慎改氏によれば、『狂気の歴史』から『性の歴史』までフーコーの全著作は「主体がどのようにして自らの真理と結びつけられるようになるのか」という一つの問いに貫かれているのだ。

2020-02-06 11:16:09
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

⑯【まとめ】 フーコーによれば、「同性愛」は近代の権力関係において成立したものであると同時に、これは同性愛解放運動の多様な戦略的言説によって明確な意味内容を失ったのだ。そしてむしろこの不明瞭な同性愛を引き受けることで新たな別の肯定の道へと向かうことができるのだ。 pic.twitter.com/BlCbA3CySm

2020-02-06 11:16:11
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哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

この慎改(しんかい)さんは最近フーコーに関する新書を出したのだ。 ミシェル・フーコー: 自己から脱け出すための哲学 (岩波新書) amazon.co.jp/dp/4004318025/…

2020-02-06 12:05:56
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

哲学話㉘【フーコーは同性愛とどう向き合ったの?】を追加したのだ! 哲学院生のアライさんによる哲学話 - Togetter togetter.com/li/1416702 @togetter_jpさんから

2020-02-06 18:50:43
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

哲学話⑯ ①【反出生主義を批判できるのか?】 D.ベネター『生まれてこないほうが良かった』における反出生主義という衝撃的な主張を皮切りに様々な議論が起きているのだ。今回はそれに対する批判も含めて紹介するのだ!アライさん自身になにか意図があるわけではないのだ。 kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-97847… pic.twitter.com/s7RXr72icO

2019-12-02 23:22:27
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哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

②【文献と目次】 <文献> 小手川正二郎「反出生主義における現実の難しさからの免れ―反出生主義の三つの症候」、『現代思想』47(14), 179-188, 2019-11 amazon.co.jp/dp/4791713885/… <目次> ③―⑤反出生主義とは ⑥―⑨オーヴァーオールの批判 ⑩―⑯小手川氏の批判

2019-12-02 23:22:28
哲学院生のアライさん(哲ライさん) @tetsugaku_arai

③【反出生主義と快苦】 ベネターによれば「生まれてくること」は常に害悪なのだ。なぜなら①「人生にはなんらかの苦がある」から、そして②「快がない」は快楽を受け取る人がいない限り「悪い」とは言えないが「苦がない」は無条件に「良い」からなのだ。苦を生み出す出生が悪ということになるのだ。 pic.twitter.com/zrZjAT47QC

2019-12-02 23:22:31
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④【人生苦ばっか】 通常人間はポリアンナ効果などにより、人生「全体」をポジティブに捉えがちだけど、よく考えると欲求が満たされない状態の方がはるかに長いのだ。生まれてきた人間の視点から見ると、よく見えるけど、そうではない宇宙の視点から見るとそれほど良いものではないのだ。 pic.twitter.com/9zguD4XRXS

2019-12-02 23:22:34
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⑤【出産の否定】 以上から子どもを産むことは、子どもの苦痛を生み出すため悪いことになる、よって子どものために産まないほうがいいのだ。たとえば奴隷が幸福であっても奴隷制やめさせることは正しい、同様に、生まれてきた大人から見て良いことであっても、子づくりをやめさせることは正しいのだ。 pic.twitter.com/D9VCskVsz9

2019-12-02 23:22:38
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