人間特性ライフハック〜権利の暴走と支配の為の倫理観〜
- JO_JO_t_kaoru
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人間特性ライフハック〜新しい権利と権利の仕組み〜 - Togetter togetter.com/li/1441489 @togetter_jpより 権利自体に、弱者にチカラを与えようという気概を感じる。
2020-03-04 02:32:09本来、誰もが持っている欲望であるべきだったりする。それは地位や名誉、家柄、可愛い、ブス、関係なく、人であれば、思う事、望みや、幸福であると感じる事や感じたいと思う事。 それを是とした上で、誰にでもある事だから認めようって事。 この「認めよう」の部分が、弱者に対する
2020-03-04 02:40:22チカラの付与だと思ってる。 だから権利って、欲望の具現化に見えて、じつはそうではなく、人間社会の中で、弱者が現れた時に付与されるチカラとして機能している側面がある。
2020-03-04 02:40:23わからないでもない。そういうのを明示化しないと、都合良く「チカラでいけ、チカラで。※暴力的な意味で。」みたいな連中が奴隷にしたり、植民地にしたりを平気で行うので、チカラを明示化して付与するのは、むしろ自明な流れ。
2020-03-04 02:40:23しかし、これもまた問題が出てきたと思う。 権利もあくまでチカラである。論理により、ヒトを、カネを動かす事ができるチカラとなった。 先程も言った通り、権利とは本来、欲望や自由意志、求めるものを是とする、純粋な「内なる起こり」を是とし、
2020-03-04 02:46:07明示化すべき部分はあるものと考えている。 であるならば、我々は一つの可能性について言及しなければならない。 権利とはチカラの付与という事は、つまりチカラである。物事を動かす事ができるチカラ。
2020-03-04 02:46:08チカラを使うって事は、そのチカラを支配(コントロール)しなければならない。 そこで気付いた。 あれって、権利というチカラの暴走じゃね? というより、権利として明示化してないからこそ、その区切り方、線引してないから支配できないんじゃねぇかと。
2020-03-04 02:48:52その、あれとは何か。 差別です。 つまり、差別は、ある権利の延長線上にあるチカラの暴走と捉えたい。 ならば、差別は、何の権利の延長線上か。 これまで俺が訴えてきた権利。 人間特性ライフハック〜新しい権利と権利の仕組み〜 - Togetter togetter.com/li/1441489 @togetter_jpより
2020-03-04 02:51:52他者に距離感を求める権利。 上記の権利の暴走が、差別だ。 チカラによる暴走を止め、コントロールするには、そのチカラを認めつつ、 かつ、チカラによる生まれている悲劇に対して、人間自身が評価して、どうしたいかを考える必要がある。
2020-03-04 02:56:49人間である私自身は、こう評価する。 権利というチカラを支配(コントロール)し、悲劇を無くすよう努める。そしてそれはいわば倫理の問題だ。 なので、人権を訴えている人、そもそも権利を訴えている人は、
2020-03-04 03:00:07本当に自身が権利をコントロールしているか鑑みなければならない。 もちろん、どうしても歴史背景から、「権利」とは弱者に付与されるチカラとしての機能、側面が強い。なので、自ずと弱者にチカラを付与し、戦わなければならないと権利を行使する連中は、チカラが思いっきり入るかもしれない。
2020-03-04 03:02:15しかし、 その結果が本当に望むべきカタチになっているのか、誰かに権利というチカラを操られ、利用されていないか、 今、扱っているのがチカラであるならば、そのチカラを自身がコントロール(支配)しているか、誰かと一緒に支配するならば、
2020-03-04 03:07:00その相手はコントロールが上手いか、など丁寧に査収するのも必要かと思う。 チカラを扱うというのは、それぐらい丁寧なもの。
2020-03-04 03:07:01つまり、 権利、権利と、その権利の成り立ち上、どうしても弱者側から見てしまうものだが、 権利には、その本来の質として、チカラがあり、そのチカラが生み出す作用、その過程や結果を鑑み、状況を支配しているかの確認は求められる。
2020-03-04 03:16:55それは誰からなのか、人である以上、自分からもそうだし、関わっている人からも求められる。 倫理から求められていく。
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