反原発運動四十五年史

西尾漠・著
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更紗蝦 @sarasaebi

《『はんげんぱつ新聞』の創刊は一九七八年だが、出発点は一九七五年に開かれた日本初の反原発全国集会であり、さらに言えば同集会の開催を促した一九七四年という年だとも言える。》 『反原発運動四十五年史』 21p (西尾漠・著)

2020-01-30 14:42:32
更紗蝦 @sarasaebi

《原発計画は、土地を守り、漁業権を売らず、議会で反対を決議することで拒み続けられる。ただし推進する側は何度でも繰り返し、この三条件に攻撃を仕掛けることができる。》 『反原発運動四十五年史』 24p (西尾漠・著)

2020-01-30 14:45:52
更紗蝦 @sarasaebi

《そうした推進側の動きを断ち切りたいという強い気持ちが、全国の運動の仲間たちを結び付けた。》 『反原発運動四十五年史』 24p (西尾漠・著)

2020-01-30 14:46:12
更紗蝦 @sarasaebi

《反原発全国集会の最終日に採択された宣言には、こんな一節があった。「かれらが望む住民を排除した『中央公聴会』の開催を、私たちは断じて許してはならない。》 『反原発運動四十五年史』 25p (西尾漠・著)

2020-01-30 14:49:13
更紗蝦 @sarasaebi

《それは推進派と、『よりよい原発』の幻想を振りまく反対派のような顔をした『専門家』との話し合いの場であり、原発推進を円滑にするための儀式にすぎない。私たちはそのような『専門家』になにも委嘱した覚えはない」。》 『反原発運動四十五年史』 25p (西尾漠・著)

2020-01-30 14:51:09
更紗蝦 @sarasaebi

《一九七八年五月十五日に『反原発新聞』の第一号が刊行された。(略)当時すでに一四基の原発が運転に入ってはいたが、それらはすべて一九七〇年代以前に、つまり原発の何たるかがよくわからないうちに計画されたものであり、(続く)》 『反原発運動四十五年史』 30~31p (西尾漠・著)

2020-01-31 10:44:14
更紗蝦 @sarasaebi

《(続き)同一地点に複数基がつくられているケースが多い。いっぽう、七〇年代以降に計画がたてられた地点では、強い反対運動で軒並み計画は立ち往生していた。》 『反原発運動四十五年史』 31p (西尾漠・著)

2020-01-31 10:45:43
更紗蝦 @sarasaebi

《第〇号から第五〇〇号に至る四十年余の間に計画を阻止した地点は、北海道浜益、大成、岩手県久慈、田野畑、田老、福島県浪江・小高、新潟県巻、石川県珠洲、三重県芦浜、長浜、海山、熊野、和歌山県那智勝浦、古座、日置川、日高、(続く)》 『反原発運動四十五年史』 32p (西尾漠・著)

2020-01-31 10:49:17
更紗蝦 @sarasaebi

《(続き)京都府久美浜、鳥取県青谷、山口県田万川、荻、豊北、徳島県阿南、高知県窪川、大分県蒲江、熊本県天草、宮崎県串間と枚挙に暇がない。第〇号以前にも福井県小浜や兵庫県香住、浜坂などの計画を阻止している。》 『反原発運動四十五年史』 32~33p (西尾漠・著)

2020-01-31 10:51:55
更紗蝦 @sarasaebi

《一九八〇年はまた、何よりも放射性廃棄物の海洋投棄に反対する運動が高揚した年としてあった。東京湾から九〇〇キロの南東の太平洋の海底に放射性廃棄物の試験投棄を政府自らが行うとしたのが発端である。》 『反原発運動四十五年史』 50~51p (西尾漠・著)

2020-02-01 14:10:08
更紗蝦 @sarasaebi

《九月二十七~二十八には投棄海域に最も近い小笠原でもようやく説明会を開くが、小笠原村議会、八丈町議会は三十日、ともに全会一致で反対を決議している。》 『反原発運動四十五年史』 51~52p (西尾漠・著)

2020-02-01 14:13:18
更紗蝦 @sarasaebi

《九月三十日には、七一年三月に国会で問題となった千葉県館山沖だけでなく、神奈川県の相模湾や静岡県の駿河湾でも、ラジオ・アイソトープ利用に伴う放射性廃棄物の投棄がかつて行われていた事実が暴露された。》 『反原発運動四十五年史』 52p (西尾漠・著)

