
水橋文美江公式Instagram・Fumiemizuhashi大切な友人を放送前に亡くしました。人っていつまでもそこにいないんだな。記憶もいつまでもそこにないんだな。刻んでおこうと思いました。こぼれる想いを綴ります。 #朝ドラ #スカーレット#脚本 担当 #期間限定#水橋文美江
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――「穴窯」(*1)をめぐって起きる喜美子と八郎の同業者同士の衝突とすれ違いに、それまで2人の絆を見守ってきたファンは騒然としました。
水橋 ヒロインが戸田恵梨香さんに正式決定する前から、プロデューサーの内田ゆきさんと話していたのは、同業者の夫婦がうまくいかなくなる様を描くのは面白いのでは? ということです。結婚して夫婦揃って陶芸家になるけど、妻の才能が秀でていることで夫とのすれ違いが生まれる……。もともと、そういったところを描きましょう、描きたいねと言ってたんです。
*1 喜美子は望む焼き色を出すため、「穴窯」方式の作陶に取り組むが、薪代をまかなうために借金までしている。窯焚きの失敗は6回に及ぶが、このまま失敗が続けばこれまでの投資が水泡に帰すばかりか、窯が崩れ落ちて家に火が燃え移り、火事になってしまうかもしれない。諦めずに試行錯誤を重ねて、次は2週間も1150度の窯焚きを行おうとする喜美子に対し、堪忍袋の緒が切れたとばかりに、八郎の次のセリフへとつながる。
――八郎が放つ「前に言うたな。同じ陶芸家やのになんで気持ちわかれへんのって。僕にとって喜美子は女や。陶芸家やない。ずっと男と女やった。これまでも、これからも。危ないことせんといてほしい」というセリフはたいへんショックでした(104話、2月4日放送)。
水橋 意図的に、八郎には絶対に言わせなかった言葉があって。“嫉妬”という言葉だけは使わなかったんです。「嫉妬」という言葉を使うと、それだけが独り歩きすると思ったんです。「喜美子の才能に嫉妬している」ということを、いかに表現を変えて伝えるか。八郎が、かわはら工房に弟子入りした三津(黒島結菜)に、「喜美子に横におられんのは、しんどいなあ」と言うのも嫉妬なんです。そういう彼の発言はすべて嫉妬から来ている。男のプライドを八郎自身が別の言葉に変換して語っているように、私は書きました。八郎を演じた松下洸平さんも嫉妬の気持ちがあったんだろうということはわかってらしたと思います。
――でも、あのセリフを愛情表現だと捉えている人もいたようです。「危ないことせんといてほしい」というのは八郎の優しさではないかと。
水橋 優しさもありますけど。松下さんが柔らかい八郎を作ってくださったこともあるし、私も彼を悪くしないように書いたのもあるんですけど、やっぱり昭和の男ですからね。あの時代に夫婦で同じ仕事をやっていて、奥さんのほうが才能あるのって旦那にとって面白いわけがないんですよ。八郎の場合はお婿さんという背景もありますし。本当のところは複雑な思いがあるというか、根底には嫉妬が消えてない(笑)。
――やはり、愛情というよりも嫉妬のほうが大きかった?
