『幻の集落』小俣集落へ行ってみた

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R774@まとめ屋 @kendou774

スレッドにします。 『幻の集落』静岡県の山深く、人里から離れた場所に二つの集落がある。既に住む人はいないが、集落に残るいくつもの伝説は、今もなお多くの人を魅了する。しかし、最近になってそのうちの一つが崩壊したという。幻とも言える集落の現状を確かめるために『小俣集落』へ行ってみた。 pic.twitter.com/tqAhVW7Uyt

2020-03-15 15:40:34
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二つの集落は小俣京丸と呼ばれ、名だたる秘境集落として知られている。また、古い歴史を誇る隠れ里としても知られている。以前から小俣京丸は憧れの地であり、当初は京丸集落を目的地としていた。しかし、下調べの過程で、小俣集落が崩壊したとの情報を目にしたのだ。斯くして、小俣へと向かった。 pic.twitter.com/qtYQ5GfKOx

2020-03-15 15:41:32
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小俣集落は、春野町(現・浜松市)を流れる気田川の支流、小俣川沿いに位置する。近隣に集落は無く、一番近い人里からは約4km離れている。先の京丸集落にいたっては、約8kmも離れている。小俣川の形成する谷間は深く険しく、地理院地図を見るだけでも、小俣の隔絶性を容易に想像することができる。 pic.twitter.com/BAvOWgoZUF

2020-03-15 15:43:00
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小俣集落へのルートには、杉地区からの車道と、石切、京丸集落からの古道がある。過去には石切からのルートが多く利用されていたが、この古道を歩く人は既に無く、現在は杉地区からの車道が利用されている。ただ、車道は一般車通行止なので、4kmは歩く必要がある。今回は杉地区からの車道を利用した。 pic.twitter.com/xEoXcXDcxA

2020-03-15 15:45:03
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『杉峰集落』 陽当りを求めて尾根上に集落が存在する。この地域でよく見られる茶畑の広がる集落だ。ちょうど住人の方を見かけたので、小俣集落について伺った。『小俣への道は崩れていて集落へは行けない』、『住人がいなくなったのは50年前くらいだった』、『(小俣は)とんでもないところだ』 pic.twitter.com/Sut6FCOvmH

2020-03-15 15:46:51
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杉峰集落から4.5km地点に頑丈なゲートがある。車で入れるのは此処までで、先は歩くことになる。林道は未舗装だが、国有林が絡むためなのか、異様なくらいに立派である。また、岩獄山への登山道にもなっているので、所々に案内標識があり迷うことはない。約4kmほど歩くと、小俣集落への分岐が現れる。 pic.twitter.com/czWr3u1Fda

2020-03-15 15:48:23
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分岐からは、急に道が荒れ出した。車両が通った形跡は全く無い。その理由はすぐ先にあった。路面を支えていた鉄骨が落ち、道がごっそり無くなっているのだ。脇の斜面は急斜面で登れず、川床までは高さがあり降りることもできない。僅か数十メートル先に小俣への橋が見えている…万事休すか… pic.twitter.com/kMzRjcMyXm

2020-03-15 15:51:14
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実は知っていた。この広場の何処かに小俣集落への迂回路がある。それは、まるで隠し通路のようであった。先述の小俣集落への分岐には、広場といくつかの建物がある。そのうちの一つ、青いプレハブ裏に斜面を下る迂回路があるのだ。ただ、迂回路と言っても、一瞬躊躇してしまうような頼りない山道だ。 pic.twitter.com/6zaw26Cw1J

2020-03-15 15:52:38
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『落ちたら死ぬ』 急斜面を下る迂回路。人一人がやっとで通れる幅だ。眼下には小俣川が轟々と流れる。高さがあり、落ちてしまえば登り返すことはできない。それでも、トラロープや足元の丸太など、転落防止にはならないが通行できるように整備されている。車道の崩落後に造られた迂回路のようだ。 pic.twitter.com/odZZ68G6Vb

2020-03-15 15:54:28
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『小俣橋』 小俣川には、想像以上に真新しい橋が架かっていた。銘板には昭和59年3月竣工とある。40年前の航空写真でも橋の存在が見られるので、これは架替え後の橋のようだ。そうは言っても、今となっては通る車もなく、橋上は堆積物に覆われている。この先、小俣橋を車が通ることは二度とないだろう。 pic.twitter.com/FgfWlsjuSz

2020-03-15 15:56:26
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進むことも、戻ることもできなくなったブルドーザー。小俣集落への道の保守用として使われていたようだ。小俣橋を渡った先は、更に道が荒れた。路面には落石が転がり、至る所で崩れている。特に、沢筋では道が流されている。そんな荒れた道を数百メートル歩くと、前方に建物が見えてきた。 pic.twitter.com/8435JMdmUG

