超人かとも思われる人々のエピソードに学ぶこと

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James @James81458933

少林寺の修行に耐える子どもたち。これだけ幼少期の頃から鍛えていれば大人になった時、足腰バッチリです。 pic.twitter.com/3mg9pQvufq

2020-03-09 12:10:01
習志野青龍窟 忍道家 @3618Tekubi

確かに素晴らしい身体能力ですが、身体はトラウマも一緒に記憶すると思うので、大きくなって原因の分からない悪癖が出てきてしまうのではないかと心配にもなります。 興味関心の伴った稽古で、定重心の足腰を養いたいものです。 twitter.com/james81458933/…

2020-03-09 16:42:01
甲野善紀 @shouseikan

確かにその通りだと思います。土砂崩れの山の急斜面に空の醤油樽を転がし、それを棒で叩きながら谷まで駆け下った中井亀治郎ほどの能力は「誰に強制された訳でもなく、やらずにはおられない強い意欲」があったからこそ可能になったのでしょう。 twitter.com/3618Tekubi/sta…

2020-03-10 01:23:36
甲野善紀 @shouseikan

その意欲とは、亀治郎は幼い時「猿と遊びたい」という強い動機づけが、あったからでしょう。それで、木の枝から枝を渡って逃げていく猿を追って、自分も枝から枝を渡っていく事が出来るようになり、超絶的な身体能力を身に付けたのだと思います。

2020-03-10 01:23:36
甲野善紀 @shouseikan

現代の科学的スポーツトレーニングで最も抜け落ちているところは、トレーニングを行なう時の心理状態によって、そのトレーニングの質が大きく変わるということです。

2020-03-10 01:23:36
甲野善紀 @shouseikan

亀治郎が全身針金を縒り合わせたような細かな筋肉にビッシリ覆われていたというのは、筋肉の緊張・弛緩の変化が非常に細かく速やかに行なう事が出来た事を示しています。

2020-03-10 01:23:37
甲野善紀 @shouseikan

これは木の枝から枝へと飛び移るということが、強い興味で行なわれた事と、この行為が一つ間違えば大怪我や死にすぐつながっていたからだと思います。

2020-03-10 01:23:37
甲野善紀 @shouseikan

「強い動機づけ」と「命がけ」が、劇的上達のための2つの要素です。

2020-03-10 01:23:37
甲野善紀 @shouseikan

この事は、今から4年と少し前、早川書房から刊行されたスティーブン・コトラー著、熊谷玲美訳『超人の秘密-エクストリームスポーツとフロー体験-』の帯文に私が書いたことでもあります。

2020-03-10 01:23:37
甲野善紀 @shouseikan

『超人の秘密』では、プロスキーヤーのシェーン・マッコンキー、素手で山を登るフリーソロ登山のディーン・ポッター、激流を下るカヤッカーのダグ・アモンズ等々といった人達が登場します。

2020-03-12 13:10:27
甲野善紀 @shouseikan

この、エクストリーム・スポーツが文字通り命がけである証拠は、マッコンキーもポッターも事故で既に世を去っていることです。

2020-03-12 13:10:27
甲野善紀 @shouseikan

より困難な状況、誰もやったことのない未知の領域に常に挑み続ける人達ですから、そうした最期を迎えても悔いはないことでしょう。こうした人達は、日常から、常に現状を超えていこうとする精神があふれていたようです。

2020-03-12 13:10:27
甲野善紀 @shouseikan

こういう人達に対して、通常のスポーツは勝つこと、メダルの獲得といった純粋な挑戦精神からみれば、世間的価値観というものに強く影響された観念的なものであるだけに、より深い集中や人間の能力を引き出すという点では及ばないものがあるのだと思います。

2020-03-12 13:10:27
光岡英稔 @McLaird44

この中井亀治郎のエピソードは確かに凄い!! しかし、昔は武術家でなくとも岡山の植林伐採の職人の話しですが、木の上を登って自分が立っている足下の枝を切り、切れた瞬間に他の枝へヒョィっと跳び映る人の話しや、 twitter.com/shouseikan/sta…

2020-03-12 17:01:48
光岡英稔 @McLaird44

また自転車に乗っていて車に跳ねられた瞬間に空中でバランスを取り足で着地した武術家の方や、 エゾ鹿を追いかけて素手で捕まえて取り押さえ捕獲し、一番多い時は3匹も素手で捕まえたアイヌの長老・浦川治造氏なども凄い人間である。

2020-03-12 17:01:52
光岡英稔 @McLaird44

甲野先生もご存知のよう此のような話しは世界中にも多々ありますが、 それをアクマで個人の才能とみなすか、 人類の才能であり自分にもできることと見なすか、 文化の一部として一部地域や時代の人間ができることと見なすか、

2020-03-12 17:01:52
光岡英稔 @McLaird44

もし、それが個人の才能か地域や時代の文化性に出来る要因があるなら他人事なので凄い話しだけど自分には当てはまらない話しにしかならないと感じる人が居ることになります。

2020-03-12 17:01:53
光岡英稔 @McLaird44

もともと其の人に先天的な才能と漲るような生命力、体力があれば、個人の能力として「土砂崩れした斜面を下りながら醤油だるを叩かずに居られない強い意欲」が生じることも分かります。

2020-03-12 17:01:53
光岡英稔 @McLaird44

しかし、中井亀治郎流は恐らく一世一代で終わる伝えることも、教わることも、習うことも出来ない個人の体力、生命力、才能に由来する体系になります。

2020-03-12 17:01:54
光岡英稔 @McLaird44

ここで、私が皆に気をつけて欲しいのは中井亀治郎流的な話しを聞いたり語る私たちが才能主義、能力主義的な観点から其れを語ってしまうことで、「何かが出来ること=結果」に注目してしまい、その要因、すなわち中井亀治郎の身体観、身体性、文化性や感性に注目しなくなってしまうことが気になります。

2020-03-12 17:01:54
光岡英稔 @McLaird44

そうすると、終始これらの話しは「私が出来ることとは関係のない凄い人の話し」で終わってしまいます。 そこで中井亀治郎の身体観、文化性、感性に注目を向けないと私たちは此の物語を自分に生かすことはできない。

2020-03-12 17:01:54
光岡英稔 @McLaird44

その中井亀治郎の能力や才能を仮に「人類の才能・能力」とした場合にも、これも皆が中井亀治郎流を目指し、同じことが出来たら良く、出来なかったら駄目とするきわめて現代的な武術/武道によく見られる結果主義・能力主義に陥ってしまいます。

2020-03-12 17:01:54
光岡英稔 @McLaird44

「完璧で優秀な民族であるアーリア人」でない人たちのために武術とは存在し、そもそも才能ある人に自らの工夫、努力と執念で何とか才能なき者が自分に合った才能の見出し、生かし、そこで初めて才能や能力のある人間と互角になるために武は存在していると信じています。

2020-03-12 17:01:55
光岡英稔 @McLaird44

その工夫、努力と執念を持って何かに取り組めるか否もその人の才にかかっていますが「工夫、努力、執念」は自らの意志で多少は何とかなる所でもあります。 才能、特異能力を持つ中井亀治郎のような人間を真似ようとするよりかは何とかなる。

2020-03-12 17:01:55
光岡英稔 @McLaird44

また如何なる意欲や意志、工夫、努力そして執念も「できたら嬉しい、そうなったら嬉しい」がモチベーションとしてあり、自分なりの「楽しい、面白い」も根っこにないと続かない。

2020-03-12 17:01:55