2020-02-01 14:15:57
更紗蝦 @sarasaebi

《一九八六年四月二十六日、旧ソビエト連邦ウクライナ共和国のチェルノブイリ原発4号機で原子炉暴走事故が起こった。同月二十五日に福井地裁で高速増殖炉「もんじゅ」裁判の第一回公判が開かれていて、(続く)》 『反原発運動四十五年史』 84~85p (西尾漠・著)

2020-02-04 00:17:12
更紗蝦 @sarasaebi

《(続き)「原告を代表して磯部甚三さんが、法廷内に響きわたる朗々とした口調で、住民の心情を訴えた」と反原発新聞福井支局の小木曽美和子さんが伝える。「次代の人たちへの責任を誰がとるのか。科学よ、おごるなかれ」(一九八六年四月号)。》 『反原発運動四十五年史』 85p (西尾漠・著)

2020-02-04 00:20:41
更紗蝦 @sarasaebi

《おごった科学がもたらしたのが、翌日の事故だった。》 『反原発運動四十五年史』 85p (西尾漠・著)

2020-02-04 00:21:27
更紗蝦 @sarasaebi

《一九八七年、和歌山県内で「女たちの会」が大きく歩み出したことを、和歌山市の松浦雅代さんが伝えている。「(略)各地の新しい『女の会』の最大の難関は、だれが代表になるかです。(続く)》 『反原発運動四十五年史』 92~93p (西尾漠・著)

2020-02-04 12:30:12
更紗蝦 @sarasaebi

《(続き)引き受けたら引き受けたで『おまえがせんでも』という夫の反発に会い、まず夫を協力会員にするということが最大の仕事でした」》 『反原発運動四十五年史』 93p (西尾漠・著)

2020-02-04 12:30:54
更紗蝦 @sarasaebi

《新聞に意見広告を載せることも、各地で行われている。一九八七年十月二十六日の「反原子力の日」に、北海道では「いらないっしょ!原子力発電」の広告が載った。》 『反原発運動四十五年史』 94p (西尾漠・著)

2020-02-04 12:33:20
更紗蝦 @sarasaebi

《一九九一年二月九日に起きた関西電力美浜原発2号機の蒸気発生器伝熱細管破断事故は、加圧水型軽水炉のアキレス腱と呼ばれる蒸気発生器の伝熱管が真っ二つに「ギロチン破断」するという事故だった。》 『反原発運動四十五年史』 120p (西尾漠・著)

2020-02-06 01:17:26
更紗蝦 @sarasaebi

《日本で初めて緊急炉心冷却装置が作動し、しかも十分に機能しなかったという二重の意味で重大な事故である。》 『反原発運動四十五年史』 120p (西尾漠・著)

2020-02-06 01:18:53
更紗蝦 @sarasaebi

《美浜原発2号機事故で特筆されるべきは、三月八日の京都府議会が「同型炉を停止し事故原因の徹底解明を」と求めた意見書を採択したほか、いくつもの市・町議会で同様の意見書が採択されたことだ。》 『反原発運動四十五年史』 121p (西尾漠・著)

2020-02-06 01:22:13
更紗蝦 @sarasaebi

《細管破断の危機ありとして前年から行われてきた運動の成果である。》 『反原発運動四十五年史』 121p (西尾漠・著)

2020-02-06 01:22:51
更紗蝦 @sarasaebi

《一九九一年三月十五日、岡山県湯原町(現・真庭市)で全国初の放射性廃棄物持ち込み拒否条例が、町議会の全会一致で制定されることとなった。》 『反原発運動四十五年史』 123p (西尾漠・著)

2020-02-06 13:54:28
更紗蝦 @sarasaebi

《科学技術庁は一九九二年四月十八日、核物質の輸送日時や経路などに関する情報を公開しないよう四十二事業所に通達、関連二〇自治体に「協力」を要請した。》 『反原発運動四十五年史』 127p (西尾漠・著)

2020-02-06 14:00:58
更紗蝦 @sarasaebi

《「核燃料輸送を秘密にせよと科学技術庁が言ってきた。その理由が、今まで一度も起きたことがない“核ジャック”の防止のためだという。核を一番欲しいのは国で、わたしらはなんちゃ欲しくもない。(略)そんなに危険なものなら、はじめから運ばなければいい」》 『反原発運動四十五年史』 128~129p

2020-02-06 14:04:22