2020-03-15 15:58:46
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『小俣集落』 確かに、小俣集落は崩壊していた。正確に言えば、背後斜面の崩壊により、多くの家屋が土砂に埋まっていたのだ。今も家屋の残る小俣。その殆どは木々に覆われてしまったが、比較的最近まで手入れされていた土地もあった。しかし、流れ込んだ土砂は、その土地をも埋め尽くしてしまった。 pic.twitter.com/JOpPnVOdMs

2020-03-15 16:00:30
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小俣集落から人の気配が消えて、そう長くはなさそうだ。では、いつ無住化したのか。浜松市春野協働センターに確認したところでは、『国勢調査のデータにおいて、H.19年1月に1名おられたが、その後亡くなられた』ということだった。ただ、ネット上で調べた限りでは、それ以前に無住化していたようだ。 pic.twitter.com/Jj3fmSpXk0

2020-03-15 16:01:45
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『小俣分校』 上空を遮る木々の下には校舎が眠っていた。斜面の上方に建物が見える。近づいてみると、石碑には『石切小学校小俣分校』とある。S.41年の廃校から50年以上経ち、校庭と思われる平地には木々が聳えていた。石碑がなければこれが学校だったと気づくことは難しい。 pic.twitter.com/6NcPMrc7w6

2020-03-15 16:04:13
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土砂は校舎を破壊し、教室の中まで流れ込んでいた。それでも、学校の証を示すかのように机、そして黒板が残っていた。住人のいなくなった小俣集落の末路。それはあまりにも虚しいものであった。 pic.twitter.com/6JtgyG1Cpg

2020-03-15 16:09:30
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小俣集落に1時間ほど滞在した後、帰路に就く。対岸の林道から小俣方向を眺めると、小俣が土砂に埋もれた原因が見えた。集落背面の稜線直下で大崩壊が発生し、大量の土砂が集落内に流れ込んでいたのだ。この様子は航空写真でもはっきりと見ることができる。 pic.twitter.com/ksXrGn4K0y

2020-03-15 16:11:25
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『石切集落』 当然ながら小俣集落に住人はいない。それならばと、帰り際に石切集落に寄って小俣についての聞き取りを行った。見事な桜が咲くお宅があったので声をかけてみた。すると、お婆さんが出てこられた。『亡きお爺さんの育てた木で、今も大切にしているだに』(画像は許可をもらって撮影) pic.twitter.com/POrk3zWG3t

2020-03-15 16:12:12
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87歳のお婆さんはこう仰った。『現在の石切は三世帯四名。営林署があった頃は三十世帯あった』、『茶畑と林業をやっていた。営林署にも手伝いに行った』、『お爺さんは先生で、石切の学校にも行っていた』、『子供は街に出た。今は一人で暮らしてる』、『体に気をつけて、元気にしないといけないだに』 pic.twitter.com/27f6srzcJh

2020-03-15 16:13:56
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かつては小俣京丸の拠点でもあり、賑わいのあった石切集落。小俣京丸からはとうの昔に人がいなくなり、石切自体も風前の灯となっていた。美しく咲く桜は、人影のない静かな集落を眺めていた。 pic.twitter.com/gmOfvKwKd2

2020-03-15 16:15:20
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それでは、小俣集落についての情報を纏める。小俣が無住化したのは約50年前。その後も元住人の方が通われていたが、それもH.19年に途絶えた。H.19年に背後斜面の大崩落に巻き込まれ、以降集落は土砂に埋もれつつある。今では車道も崩落し、辿り着くのが困難な状態になってしまったのだ。 pic.twitter.com/u8myjX1WD3

2020-03-15 16:16:26
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長い歴史を誇り、今も多くの人を魅了する小俣集落は、朽ち果て、土砂の下へ埋もれようとしていた。今後も背後斜面の崩落が続くことが予想され、集落が埋め尽くされるのも時間の問題だ。そう遠くない未来、小俣集落は名実ともに『幻の集落』となり、伝説の一つとして語り継がれていくことだろう。 pic.twitter.com/haoxAM4bUg

2020-03-15 16:17:38
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以上で小俣集落についてのツイートは終わりです。この場をお借りして、小俣集落について問い合わせさせていただいた浜松市春野協働センターの方々、お話を伺わせていただいた杉峰集落の方、そして石切集落のお婆さんにはお礼申し上げます。 pic.twitter.com/1ZgC7cIp10

2020-03-15 16:18:37
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