水橋 八郎には男くさいところもあったはずなんで、絶対に悔しいんだとは思うんですよね。ちょっとわかりにくかったかもしれないけど、あの「喜美子は女や」のシーンは八郎が川原家から出て行ってから1年が経っているんです。何度も失敗を重ねた後、もう一度喜美子が穴窯に挑戦するというところで、八郎には「まだ凝りてなかったのか」とか「僕が出て行っても追いかけてこなかった」とか、男のいやらしい部分もあったと思うんです。
だけど、それをかろうじて飲み込む。それはやっぱり喜美子のことが好きなんで。だからこそ「僕を頼ってほしい」と思ったと思うし、「穴窯より僕のほうに来てほしい」という気持ちが拭いきれなくて、それをどう伝えようかと考えた挙げ句、「僕はお前のことが好きなんだ」と言った時に喜美子から「好きという思い」が返ってくるかどうか、賭けた。そういう意味では最後のプロポーズですよね。一筋縄ではいかない複雑な感情をセリフの背景にのせてしまったので、どこまで意図を理解して下さったか。違う考え方もあるかもしれないので、これはあくまでも私の考えということで(笑)。
――時系列が少し前に戻るのですが、盤石に見えた喜美子と八郎の夫婦関係に初めて波風を立てる存在、弟子の三津と八郎の関係についても伺いたいです。喜美子がついに初めての火入れ、窯焚きに挑んでいる最中、2人も交代で夜を徹して火の番を手伝いますよね(97話、1月27日放送)。三津は八郎に想いを寄せていて、仮眠している八郎に思わずキスしようとする。三津に想いを告白させなかったのは、なぜでしょうか。
水橋 「好き」という言葉を出そうとは考えなかったですね。そもそも八郎に浮気はさせないつもりでしたし、穴窯という新しい挑戦を前に、川原家に新しい風を吹かせる存在として三津を描いたんです。ただ、弟子入りした彼女が「喜美子さんは素晴らしい陶芸家だ」と思ううちに、「八郎さん素敵や」と八郎に惹かれるのも必然としてあるよね、と。あくまでもそういう惹かれ方で「好きだ」と口に出して言うレベルではなかったんだと思います。八郎を男として意識した瞬間に、「ここにはいられない」と出て行く女性として三津を作っていたので。
思わずキスしそうになるシーンがありますけど、実はそこにいたるまで長いト書きがあるんですよ。眠っている八郎を愛しいと思って、見つめて、思いが込み上げて、唇を思わず近づけてゆくという、黒島さんは難しい役をよくぞ頑張って演じてくれました。
――不倫にするつもりがなかったというのは、もともと描きたかったものとトーンが変わってしまうということですか。
水橋 そうですね。若い女の子が川原家の中へ入ってきたことで、喜美子と八郎が夫婦関係を見つめ直すような状況に置いてみる。そして2人が今まで言ったことのないことを言い合う。同業者同士のすれ違いを明確にしていくことが大事でした。
――八郎と三津が寄り添って仮眠しているシーン、火の番をしていた喜美子は2人の様子を見てしまいます。その後もどんどん薪をくべるけど、窯焚きは上手くいきませんでした。炎と喜美子の精神状態がリンクしているようで切なくなりました。
水橋 喜美子だってやっぱりまだ八郎に依存していたんですね。「穴窯」は本当に1人になって、「1人でやる」という強い決意を持って挑まないと、成功しなかった。やり遂げることが出来るまでの、そういうことを描きたかったところなんで。八郎が家を出て行く必要はなくて、一緒に穴窯をやればよかったじゃないかという意見もあると思うんです。でも一緒にやったらそれはもう喜美子の作品じゃないですよね、夫婦の作品になります。ものづくりとは、最後は孤独なものだから。穴窯に魅せられた喜美子の「業」でもあるでしょう。
――なるほど……。「八郎は昭和の男だ」と言い切ってしまうこともできると思うんですが、なぜ喜美子を「女であり陶芸家でもある」と受け容れることができなかったのか。どうしてもそこが気になってしまいます。
水橋 そこはやっぱり、八郎が喜美子に陶芸を教えていますからね。我が家の話になってしまいますが、うちも私が脚本家で夫が演出家(フジテレビのディレクターで映画監督でもある中江功氏)ですから、同業者夫婦みたいなものなんです。ただ、出会った頃は私のほうがすでに脚本家として自立していたのに対して、彼はまだADだったんですね。私のほうが収入も多かったし、家賃もほとんど私が出していた時期もありました(笑)。そういう格差がすでにある状態で夫婦になったので、私の仕事に対して今さら嫉妬とかなんてないだろうし、その後も平等に生きることができたのかも……と考えることがあるんですよ。
喜美子と八郎もそれぞれが自立していて、陶芸家として認められた同士で出会っていれば、違っていたと思うんです。でも、土もまったくひねったことのないところから出会った喜美子が、自分をどんどん追い越していくわけですから。それと同時に八郎は自分の作品づくりがうまくいかなくなるという、八郎の気持ちを思うと……。八郎だって完全な人間じゃないですし。なんといってもまだ若かったんですね。
――周りには、喜美子と八郎のような状態に陥った同業者夫婦はいらっしゃいますか?
