「昭和40年会 in 3331 令和バージョン」まとめ
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久々に都内で40年会 3月18日(水) 16:30-18:00 昭和 40 年会 in 3331 令和バージョン [会場] 3331 Arts Chiyoda 地下 1 階 B104 [出演] 会田誠、有馬純寿、小沢剛、曽根裕、パルコ木下、松蔭浩之 [定員] なし(WEB配信のため) youtube.com/user/3331artsc… 90s-archive.3331.jp…
2020-03-18 08:42:29今回のトピックスは昭和40年会初期メンバーの曽根裕が参加すること。さてトークはどうなることやら…。 twitter.com/tsuyoshiozawa/…
2020-03-18 12:24:40「アーリー90's トーキョー アートスクアッド」展、本日3/18よりスタートです。会田誠、有馬純寿、小沢剛、曽根裕、パルコ木下、松蔭浩之等による「昭和40年会 in 3331 令和バージョン」は、16時30分からこちらのチャンネルで配信開始(視聴無料)。youtu.be/bN8fc_RFIjM
2020-03-18 13:02:25今日はこんなのやってますよ。16時半から放送開始予定。 会田誠、有馬純寿、大岩オスカール、小沢剛、曽根裕、パルコ木下、松蔭浩之 「昭和40年会 in 3331 令和バージョン」 artsticker.app/share/events/d…
2020-03-18 15:48:01さて コーヒーでも淹れて、と。 「昭和40年会 in 3331 令和バージョン」 youtu.be/bN8fc_RFIjM @YouTubeさんから
2020-03-18 16:15:18これから配信するんだけども、リンク先がよくわからないけどみんな見てね、昭和40年会だよー pic.twitter.com/JkpfBjLUIX
2020-03-18 16:31:35始まりました。四半世紀以上前(1994年)の記者会見の映像を見ています。 西原:今回は「昭和40年会 in 3331 令和バージョン」にお越しいただきありがとうございます。 松蔭:この時はせっかくNHKだから金屏風を用意してくださいと頼んだ。 西原:これから昭和40年会を知らない人にむけての説明を...
2020-03-18 16:43:35松蔭:今回は無事オープン出来て良かった。以前横浜のアートフェアに言ったら昭和40年生まれの当時23,4歳の人たちが居て、このコンセプトを伝えた。その後カラオケに行こうと誘ったらみんな来てくれて、昭和40年会が出来た。
2020-03-18 16:44:55松蔭:イデオロギーは無い。25年間未だにスローガンを作ったことがない。生まれ年が昭和40年というだけ。本当にそれだけ。このメンバーでグループショウをやってみたいと思った。大学生の延長。イデオロギーがなければ喧嘩も解散も無いだろうと。
2020-03-18 16:46:07松蔭:同い年だとタメ口という不思議な共有意識もあった。僕は大阪芸大出てからヴェネツィアビエンナーレとか出て調子は良かったが寂しさがあった。東京芸大出身の会田などと仲良くなりたかった。
2020-03-18 16:47:03西原:今回この会を開いた理由は、30年前の現代美術が残っていないという理由。プレインターネットの時代。スマホも無いしケータイも無い。音声も残っていないし映像も下手すると8ミリの時代。今の人達に90年代に何があったかというのを伝えたい。
2020-03-18 16:49:19西原:自分なりにリサーチをしたいという欲求もあった。それがこの展覧会を開いた理由。昭和40年会はあまりイデオロギーがなく単純な理由で集まっている。ユニークだ。アーティストコレクティブの先駆けとも言えるのではないか。
2020-03-18 16:50:27会田誠:昭和40年会をノリノリでオーガナイズしてたのは小沢君。 小沢剛:なすび画廊あたりから他者と作品を作ることに面白さを感じていた。あらゆるやり方で他人と組んでいくというのが昭和40年会では出来た。
2020-03-18 16:51:52松蔭:なすび画廊をスペースと読んでしまうこと自体面白い。そしてキュレーターでもあった。 会田:今3331でやってるアートスクアッド、これは雑に言えば銀ブラーとと新宿少年アートに関わった人達が多い。小沢の最初の牛乳箱でやったなびす画廊での個展は、向かいにあったなびす画廊から来ている。
2020-03-18 16:53:23会田:アンチ銀座の貸し画廊というあの時代の美術のシステムを、俺達が新しいと。グローバルな海外のアートと連動してやるんだっていう気概があった。それを先導していたのが小沢。 小沢:日本語にこだわるというのも良いと思っていた。メンバーに外国人を入れるという事も大事だと思っていた。
2020-03-18 16:54:59パルコ:みんな谷中あたりに住んでた。 小沢:ぜんぜんグローバルじゃない。 パルコ:僕はもともとアートじゃなくて、日本グラフィック展で賞をとってガロで連載をやっていた。テレビ番組に応募したときに賞を取って個展を開く機会を得た。それが上野桜木に引っ越すきっかけにもなった。
2020-03-18 16:57:14パルコ:当時グラフィックデザインの人間が上を目指すとニューヨークの話になってアートの話になる。銀ブラートや新宿少年アートのときはアートは全くわからなかったけど、それがきっかけになった。一番はドクメンタの会場でカラオケをやるという経験が大きかった。
2020-03-18 16:59:13会田:パルコのワンワンスタイルというのはちんこでダブルクリックとかをするっていうパフォーマンスだった。当時のパフォーマンスはパーティーでわいわいやるみたいな感じだったけど、パルコにはサブカル感があった。
2020-03-18 17:00:19パルコ:サブカル的なイラストレーターはアートにあこがれていた。それが伊藤桂司さんや中ザワヒデキさんが出てきてzinを作ったりしていて影響を受けた。 会田:そういう人はマックを使っていた。
2020-03-18 17:01:04松蔭:コンプレッソプラスティコ。そもそも僕は関西で活動をしていて、コラボレーションアートと読んでいたけど、スパイラルギャラリーで何百万円も使って展示をしたのが88年。だから80年代と言っても良い。その頃は会田くんとかは勉強をしていたけど。早熟という意味ではなくて。
2020-03-18 17:02:56有馬:テーマは90年代初頭だけど、80年代後半は編集者だった。だからアーティストでは無い視点で加わることが出来た。広告代理店にいたから発注する側だった。
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