水橋 「スカーレット」の取材で、陶芸家同士で一緒になったというご夫婦にお話を伺いました。奥さんのほうが「あなたは(陶芸家を辞めて)私の作品を売って」とご主人に言ったそうです。言われたご主人は「分かった」と。「陶芸家を『やめたくない』とは思わなかったんですか?」と尋ねたら、「明らかに、彼女のほうが才能があって、いい作品を作っていたから」と言っていました。もともと彼は展示会で売ったり仕切ったりするのが得意で、そういうことが好きだったという要素も大きかったようです。でも内心は相当の覚悟はあったのではないかと勝手に想像したんですけど。「陶芸はやっていないです」と仰っていて、それを聞いて、奥さんの作品づくりを支えることは、何かを捨てないと出来ないものなのかと思いました。
「スカーレット」脚本家・水橋文美江が「死ぬことよりも、どう生きたかを描こう」と決意するまで
脚本家・水橋文美江さんインタビュー #3
NHK連続テレビ小説「スカーレット」のなかで生きた、陶芸家・川原喜美子。「男社会」で仕事を持つ1人の女性が抱えた人生の困難さをも見事に見つめた作品だったからこそ、大きな共感を呼んでいる。物語の軸は、喜美子の息子・武志の白血病との闘病へと移り、最終回を迎える。脚本家の水橋文美江さんが「死ぬことよりも、どう生きたかを描こう」と心に決めるまでの軌跡を伺った。(全3回の3回目。#1、#2へ)
――脚本執筆のため、大阪に長期間滞在されたのは、たいへん親しいご友人がお亡くなりになったことが背景にあると伺いました。期間限定で公開されている水橋さんのインスタグラムに、「大切な友人を放送前に亡くしました。人っていつまでもそこにいないんだな。記憶もいつまでもそこにないんだな」と書かれていますが、大切な友人とはその方のことでしょうか。
水橋 そうです。家族ぐるみでとても仲の良かった方で、ちょうど去年の7月に亡くなりました。すい臓がんで、がんが見つかって1年もありませんでした。いつも朝ドラを観ている人だったので、私が「スカーレット」の脚本を担当することを報告したら「うん、観るよ」と言ってくれていたんですけど、だんだんとそういう言葉も返ってこなくなって。いつもこのリビングで、その方も一緒にみんなで飲んでいたんですよ。私は家で仕事をするので思い出してしまう。そういう理由もあって、思い切って大阪で書きました。
――場所を移したことで、心境に変化はありましたか。
水橋 近くに住んでいた方なので、家から出て近所を歩いていても思い出がいっぱい蘇ってくるんです。でも泣いている場合じゃないし、わりとメンタルが影響してくる仕事だから、これまでの日常生活はいったん東京に置いておこうと。最初の頃は関西のお笑い芸人の漫才やコントを1日中流しっぱなしにしました。ジャルジャルのネタのタネとか。「脚本家って言えへん奴」っていうのがあって(笑)。それで関西弁を身につけたりして、大阪にいる間は関西弁になってました。明るくなれたと思います。
――劇中では喜美子(戸田恵梨香)の父・常治(北村一輝)がすい臓がん、喜美子と八郎(松下洸平)の息子・武志(伊藤健太郎)が慢性骨髄性白血病を患います。実生活で大切な方を病気で亡くされるような辛い経験をすると、脚本の世界になにかしら反映されるものでしょうか。
水橋 それは、あると思います。私は母をがんで亡くしています。それとうちには武志と同じ年齢の23歳になる息子がいるんですけど、息子が小さい頃、すごく大きな病気をしたことがあって。いまはすっかり元気ですけど、それこそ生死の境をさまようような状態だったんです。この2つの出来事には、「スカーレット」だけでなく脚本を書くうえで大きな影響を受けています。友人が亡くなったことも、武志の病気を描くうえで何度も考えました。
水橋 「スカーレット」は陶芸家、神山清子先生の作品をお借りし、喜美子の作品とうたっています。神山先生の息子さんは白血病で亡くなっているのですね。先生の作品には息子さんへの深い思いが込められている。独自の作風で、見るものを惹きつける。息子さんの存在抜きには語れない。やはりそこを敬意をもって描こうと。ものづくりの話でもありますし、作品に人生が込められていくところをきちんとやろうと。
もちろん朝ドラで病気を取り上げることについては、よく話し合いました。でも、病気ものはよくないというような判断をすることは、まるで病気したことが悪いことのように決めつけてしまうような感じがしたんですね。「かわいそうな話を朝からやるのはどうなの?」と考えること自体がおかしくないか、そうやって避けていると、友人が亡くなったことも否定してフタをしてしまうような気がしたんです。だったら、「書こう。死を扱おう」と腹を括りました。そして、「死ぬことよりも、どう生きたかを描こう」と決めました。賛否両論は覚悟の上です。